やっぱ書かなきゃだわ。
祖母のことを少し書いて以来、自分で書くことのハードルを上げてしまった。まとまった時間に、まとまったたものを書く「べき」と知らぬ間に思い込んでしまっていた。
ちなみにこの「べき」の病は持病のようなもので、何かしら正しく真っ当で形の整ったものこそが良いもので、半端なものを世に出すことは許されないと思い込み、かたちにもせずただ頭のお蔵へ放り込んでいる。そのうちお蔵に収めきれず、脳内断捨離の強制執行=とにかく文字にしてみる祭りの開催、となる。
今回は祭りに至る前に「ほらいつものパターン来てるよ!」と心がパトライトを回し出した。パトライトを装備できたのは成長の証だ、と思うことにしよう。それでもやっていることは文字にしてみる祭りそのものなのだが。
文字にする、声にする、かたちにする。思いをアウトプットする方法は様々だが、私は思いを文字や声にして、世に出していきたい。まだ届けたい相手も定まらず中身もふんわりしているけど、世界のどこかにいる誰かに私の声が届き、それが誰かを支えたり励ましたり、あるいはクスッと笑わせたりしたら素敵だと思うのだ。
声にする機会は、コーチングの仲間とラジオ的なイベントを始めてみて、決して多いとは言えないけど聞いてくれる人が現れた。夜は夜のキャラクターで好きなように話をして、それがおもしろいと評されると、またやっちゃおうと面白がって続けることができそうだ。
文字は自分で紡ぎ出し、織り上げることができるツールだ。脳のお蔵で埃をかぶったままのアイディアたち。私に残された時間は有限なのだから、このまま遺品整理に持ち込んでなるものかと思う。最初に書こうと決めた亡き人たちのことを、埋もれさせてはいけないな。
そのためにも臆せず書こう。文字にしよう。考えたりまとめたりはそれからでもいいじゃないか。
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