見出し画像

保健室の常連だったあの頃

“あのとき保健室に逃げれなかったら、私はどうなってたんだろう”
と最近考えることがあって、保健室の思い出をつらつらと書いてみようかな、と軽い気持ちで書き始めました。
(本当につらつらと書いているだけです)




中学生のとき、私は保健室の常連でした。

常連といっても、
頻繁に行く時期と全く行かない時期の差は激しくて、“保健室通い”と言えるほどではなくて。


教室にいるのがなぜかしんどくてしんどくて仕方がないとき、なぜか精神的に苦しくて教室にいられないとき、保健室で1時間休ませてもらっていました。

保健室のルールとして、休めるのは最長で1時間まで。
1時間で授業に戻れなかったら、親に連絡がいったり、早退するしかなかったり。

親に連絡とか早退とかいう結末がなによりも困るから、私には1時間で回復するしか選択肢がなくて、
当時の私は、そのルールが仕方ないことはわかりつつも、「なんでそんなルールなの?全く子ども思いじゃないじゃん」と思っていました。


とはいえ、私は毎回、1時間でかなり回復していました。
少なくとも、教室に戻って普通に授業を受けられるくらいには。

保健室。
居心地が良かったのを覚えています。





保健室とは無縁の生活を送っていた私が、初めて保健室に行ったのは、中学2年生。
休み時間、強い吐き気に襲われて、連れて行ってもらったのが全ての始まりでした。

そのとき保健室では、簡単な問診票を書きました。
その問診票の最後に、“なにか悩みがありますか?”みたいな質問があって、私はそれに無回答で先生に提出したのを覚えています。
多分、それで保健室の先生はなにかを察してくれたんだと思います。
そして多分、私自身も、それで先生に察してほしかったんだと思います。
その時の吐き気の原因は自分でもわかっていなかったけれど、精神的に、助けを求めていたんだと、今になって思います。
吐き気は、保健室で数分座っている間に気づいたらおさまっていて、1時間が経つ頃には、何もなかったかのような感じでした。
その回復ぶりを見て、先生はさらになにかを察したのかもしれません。

2回目、3回目、4回目、、くらいまでは、頭痛とか腹痛とか、全くないわけではないけど別にそんなに酷くない身体症状を理由にして、保健室に行きました。
たぶんその中で、保健室の先生に自傷行為を打ち明けていて、家族関係のこととか、その当時苦しんでいたその他諸々の話も、少しずつしていました。


保健室利用の当たり前のマナーとして、
授業を休むのであれば教科担当の先生に保健室に行くことを伝えてこなきゃいけないし、保健室に入るのも、保健室の先生が了承する理由を伝えないと入れてもらえませんでした。保健室が閉まってるときは自分で職員室に入って、保健室の先生に声をかけなきゃいけなかった。
ただ、私は、教科担当の先生に自分で伝えるのもしんどくて、職員室に入って保健室の先生を呼ぶのも、部活の顧問の先生とかに見られる可能性があって、すごく嫌で抵抗がありました。

だから、休み時間の早いうちに保健室に行って、保健室の先生に、次の授業の先生に何も伝えずに来たことを報告して代わりに伝えてもらったり、保健室を使いたい生徒が他にもいるときは勝手にその子に完全に無言でお任せして、保健室の先生を呼んでもらって、便乗して保健室に入ったり、、、
今思えば、自分勝手な生徒でした。


回数を重ねるごとに、保健室や職員室のドアを開けてチラッと顔を見せるだけで、何も言わなくても保健室に入れてもらえるようになりました。
“来たってことは、心がしんどいんだな”
と判断してもらえるようになって、
「次の授業の先生は?伝えとくね」と保健室の先生から言ってくれるようになって。
そこまで酷くもない身体症状を過度に伝えることもなくなりました。

私にとっては、それがものすごく嬉しかったんです。
“言わなくてもわかってくれてる”のが嬉しかったし、ホッとしました。
“精神的にしんどいと言葉にしなくても、来たってことは、、とわかってくれてる”
“他の先生に自分で伝えることに抵抗があって苦痛が伴うから、伝えてきてない”
言葉にして伝えたことは一度もなかったのに、これらを感じ取ってくれて、マナーを無理強いすることなく対応してくれたのが、私にとって本当に救いになりました。



保健室では、1時間ずっと、ただひたすら無言で座って過ごすだけのことがほとんどでした。
時々、先生と話をしたり、折り紙や先生のお手伝いの作業をすることもありましたが、
基本的には、保健室内で先生と2人、私は黙ってじっと座っていて、先生は黙って仕事をする、それが多かったです。
先生との物理的な距離も、先生がつくってくれていた心理的な距離も、心地よかったです。
基本的に先生は仕事をしていて放ったらかしにしてくれていたから、監視されている感もなくて、無言なのも気にならなくて、
でも私のほんの少しの変化には気づいてくれて、手を止めて近くに来てくれたり話しかけてくれたりしてくれたから、孤独を感じることは一度もなくて、

他に生徒がいるときと、誰もいなくて私と先生2人きりのときとは、ほんのちょっとだけ関わるときの温度感が違ったり、
しんどくて保健室に行ったときの関わりと、元気に学校生活を送っている中で保健室の先生に会ったときの関わりも、ほんの少し違いがあったり、

全部を総合して、
過度な特別扱いをするわけでもなく、かといって、ただのその他大勢の中の1人としての扱いでもなく、私のことを“個人”として認識して、気にかけてくれていたことがしっかり伝わる関わりをしてくれていました。
あの時の私にとって、本当にちょうど良い距離感と対応を、常にしてもらえていたんだと思います。


そんな先生の的確な関わりのおかげで、私にとって保健室は学校生活の中での“最終的な逃げ場”になり、
苦しくてどうしようもないときに“行くと回復できる場所”になりました。

ただでさえ多感な時期、
人一倍繊細で、
物事を深く考え込んでしまう体質で、

家と教室と部活が世界の全てなのに、
それぞれの場所で“こういう人間であるべき”自分を演じたり、キャパを超えた振る舞いをし続けていて、無意識にいっぱいいっぱいだった私が、
保健室で過ごす時間だけは、それらを手放すことができていたんだと思います。

保健室で休ませてもらっている間は、
家での私みたいに、“明るくて自信満々で気が利く、手のかからない子”でいなくていいし、
教室での私みたいに、“強くてしっかり者で、クラスや学年の中心人物”でいなくていいし、
部活での私みたいに、“常に全力で、チームをまとめ、引っ張る存在”でいなくていい。

保健室では、
“弱くて、脆くて、暗くて、何もできなくて、何もしなくて、周りも見えなくて、何も考えられなくて、厄介で、手のかかる子”でいい。

文字通り“保健室に休みにきてる子”でいることができた。
それが、私にとって本当に「休息」になっていて、
だから、1時間保健室にいるだけで、普通の学校生活に戻れるくらいに回復できたんだと思います。



当時は、こんな分析、全くしていなかったです。

保健室で座ってるだけで、特に何もしていないのに、なんでこんなに楽になるんだろう?不思議だなぁ。と毎回思うだけでした。



今になって細かく振り返ってみて、改めて考えて分析してみると、
そりゃあ楽になって当たり前だわな。
と思いますね。

そしてなにより、保健室の先生が、すごい。
本当に、すごい。


中学生のあの時期、保健室という逃げ場がなかったら、私はどうなってたんだろう。

もしかしたら、精神状態はもっともっと悪化して、今こうして生きていられていなかったかもしれない。

もしかしたら、途中で爆発してしまい、今は隠し通せてきていることが、親に全部バレてしまっていたかもしれない。

もしかしたら、どこかでキャパオーバーになって、中学校生活が最後まで送れなかったかもしれない。

もしかしたら、変な方向に発散する選択をしてしまい、周りの人や社会に計り知れない迷惑をかけてしまっていたかもしれない。


これらの、もしかしたら、が本当に起こっていたとしたら、その後の人生は絶対に変わっています。
今の私はいないし、今の生活もない。

あの高校に進学して、あの看護学校に進学して、あの助産学校に進学して、実家を出て一人暮らしを始めて、助産師として働いて、やめて、今の会社に入って、働いている。
どの段階でも、素敵な出逢いに恵まれて、今でも私の周りにいてくれている人たちがいる。
これらのことを考えると、いくら今が苦しみや辛さの真っ只中であろうと、「こうやって歩んできてよかった」と思えるのです。





精神状態が崩れ始め、自傷行為や自殺願望、希死念慮とともに生きる人生が始まった中学生時代。

その時代に、あの保健室の先生との出逢いがあって、本当によかったです。


ここまで書いてきた、中学校の保健室の先生については、以前も記事にしたことがあります。
この先生に、当時かけてもらったとある言葉について、書いています。
もし興味があれば、合わせて読んでいただけると幸いです。

https://note.com/6474647400/n/ncd2c681f0262





先生、元気にしてるかな。

先生が今どこで何をされているのか、全くわかりません。

本当は、感謝を伝えたいけれど、
お手紙を書いたところで送り先がわからないし、このnoteが届く可能性だって、限りなくゼロに近い。


いつか、
精神的に安定して、
人間的にももっと成長して、
恥ずかしくない自分になれたとしたら、

全力をかけて先生を探して見つけ出して、
自分の言葉で、めいっぱいの感謝を伝えたいと思っています。


そのためには、まずは、生き延びなければ。
















最後までお読みくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?