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~『リンパ輸注』という治療~

しばらく記事の投稿が出来ないでいたのは、自分の中にあるさまざまな変化と体調が芳しくなかったという両方が存在するからということになる。

ただ、その中で今日は少し『リンパ輸注』という治療法について書いていこうと思う。もう少し具体的になれば分かりやすい記事にも出来るのだと思うのだが、いかんせん見えてない部分も多いことから、若干中途半端な内容になることを先にお断りしてお詫びしておきたいと思う。


▼ リンパ輸注とは?

リンパ輸注とはごくごく簡単に言うと「私の体に新たな応援を呼ぶこと」と理解している。

以前から私のNoteをご覧になって頂いている方は、私がどんな治療を受けて現在どのような状態にあるのかぼんやりながら理解して頂けていると勝手ながら思っている。

私は自家移植で寛解が見込めず、悪性リンパ腫が再発して弟からハプロ移植で造血幹細胞移植を行っている。

簡単に言うと「私の中で血液を作る工場が、不良品ばかりを作り始めた」ので「弟の血液工場とそっくり入れ替えた」ぐらいのイメージで先ずはいいのではないかと思う。

弟の細胞は正常な血液を作ってくれるはず…であったが、一部私の体の中に残っている悪性リンパ腫細胞を除去出来なくなり、皮膚に再び腫瘤を形成する事態となってしまっている。

そこで弟から再度細胞をもらい受け、「私の体の中の悪性リンパ腫細胞を除去する手助けをしてもらう」

現状はそんなイメージで、いいのではないかと思う。

造血幹細胞移植が「私の工場の全てをとっぱらって細胞を埋め込むこと」…いわば小さな赤ちゃん細胞から成熟した様々な細胞を作り出すように促すといった治療であったものに対して、今回の治療は弟の成熟しているリンパ細胞を直接私の中に入れ込むことになる。

今私の体の中では悪性リンパ腫細胞と、弟産のリンパ球が激しいせめぎ合いを行っている状態である。

もちろんリンパ球の方が優勢であれば、当然病気は良くなっていく(GVHDという問題もあるが)わけであるが、現実的には少々分が悪い状態であるのでリンパ輸注によって応援をもらって寛解を目指すといった治療法になる。

…ご理解頂けるだろうか?

▼ リンパ輸注をもう少し詳しく

この治療は悪性リンパ腫や白血病といった血液がんの治療の中では、比較的新しいものになる。

…というよりも、私の様に抗がん剤治療から始めて「自家移植」、「造血幹細胞移植」、「リンパ輸注」…と新しい治療を行うことは現在の理論上ではある程度確立している流れのようだと言えるが、その中でもリンパ輸注は比較的新しい治療法になる。

ネガティブなところにクローズアップをすると、「実績や情報は少なく、まだ数百件の施術実績しか把握出来ていない」と本日医師の方からもお話を聞いている。

乱暴に言うと「どうなるか分からない部分も多いにある」ということである。過去の治療においても例外的な確率で副作用が出てしまったり、死の淵を彷徨った経験のある私の個人的な意見とすれば

『分からないことは、分からなければ、分からない分だけ恐ろしいもの』

なのである。そこを単純な確率の問題や運では片付けて欲しくない…とさえ思うこともある。

▼ ただ、決断しなければいけない

不完全な部分も多い中で筆を執ったのは、この『リンパ輸注』という治療を行うことをおおよそ本日確定させたからである。

実際の治療にはまだまだ多くの承認や確認等を経ないといけないのであるが、治療を受けないことやベクトルが違う別の治療の選択肢を外したことは事実である。

正直、悩んだ。
様々な方面で悩んだ。

ただ、全てを自分の中で咀嚼してからNoteを書いてしまうと、残念ながらいつ書き終わるかも分からない。

さらに言うと、書き終わるまでに命があるかもわからない。

言葉遊びになるかもしれないが「病気が治る可能性は20%、治療によって死ぬ可能性が10%あります」と言われて「死ぬより2倍も生き残れる可能性のある素敵な治療だ!」と、どれだけの人がポジティブに解釈するだろうか?

淡々と進む『時間』という流れの中、私は「リンパ輸注を受ける」という決断をした。その背景には過去から未来へ淡々と流れた時間の中で、医学の進歩等があって新しい治療法や可能性も生まれているという事実である。

この1ヶ月程度の流れや、リンパ輸注のリスク、私の身体の状況や意思決定の流れ等を全て整理しているとNoteが終わらないので、本日は簡単なリンパ輸注の中身と、現時点ではその治療を受けるために動き出したことを記しておこうと思う。

…恐らくこの決断の後悔はするだろう。私も含めて人間が人間である限り。

ただ、時間は刻々と刻まれていく。それによってもたらされる新たな可能性の恩恵とリスクを私がどう咀嚼していけるのか…。

そんなことを考えながら本件のNoteを仕上げた。
次回以降、もう少し細かく時系列等も補足していきたい。

▼ さいごに

一人の人間らしく、新年を迎えて新たな約束を自分と行った。

「誰かの役に立つかもしれない」という淡い期待を持って始めたブログ記事を年間50本書くということである。

ペースとしては週に1本である。

「面倒くさい」とか「ネタが無い」という次元で話はしたくないし、淡々と『誰か』を想いながら文章を綴っていきたいと考えている。

過ぎた時間の先に、私の積み重ねが築かれていれば『命を紡いだ』ことになる。なんとなくではなく、しっかりと時の重みを噛み締めることの出来る1年として、また次の私との約束をしたいと思う。

時の流れに、命の有限さを重ねて大切にしていきたい。

本日も最後までありがとうございました。

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