noteを本格再開して考えた、“文章”のこと
noteを再開して、1ヶ月が経つ。
ぶっちゃけると、泣かせた話と遠距離恋愛の話で「全部出し切った感」がある。
両者は以前から書きたかった話題だった。
そして、
思いのほか読まれた。読んでくれてありがとう。
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恋愛の話はマガジンにまとめていますので、そちらも併せてご覧ください
閑話休題
最近は「読みたいものを書けばいい」という考えのもと、テーマをあまり定めずにカタカタとタイピングをしてきた。
その結果、あまり長すぎないくらいの、5分くらいで読める文章が完成することとなる。
惚気とかそういうのが読みたかったんだと思いますハイ
よく、「文章を書けるのすごい」と言われる。
大学で殊更よく言われる。
文春野球学校の皆さんは書けるひとばかりだし、私より上手な人もたっくさんいる。
どうして“書ける”のだろう。
知らん。
ごめん。気づいたら書けるようになっていた。
私の中では、センター試験のリスニングみたいな感じ。
ゼミで論文を校正してると思ったりするんですよね、どうしてみんな書けないんだろう、どうしてなりーくんに論文を真っ赤にされてしまうんだろう、って
書く練習を積み重ねてきたからなのかもしれない。
作文は結構好きな方だったし、大学受験勉強では記述の問題演習もたくさんした。
大学に入ってからは文芸サークルに所属した。自分の大切なコミュニティのひとつ。
そこにいる面々は、だいたいが本好き。
佐藤春夫ヲタクがいる。新選組ヲタクがいる。SF大好きっ子もいる。
私も本が好き。専ら現代日本文学。宮部みゆきとか、辻村深月とか、有川浩とか、伊坂幸太郎とか。
文章を書く人は、本が好きな傾向にあるのだろう。
しかし、本が好きだからといって、必ずしも文章を書けるとは限らない。
去年までバンドリにドはまりしていた(最近は沈静化した)ヲタク君は、「本が好きだしプロットまで書けるのに、小説にならない」と語ってくれたことがある。
僕の周り、ヲタクばっかりだな
僕だって、はじめて小説を書いたときは、目も当てられないような出来だった。
どうやって書けばいいか分からなかった。
読んでいるから書ける、なんて甘かった。
エッセイとかブログとか、そういう形式の文章を書き始めたのだって、大学に入ってからだ。
むかしは独自ドメインを取得して、ロリポップのサーバー借りてWordpressでブログ書いてた。
そこで色々書いたけど、そのブログの目的が頓挫して、閉鎖した。
この話はまた今度書く。
そこで書いていたものは、自分が「読みたいもの」じゃなかった。
想定する読者が読みたいと感じるものでもなかった。
「書きたいこと」だった。
あくまで自己満足の文章。読み返したいものじゃなくて、ただ書きたいこと。極端に言えば自慰行為。オナ
大変失礼いたしました
たぶんだけど、「文章を書く」という最初の一歩を踏み出したことと、それを継続していること、自分が書いた文章を周りに批評されることが大切なんじゃないかって思ってる。
サークルでもそう。文春野球学校でも然り。書いたら、だいたいレスポンスがある。
ブログには一応コメ欄があったけど、ほとんど使われなかった。
だからと言って上達しなかったとか、そういう話ではないけど。
書いて、読まれて、振り返って、また書いて、の繰り返しで、少しずつ上達する。それが文章なんだと思う。
だから、「文章書けるのすごい」と僕に声をかける人は、何百何千時間もの私の努力を噛みしめてください
ごめんなさいそこまで求めません
あ、でも一つだけあるかも。
プロットは無くてもいいから、半分くらいまで書いた段階で、その話題の着地点を決めること。
これは書いているうちに気づいたこと。
そして、デジタルだからできたこと。
天神天神天神~~~~~
唐突にアグネス・チャンが出てきた
noteで書くことは、今のところ楽しい。
色んな人に読んでもらえるし、読みたい事を書いているから、自然と小ネタを放り込んでいく。
これは私のゼミ内発表スライドも同じですね
出し切った感はある。
でも、全てはきっとここから始まる。
自分の読みたい事って、たくさん転がっている。
遠距離恋愛していることだって、スマホのだって、お金のことだってそう。
きっと、定期的に遠距離恋愛のことは書く。
遠距離恋愛してる/してた人って多くはないでしょ?
なので、皆様にはこれからも読んで頂けることを願っております。
気づいちゃったんだけど、「遠距離恋愛してる」という文の中には「愛してる」ってフレーズが含まれてるね
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