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【親ガチャ】というワードに思う事

どーも、武蔵です。

前回の記事、実は公式LINEのみで案内して、沢山の方に読んで頂いたみたいで、メッセージもたくさん頂き、大変嬉しく思っています。
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5,000字オーバーな文章を、しかも夜中の0時過ぎにアウトプット欲に駆られるまま、書き上げたのが朝5時30分。
この日は、アポイント3件もある日だったのに、「俺、寝てない」アピールしたくなるほど(笑)睡眠不足でしたが、吐き出してスッキリできたからか自分でも驚くほど快適な一日を過ごしていました。
と言っても、20時過ぎには、子どもの寝かしつけと共に夢の中でしたが。(笑)

アウトプットした内容も、『自分と母との関係、自分と息子との関係を通して、自分が今までクリアにしてきた事と、これからクリアにしていくこと。』という内容を綴ったんですが、長い文章のわりにそこまで深刻に悩んでいるというわけでもなかったんですよね。
ただ、『自分の人生における課題やクリアにしていくことのルーツのほとんどは、母親との関係の中にあるな。』という気づきを、過去を振り返りながら改めてまとめてみたという感じでした。

生き辛さの種

でも、こういった親との関係の中で生まれた『生き辛さの種』って、どんな人の心にもあるんじゃないかなと思います。

というのも、
今の社会で『子供の育て方』って教えて貰わないじゃないですか?
一般教養的なことの中に、「子育て」ってないですよね?
しかも、『○○ちゃん・●●くんの育て方』なんて、誰からも習わないし、誰も教えられない。
(だからこそ少子化問題も・・・というのはまた別の問題だけど。笑)

特に昔みたいに親族・部族みんなで子育てできる環境が非常に少なくなってきているからこそ、子育て現場を見て学ぶ環境も、子育て相談も気楽にできる環境が足りなさ過ぎている。
昭和時代以降の世の母(父)たちは、それだけ正解のない、正攻法のない、マニュアルもない子育てを行ってきているという事実。

そんな事実を受け止めた時に、母や父を責めたところで何も解決にはならないということ。
そして、現実を両親のせいにし続ける=過去に囚われ続ける必要も無いということ。

そんなことを、お仕事を通して伝えてきて、自分の中で(ようやく)確信に変わってきたからこそ、過去の自分の課題だったものと、これからの課題を明確化して、自分が自分と向き合っていく為の整理を目的として、衝動的ながら吐き出したんだなと、改めて自己分析してみて思いました。
(こういった掘り下げが得意であり、仕事兼趣味化している部分でもあるんだけど。笑)

つまり、『自分のに気づくためのきっかけ=』であったに過ぎないという事を、noteを書きながら受け止めていったんですよ。

そんな今だからこそ、恨む気も起きないし、純粋に感謝が浮かんでくる。
「親への感謝が足りない、もっと感謝しなさい。」って言っちゃう母だったので、湧いてくる気すらおきんわ!っていう過去だったりするし、母もまた祖母に同じ言葉を吐かれていたけど。(笑)

ホント、よくできてるよなぁ(笑)

親ガチャ

魂視点で見ちゃうと、「よくここまで複雑かつ綿密なストーリーを描いて生まれてきたなぁ、自分。」と、不思議な感心を抱くほどだけど。(笑)

最近とあるSNSで見かけた言葉にこんな言葉がある。

【親ガチャ】
 子どもがどんな親や境遇のもとに生まれてくるか、実力とは無関係に「運で人生を左右される」という意味を、カプセルトイなど商品の購入方法がランダムな「ガチャ」に例えた言葉。

うまい事言ったもんだなぁと思う。
そりゃ、こんな複雑なストーリー描いてきてたら、そう思いたい気持ちもよくわかる。(笑)
「いいわけでは?」っていう評価も合わせてついてきているみたいだけど・・・。

でも、仮に皆が【親ガチャ】を引いて生まれてきているとした場合、どんな人が引いたガチャも全てSSR(スーパースーパーレア)という希少価値の高い存在を引いていると、僕は思う。

何故ならば、親という一人の人生サンプルを特等席で見ながら、その親の指示・コントロール下の人生を生きるも、反骨して自分の選んだ人生を進むも、全て自分自身が選ぶもの
だからこそ、選び甲斐のある人生を、選びやすくしてくれる存在としては、今の親以上に価値のある存在はいないのでは?という見解だからだ。

自分の人生に責任を持つ

ちょっと言語化が下手くそだったかもしれないので、もう少し噛み砕いてシンプルに書いてみると(笑)

親(との関係)をどう捉えるかによって、自分の人生が変わるという事。
そして、その関係があったからこそ、磨かれた価値観があり、進みたい道もはっきり見えてくる。
だからこそ『選び甲斐のある人生』になっていくんじゃないかなと。

親を恨んだりしてしまうこともあるかもしれないけれど、恨んでも自分の現実が変わらないことに気付いたら(絶望しきったら)、自分の力で人生を構築していけるようになる。

だって、親=自分自身のルーツだから、親を否定している=自分を否定しているってことになるし、否定している時って、停滞しかしないよね。

要は、どれだけ親がレールを敷き詰めようと、人生に制限をかけようと、放任していようと、自分の人生は、自分自身が選び取っていくもの。
だからこそ、自分の人生がどう動いていくかは、親ガチャという運のせいでも、親のせいでもなく、自分自身の責任によるものだと思う。

という意味で、「いいわけでは?」という意見にも、ある意味賛同できたりする。(笑)

と、言っても、別に「現実は厳しいよ」って上から目線で言いたいわけでは無くて、『現実をただありのまま受け止め切ることで、目の前の景色は、変えることができるよ。』と、実体験も交えつつ伝えていきたいというのが本音だ。

変えることのできない過去を変えようとするんじゃなく、過去=現実を全て受け止めて、今を積み重ねて自分の描く人生を生きればいい。

そんなことを伝え続けていくことが、僕が歩んでいく道であり。

そんな風に思えるようになったキッカケをくれたのが、僕にとってSSR(スーパースーパーレア)である、我が母なのである。(笑)

そして、そんな親を選んで生まれてきて、自ら描いていく人生こそ、SSR(スペシャルセレクトレア)な価値ある人生なんだと思う。

武蔵

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