ほしいのはギャップ #59
こんにちは。
先日、定年退職した父親のお祝いで家族旅行に行ってきました。
宿泊先はちゃんと奮発しました!(笑)
定年した父親に「退職して何しているの?」と聞いたら、
「やることが無さ過ぎて、仕事を探そうと思っている。何もしないでいるとボケちゃいそうだし。」という回答を聞いた私は絶望的な気持ちになった。
所謂、定年後の余生。
それを楽しんでいるものだと思い込んでいたので、期待した回答とは真逆だった。
おそらくお金には困ってはいないだろうに。
それなのになんで!?正直、そう思った。
仕事するのが悪いことだとか、そういうことを言いたい訳ではありません。
この父親の回答が、自分が楽しいと思うことだったり、理想の生活みたいなものを考えるすごく良いきっかけになった。
定年後のイメージ
私は子供のころから学校に行かなくて良いなら行きたくはない。と思っていたし、今も仕事についてもそう思っている。
仕事や学校という奴隷のような生活からやっと解放されるのが定年後。
それまでは我慢しなければならないもの。それが人生だと思って生きている。
(ちょっと極端に言い過ぎかもしれないですがw)
だから、定年後にはさぞ羨ましい生活が待っているもの。
そんな生活があると信じているから、今は我慢できている部分がたくさんあると思う。
それなのに、また仕事を探しているなんて。という思いから絶望的な気持ちになった。
定年後なんて、まだだいぶ先のことなので、考えたことはなかった。
今、考えても仕方のないことだけど、仮にいざ自分が定年を迎えて、毎日仕事をしなくて良くなったら、何をして生活するだろうか??
大きな矛盾
私は、先ほども書いたように、できるなら仕事はしたくない。
やめられるなら、今すぐにでもやめたいと思っている派だ。
ただ、それと同時に私はヒマだから仕事をしているという面もあり、ものすごく矛盾している。
例えば、今日は1日休み!何も予定はない!
皆さんなら何しますか??
おそらく私の場合は、とりあえず寝坊。布団の上でダラダラ過ごす。
だけど結局は、ヒマだから仕事しようってなるんですよね(笑)
結局、私はヒマがあっても他にしたいことがない。
思い返すと、学生時代も空き時間があればバイトを入れていた。
だから、このままではいざ定年後になっても、仕事をする羽目になるんだと思う(笑)
※仕事をすることが悪いことだと言いたい訳ではないです。
求めているものは?
私が日頃どんなときに楽しいとか幸せだと感じるのだろうと考えてみると。
・昼間っからキンキンに冷えたビールを飲む。
・サウナでととのう。
・キレイな景色を見る。
・美味しいものを食べる。
などなど、いろいろ思いつく。
では、それを毎日続けたいか?ヒマなときにしたいか?というと、
私の場合、答えは「NO!」です。
毎日ではなく、たまにあるから、楽しいとか幸せだと感じられる。
または、頑張ったご褒美だから、嬉しいと感じるものだと思っているから。
だから、私が求めているものは何かというと、日常→非日常というギャップなんだと思う。
ギャップがあることで、気持ちや感情が動く。
おそらく毎日、昼間からビール飲むことが普通な生活になったら、感動なんて微塵も感じなくなるだろうし。
富士山が毎日きれいに見えるところに何年も住んでいたら、もはやただのデカい山としか思えなくなる(笑)
小学生のころ、なんで毎日毎日遊び続けられていたのか?
これも考えてみると、授業という退屈な時間を我慢して受けてからの解放だったから、楽しかったんだろうなと思う。
授業が仕事に変わっただけで、
世界一のお酒は、必死で働いた後の酒ですから。
根本は小学生と変わっていないんですよね(笑)
逆も然りで、非日常→日常というギャップにはうんざりする(笑)
日曜日の夜や月曜日の朝とか。
定年を迎えたとしても、ギャップを感じられる生活を求めたくなる。
だから、父親は定年を迎えた後も仕事を探しているのかもしれないとなんとなく腹落ちすることができた。
じゃあ、私も定年したら仕事をしたいかというと、それはちょっとな。。(笑)
定年後に、どんな生活や暮らしを誰とどこでしていたいか。
今のうちから、将来の楽しみとして具体的な計画しておくことは良いことかもしれないですね。
でも、とりあえず今は目の前の仕事を必死で頑張る!
仕事の後に旨いビールを飲むために!(笑)
今回も最後まで読んでいただきまして、ありがとうございました。
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