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かつて人魚に憧れたわたしと映画「リトルマーメイド」

いつからだろう。
水や魚が好きになったのは。

幼少期、家庭用ビニールプールやお風呂にて、腕を通す用の小さい浮き輪に両脚をつっこんで尾ひれに見立て、1人人魚ごっこをして大層楽しかった記憶が朧げにある。

今思えば、水深さほどもない水の中で、びっちゃんばっちゃんと跳ね続ける絵面は、完全に釣りあげられた魚である。

また、プールに行けば、息の続く限り底に潜った。
頭上にゆれる水と煌めく光の筋を見上げては、海からの景色もこんな感じだろうか、とうっとり眺めるのが好きだった。

人間から人魚になりたい、と種族の完全なる変更までは望んでいなかったけど、妄想力豊かだったわたしは、海に行ったらヒレが生えて水の中で呼吸が出来るようになったらなあ、海の生き物たちと話せたらなあ…なんて夢見ていたのを覚えている。

今思えば、小学生時代夏休みの自由研究も、「熱帯魚について」とか、「魚の解剖」とか、「アシカとアザラシのちがい」とか海の生き物に関してが多かった。

大人になってからは、水族館にパスポートを買って1人水族館を堪能したり、魚たちとガラス越しでないゼロ距離で会いたくて、これまた1人でダイビングライセンスを取りにいったりした。

水が好き、魚が好き。
様々な生きとし生けるものを育む海、という存在が好き。
どこまでも広くて、時間によって表情を変えてゆく、海が好き。

そんなわたしが、海の生き物たちが友だちで、好奇心旺盛で、天真爛漫で、やがて、海と陸を繋ぐ存在になるプリンセスであるアリエルに強く惹かれたのも、自然の成り行きだったのだろう。

ちなみに、数年前友だちと4人で行ったディズニーシーでは、優雅に空中を泳ぎながら、わたしの大好きな曲「part of your world」を歌うアリエルを見て感極まり、気づいたらほろほろ涙が伝っていてた。
(友だちたちには、「嘘やん、なんで泣いてるんよ。」と爆笑される。)

だからこそ、ディズニーの「リトルマーメイド」の実写化が決まったとき、飛び上がるくらいうれしかったし、映画館で観れるのはいつかいつかと首を長くして待っていた。


そしてついに、実写化アリエルのキャストの発表。

褐色の肌、ドレッドヘアーのハリー・ベイリー。

多様性、新たな挑戦、既存イメージを覆すこと。様々な事情はあるのかもしれない。

けれど、アリエルのあの、水に広がる緋色の髪は?
海と同じ色である、エメラルドグリーンの瞳は?

この女優さんもキュートな方だ。
けれど、アリエルじゃない。なんて、正直複雑な気持ちだった。

けれど、数々の名作を手がけてきたディズニーが選んだアリエル。
ーどんな評判であれ、観に行こう。そう静かに心に決める。
そして、公開日翌日に観に行き、感想を書きかけたはいいものの下書きのまま積もり…
今日に至る。

しかし、他のディズニー映画の公開にあたり、「リトルマーメイド」の公開も8月中旬までらしい。
せめて映画の公開が終わるまでに投稿しよう!と急いで筆をとった次第である。

ストーリーの大筋はディズニーアニメーションの「リトルマーメイド」と変わらないが、多少のネタバレを含むので、前情報なしに映画を観たい方は、いったんここで、バックをお願いします、、!!
(そして観たら戻ってきてください!笑)

・〜…*〜・…*〜・…*〜・…

以下、実写版リトルマーメイドの感想を4つの観点から書いてみる。

1.より魅力的になった人物たち
2.海の中の美しさ
3.テーマについて
4.なぜハリー・ベイリーがアリエルになったのか

1.より魅力的になった人物たち

出てくる人物たちのそれぞれの背景というか人物像に厚みが増していて、とても良かった。
アニメの方ではさほど、深掘りされなかった
王子エリック。
まだ見ぬ景色を、新たなものを、より良い政治を。保守派ではなく、革命派な王子、エリック。

単なる「人間」への興味、だけでなく、好奇心旺盛なアリエルと、そんな王子だからこそ、お互いに惹かれあったのだな、と納得できた。

そんな王子を愛するがゆえ、心配でたまらない義理の母や、(王子は実の両親を亡くしている。)王子の側近も作中なかなか良い味を出していた。

そしてアリエルの姉妹たちは、それぞれが7つの海を司さどる人魚という新しい設定だった。なので、国籍や異国感溢れる姉妹たち。

同じ父からの姉妹にしては、姿形が違い過ぎでは…という疑問は多分野暮。
だってファンタジーだから!!

ファッション、アクセサリー、メイク、それぞれの人魚たちのキャラクターデザインがとても可愛いくて素敵だったのでもっとじっくり見たい。

アベンジャーズ的な、この姉妹たちが、力を合わせて悪と戦うお話も、サイドストーリーとして、作ってほし過ぎる。

あと海の魔女アースラが本当にイメージ通りで、「哀れな人々」の歌のシーンは、鳥肌がたった。
そう、これだよこれ…。絶対的な悪女感。

そしてアースラが王子を落とすために人間の娘に化けた姿も最高。ものすごく美しいのだけれど、性根の悪さが表情にとても表れている。本当に女優さんってすごいな……。


2.海の中の美しさ

ディズニーが手がける実写化の海の中の世界はさぞ美しいだろうな…と思っていたけれど、想像以上に美しかった。

揺れる尾、光る鱗、しなやかな動き…。
実際に、海のどこかに人魚っているんじゃないだろうか、と思えるくらいに自然な泳ぎ姿で見入ってしまった。

ミュージカルの「under the sea」のシーンも申し分なく、わくわくした。
リアルなのに、いきいきと踊る海の生き物たち。まさに、リアルとバーチャルの融合。
行進しながら、手足でリズムを取る亀が可愛い…。

ただ、アリエルの友人の黄色の可愛らしいキャラクターであったフランダーが、実写版では本当に魚で、どこからどう見ても普通の魚だったことは、ちょっと笑えた。



3.テーマについて


わたしはこの話のテーマは、違いにまつわる障がいを乗り越える愛、だと思っていたが、どうやら違ったようだ。

アリエルとエリックが魔女アースラと闘い、勝つシーンが山場もといクライマックスなのかもしれない。が、隠れた山場は、最後の父トリトンとアリエルのやり取りだと思う。

我が子はまだまだ考えが幼く、子だからこそ、絶対的に自分が正しいと盲信する親。

愛しているけれど、いや愛して大事な存在だからこそ、安全な、自分の目と手が届く場所にいて欲しい、と思う親。

(父トリトンの妻、すなわちアリエルにとっての母を人間との接触(事故)で亡くしているので、より人間を敵視してしまうトリトンの気持ちもわからないでもない…)

そんな親心も全く想像せず、束縛から自由になりたい、わたしの自由にさせてよ、と反発する子。

そんな二人だが、様々な過程を経て互いの考えに理解を示し、尊重し合う。
そんな親と子の心の自立がこの「リトルマーメイド」の主題なのではないか。

だからこそ最後のセバスチャンと話す中でのトリトンの本音が漏れる呟き、ぐっときてしまった。


4. なぜハリー・ベイリーがアリエルになったのか

ディズニーのプリンセスは古今東西、よく歌う。うれしいときも、悲しいときも、何を乗り越えるときにも。プリンセスたちにとって歌は気持ちの表現である。

もちろんアリエルも例にも漏れず歌う。
しかしその性質は、他のプリンセスとは少し違うと思う。

「リトルマーメイド」において、歌はアリエルの大きなアイデンティティなのだ。
この物語は、アースラという他者にそんなアイデンティティを奪われ、その大事さに気づき取り返しにいく物語でもあるので、歌声は、重要な鍵となる。

ハリー・ベイリーの歌声は、本当に素晴らしく、ああ、本物の「part of your world」が聴けたなあ、と感動が込み上げるような歌だった。


何かを得るためには、アイデンティティを奪われることがある。そんなことがあってたまるか。
自分が自分である、というアイデンティティは、その人のかけがえのないものである。

たとえアニメーションのキャラクターとは、見た目が違っていたとしても、本質(歌)で選ぶべきだ。

ディズニーはそう考えて、数いる女優さんの中から、歌が1番素晴らしい、アリエルらしい、と感じたハリー・ベイリーを選んだのかもしれないな、と思った。

あるいは…。

好奇心と行動力によって、分断されていた海と陸という枠を越えて、両者をつなげてみせた、アリエル。
そんなアリエルにハリー・ベイリーを起用することで、人種の違いを乗り越えていってほしい、とディズニーは願いを託したのかもしれない。



かつてアリエルに憧れていた、幼き頃のわたしに伝える。


残念ながら、この先一生、尾ひれが生えて海を自由に泳げることも、海の生き物とも話せることもない。

けれど、未知に対する好奇心を持って、行動してみる、そんなアリエルスピリッツをずっと忘れずにいたら、もしかしたら、もしかすると、あなたを取り巻く世界はほんの少し変わるかもしれないよ、と。



#エッセイ
#リトルマーメイド感想








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