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会社で表彰されたら、職場に入れなくなった。

自分のための、備忘録。

この時の出来事のあれこれを、どうしても忘れたくない。





今私がいる会社(工場)では、1年に1回、年間表彰というものがある。

優良社員賞をはじめ、生産数や品質、また役職に特化した賞など様々な賞があり、会社全体の社員からそれぞれ数名ずつ選ばれる。

私はその中で、中途採用者の新人が対象となる賞をいただいた。



私はそれが、受け入れられなかった。

どうしても、受け入れられない。

自分が表彰されることが、許せない。




迷惑しかかけてない。
迷惑な存在にしかなれない。
全然頑張れてない。
全然成長できてない。
不安なことから逃げてばっか。
先輩方の仕事を増やしてばっか。
先輩方の負担を増やしてばっか。
皆に助けてもらわないとなにもできない。
普通に仕事をすることすらできてない。

そんな人間が表彰されるなんてこと、あってはならない。


絶対に、周りの人たちに“なんであいつが”
と思われてるんだろうな、と思う。

同じ部署内で表彰される人が周知されたその時から、皆に合わせる顔がなくなって、苦しかった。




上司に、拒否権はないのかと聞きに行った。

なかった。

なぜ私が選ばれたのか、推薦基準、選考基準を聞くと、
〇〇数とか、〇〇数とか、、、と、
伝えられる範囲で教えてくださり、
“あなたのことがお気に入りだからとかそういうんじゃなく、ちゃんとこれまでの結果を踏まえて、選ばれてるんだよ”“頑張ってるから”と説明してくださった。

なんで?なんでなの?
今言った〇〇数や〇〇数は、私が目標達成してる数字の結果のみを挙げただけじゃん。
それらを目標達成できた背景は見ないの?
私の力じゃなくて、先輩方のおかげで達成できただけだよ?
他の結果は?数値に出ない部分は?

そう思いながら、それ以上抵抗することもできず、話を終えた。


その数日後、実際に表彰式が行われた。

コロナ前は、全社員が集まって行われ、前に出て表彰状を受け取り、全社員の前で一言喋らなければならなかったらしい。
今はそれが、表彰される人と、上層部の人たちだけで集まり、一言喋る人も数人に絞られている。

そう考えると、表彰を受け入れられなくて周りに合わせる顔がない私からしたら、まだ救われる形式ではあった。


けれど、“表彰式で表彰状をもらう”という実体験をしたことで“表彰された”という事実を全身で実感してしまい、苦しくて苦しくてたまらなくなった。


表彰式の次の日の仕事中、
“こんな私が今ここにいてごめんなさい”
“迷惑しかかけれない私みたいな人間が今ここに存在していてごめんなさい”
“そんな人間が表彰を受けてしまってごめんなさい”
“抗えなくてごめんなさい”
“生きててごめんなさい”
“ここで働いててごめんなさい”
で頭がいっぱいになり、
精神状態が崩れたときに出る症状が徐々に出てきて強くなり、
仕事を続けられず機械を止めてしまった。

他の理由で精神状態を崩して機械を止めてしまった時は、いつも工場内で休ませてもらって、身体症状がおさまって心もある程度落ち着き次第、仕事を再開する。
休ませてもらっている間、手があくとそばに来て声をかけてくださったり、背中をさすったりしてくださる先輩2人の存在が、いつも回復を早めてくれる。

ただ、今回に関しては、工場内にいるのが耐えられなくなってしまった。
忙しい中、声をかけにきて背中に手を置いてくださった先輩のあたたかさは安心に繋がったものの、復活には繋がらなかった。




工場内を埋め尽くす機械音、
仕事を続けているほかの方々の気配。

いつもは当たり前に共に過ごしている聴覚情報や視覚情報、感じる存在や気配が、
いつもの何十倍にも、大きく強く激しく鋭く感じて、
それがどんどん増幅して止まらなくて、
とにかくその場から逃げ出さないと、自分がそれらに取り込まれてしまいそうな感覚になって、
先輩に助けを求めた。

混乱して全くうまく説明できていない私の日本語を、ゆっくりしっかり確認しながら聞いてくださって、
全部がいっぱいになって先輩の腕を掴んで縋ってしまった私に、手のひらを差し出し握らせてくださって、
私の気持ちを整理して、たくさん考えてくださり、色んな提案をしてくださり、
結果、工場から離れた、静かな休憩室に移動させてもらった。

その先輩は、落ち着いたら仕事に戻るつもりしかなかった私に、「もう今日は最後まで休んどき」と言ってくださり、
休憩室に時計がないことを確認すると、
担当機械の片付けと掃除だけは自分でやるために、終業時間の25分前に流れるアナウンスか、終業時間のチャイムを合図に戻っておいで、と伝えてくださった。

1人で休憩室のすみっこでブランケットにくるまり、ひたすら精神の回復を待ったが、時間が経てば経つほど状態は悪化していった。

「仕事に戻りたい」
そう思えば思うほど
呼吸はうまくできなくなり、

アナウンスが聞こえて
「戻らなきゃ」と思うほど、
チャイムが鳴って
「戻って掃除しなきゃ」
「片付けに行かなきゃ」
「他の方にやってもらうわけにはいかない」
と思うほどに、
呼吸が乱れ、身体が重たくなる。

そして、動けなくなった。


結局、動き出せたのは終業時間から1時間半以上経った頃で、
動き出せたあとも、工場の中に入れなかった。

帰るために、工場内にある自分の荷物を取りに行かなきゃいけない。
でも、工場の入口で身体が動かなくなってしまう。胸の奥の痛みと苦しみが襲ってくる。

工場の入口で突っ立っている私を見つけた別の先輩が、心配して、入口前にある事務所内に入れてくださった。

事務所内に座らせてもらってからも何もすることができず、
数十分後、やっとの思いで上司に
「工場に入れません」と伝えることができたものの、
上司や他の先輩が荷物を取ってきてくださるという提案や、上司と一緒に工場に入ってみるとか、別の入口から入ってみる提案にうまく返せず、
申し訳なさと罪悪感と焦りと不安と自分への怒りが増して、精神状態は悪化するだけだった。

“ここにいてごめんなさい”
“こんな状況になってしまう私みたいな人間が表彰を受けてしまってごめんなさい”
“普通に仕事ができなくてごめんなさい”

ごめんなさい、
ごめんなさい、
ごめんなさい、
ごめんなさい。


どうすることもできず、
もはやどうしていいかわからず、
どうしてほしいかもわからず、

“ごめんなさい”で埋め尽くされた脳みそはまともに思考を働かせることができず、
これ以上迷惑をかけまいと、溢れそうになる涙を止めることを頑張ることしかできなくなっていた。

今の自分の状態を誰かに説明しなきゃ、と思うものの、うまく説明できるわけがないとわかっている状態で伝えることなんて不可能だと、なんとなく感じていた。


少しして、最初に私が助けを求めた先輩が、残業後、自分の片付けを終えてから、私のところに来てくださった。

まさかまだ帰ってないとは思っていなかったから、驚いたと同時に、
私なんかのことを気にかけてくださり、わざわざ私のところに来てくださったことが、本当に本当に嬉しかった。
そしてなにより、ホッとした。

私の精神状態のことを詳しく伝えてあって、精神状態を大きく崩す度に話を聞いてくださっている先輩。

先輩の顔を見てホッとして少し心が緩んだことで思考が少し戻ったのと、
この先輩になら、うまく説明できなくても伝えたいことは伝わる気がして、
先輩が隣に座ってくださってすぐに、
「工場に入れません」と言葉が出た。

そこから先輩は、いつもとなにも変わらない温度感で、
「なんでなん?」と聞き返してくださり、
仕事での表彰がきっかけとなった今回の精神状態の崩れについて、たくさん会話をしてくださった。
正論も、承認も、疑問も、提案も、色んな角度からの考えも、あたたかい言葉も。
たくさん、たくさん。
そして、
“今日工場に入ってから帰らないと、明日出勤しても工場に入れないと思うから入ってから帰りたい”
という私の希望に寄り添ってくださり、
一緒に入りに行ってくださることになった。

そのタイミングで、もう1人の、私の精神状態のことを詳しく伝えてある先輩が、帰る準備をしに事務所内に戻ってきた。
その先輩のいつも通りの明るすぎる声かけにもホッとして、もっと心が緩んだ。
「帰るでー!」と言う先輩に「工場に入れません」と伝え、今日入ってから帰りたいことを伝えると、
「手繋いで行ったろか!」と言ってくださり
深く考える間もなく頷くと、
次の瞬間には「よし行こ!」と私の手を握ってくださっていて、歩き始めていた。

さっきまでどうしても身体が動かなくなっていた場所を、止まることなく進むことができた。
心はザワザワしていたけれど、自分の手に感じる先輩の手の温度を確認することで、落ち着くことができた。
そして、歩きながら、たくさん会話をしてくださった先輩が手を握ってくださっている先輩に、さっき私が話したことを簡潔に説明してくださっていたのが、さらにホッとした。


3人で歩いてもらって、担当機械について手を離して、私は自分の荷物を持って、先輩2人はその場で少し仕事の話をして、
さあ戻ろう、と前を向き歩き始めた先輩たちを追いかけようとしたとき、
“あ。これは歩けなくなるやつだ”と思い、一気に頭と心が混乱した。
混乱して、先輩にそれを訴える余裕すらなく、無言で固まりかけたその瞬間、
先輩がバッと振り向き、「おてて繋ごか!」と手を伸ばしてくださり、手を繋いでいただいた。少し笑顔になれた。
この私のわけのわからない状態に振り回されているはずなのに、
“おてて”と赤ちゃん言葉で、私のことを存分に子ども扱いする、余裕のあるふざけ気味の対応が、
いつものその先輩らしくて、
重く暗くなりすぎなくて、
気が抜けて、嬉しくて安心した。


手を繋いでくださった先輩は、
「家まで送ろか?」と言ってくださって
電車で帰れるかの不安はありつつも送ってもらうのは申し訳なさ過ぎて、断った。
「送るとまた気遣うからな」と言われ、なんだか全部お見通しな感じがして、それがまた嬉しかった。

「もう明日休んでええで」「無理して来んでいい」とまで言ってくださり、
そこまで言わせてしまっている現状に罪悪感で潰されそうになりながら、
「いや、来ます。出勤します」と返すと、
「まぁそやろな」「なに言っても〇〇ちゃんは絶対来るやろうなと思ってる」とこれまたお見通しで嬉しくて、
「じゃあまた明日な!」と明るく手を振ってくださり、その一言で、
何があっても明日出勤できる気がした。


結局、たくさん話してくださった先輩と、電車で一緒に帰った。
時々一緒に帰ってもらえる時のようなテンションではいられず、ズーンとしていたのが申し訳なさすぎたけれど、ずっといつもと変わらない温度感を保ってくださっていた先輩に、救われた。


次の日、動けなくなる可能性を考えて早めに会社に向かうと、出勤時間の変更があった先輩(前日一緒に帰ってもらった先輩)と、ロッカーで会った。
「工場入れるん?一緒に行こか?」と先輩から言ってくださり、一緒に向かい、
入口直前で歩みが遅くなる私に
「手握る?掴んでええよ」と腕を差し出してくださった。
先輩の腕を掴んで、止まることなく工場内に入れたが、心は追いついていなかった。

担当機械まで連れてってもらったものの、1人になることを考えると恐ろしすぎて、先輩の腕を離せなかった。
「まだ時間あるからええよ」という先輩の言葉に最大限甘えて、先輩の腕を掴んだまま、出てくる身体症状と闘った。
乱れる呼吸を必死に整え、
痛くて苦しい胸の奥を鎮めるために胸元をさすり、
ひたすら大丈夫を言い聞かせる。
「途中でしんどくなったらまた出てったらええよ」「今日無理やったらもう帰り。」と言ってくださったり、
「大丈夫大丈夫。」と言い聞かせてくださったりして、
時間ギリギリで少し落ち着き、最後にしっかり手を握ってもらった。


結局その日は、最後まで仕事を続けられた。

それ以降、
朝工場の入口前で立ち止まってしまったり、工場に入る直前に深呼吸が必要になったり、仕事中に、周りの機械音が異常に苦痛に感じたり、
周りの先輩方とすれ違うことが恐怖だったり、
これまでには経験したことのなかった現象が、2週間ほど続いた。

これまでもずっと、
“迷惑しかかけれない自分みたいな人間がここで働いていてごめんなさい”
“こんな私なんかがここにいてごめんなさい”
と思っていて、罪悪感を抱えていた。
その中で、今回、表彰という1つのキッカケがあまりに大きかったことで、抱えていた罪悪感が急に一気に爆発してしまったような感覚がする。

ずっと抱えていた“自分が今ここに存在していて、ここで働いていることに対する罪悪感”は、
今回のことをキッカケに以前よりも段違いに強くなり、ギリギリ息をしていられるくらいの激しい苦痛を常に感じながら、仕事をするようになった。






今の職場に転職してから、

過剰適応状態なのか、そもそもの精神状態がイカれまくっているのかはよくわからないが、

生きている中で、
自分が存在していることを、まだ1番許せる時間が、仕事をしているときだった。
自分の存在意義を、ほんの少しだけ見いだせる時間が、仕事をしているときだった。
今後生き続けていかなければならないことを考えたときに、1番救いになるのが、仕事の存在だった。

これがあまり良くないことなのは、
なんとなくわかっていた。
“仕事だけが生きがい”みたいになるのは、あまりよくないんだろうなと思っていた。

案の定、その仕事でここまでの苦痛を感じるようになってしまったことで、私の精神バランスは完全に崩れてしまった。






この出来事の数日後にこの記事を書き始めて、1か月以上経つ。
自分に起こったことや、周りの方にしていただいたこと、その時々の自分の心の動きなどを、どうしても忘れたくなくて、ちゃんと正確に残したくて書き始めたのに、
それらを文字に起こすことに迷いが生じたり、真っ直ぐ向き合えなかったり、公開する必要性を問うたり、
そうこうしているうちに時間はどんどん進み、
今の私は、毎朝立ち止まることなく工場に入り、何食わぬ顔でこれまでと同じように仕事をする日々を過ごしている。
その間に1年に1回の昇給の時期がきて、まさかの昇格の辞令を受けたりもした。
相変わらず、実力に見合っていない謎の過大評価をされ続けていると感じながら、
それでも私はあれ以降、精神状態を崩すことなく毎日普通に働いている。





今の仕事と、自分。
他者評価と、自己評価。
私が見る、自己評価と他者評価。
他人が見る、私の自己評価と私への評価。
評価の受け取り方。受け止め方。

これまでの自分の人生で受けてきたたくさんの他者評価と、その時の自分の受容。
その時の自己評価。

何食わぬ顔で仕事をしながらも、過去と現在の“自分”と“評価”について、
思い出し、考え、整理して、向き合いまくった。


多分私は、
今の自分が高い評価を受けることに納得できてなくて、受容できていないけれど、
なにも評価されてなかったら、それはそれでしっかり凹むんだと思う。


そんな自分が、もっと嫌。





生きるって難しい。













最後までお読みくださった方、ありがとうございました。

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