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岩崎宏俊展 shiseido art egg (資生堂ギャラリー)

次。ついでだから知らない人だけど行ってみた。
最初はノスタルジー?って思ったけど、よかったよー。

アニメと違うのは、描いては消し、描いては消しした、消し跡が残ること。鉛筆じゃなくて木炭なのがよさというか、この効果を生んでるキモですね。
ロトスコープというものだって。
実写映像をなぞる残像のパラパラ。

アニメにも見入ってしまった。子どももお年寄りもいる。家族。

アクリル板に転写したものが、重ねて置いてあって、重なりあって、一枚一枚にある時の経過が、さらに重なって見えて、生きるってそういうことだな。そういうのの連続なんだな。って改めて思った。

記憶と忘却の連続、ねぇ。記憶はすぐなくなる。忘却する。

そういえば高校の時の漢文の先生が授業中に「『忘却とは忘れ去ることなり。』って、そのままじゃないか!なにも言ってない!」って、君の名はだかのドラマをくさして言ってた。みんなそんなの見たことないし、「はぁ…」って黙って聞いてたけど、こういうしょうもないことは覚えてるよね、思い出すというか。

てか、最近ほんとなんでも忘れない?人の名前も出てこない。年???まぁ、ね、ここでいう忘却ってそういう物忘れの話じゃあないわね。ごめんごめん。

この人は、自分の記憶、自分の思い出の映像をなぞってるのかな。それなら、なぞりながらいろんなことを思い出すよね。その時間は制作というより、というか、制作時間であり、自分を育てる時間でもあるのかなと思った。その時のことだけじゃなく、今のこと、これからのことも考えるよね、いろいろ。ぐるぐる。え?考えないかも?集中?えー、それじゃあ追憶とかいうテーマにならないんじゃない?いや、ね、嫌な思い出や消したい記憶とかもあるじゃん?そういうのに思い当たった時、一瞬線がきつくなったりしないのかなとか思ってさ。まぁプロだからそんな無意識はないか。けどもしかそういうのが作品に残るとしたら、作家にしかわからない、しこりみたいなもので、見返してまたつらくなるかもしれない。

全然関係ない人に例えば依頼されて映像渡されて制作することがあったとして、それは制作のみになって、産出されるものは変わると思う?思い出なしにだと。見た目は変わらなくても、文脈が変わると、作品の評価もかわるのかな。ほら、最近はステイトメントありきっぽいとこあるし。実際、読むと印象変わること多いし。

西脇順三郎って人の名前が何度か出てきて、知ってる?詩人らしい。私初めて聞いたから気にしとこうと思う。

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