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声調言語に恋して

ベトナムは今日が連休(4/27-5/1)の最終日になりました。
週の真ん中、中途半端なタイミングですが記事を書こうと思い立った次第です。

ベトナムの歌を最近、意識してよく聴いております。
教科書を通じた勉強をずっとやっていますが、もっとこう実用的な
表現とか、教科書には出てこないような詩的な言葉だったり、表現だったり。
昔、英語の勉強をするのに英語の曲をノートに書いて訳してたなあ、なんて思い出しながら
慣れないベトナム語の歌をノートに書き出しつつ、四苦八苦しながら勉強してる感じです。

一押しPhương Ly。彼女の曲はどれもポップで、どこか哀愁があって、すごく耳に優しい。
曲名がMặt Trời Của Em = 私の太陽 なので、もうロマンティックですね。笑

声調言語というのはどうにも独特の美しさを持っていると思います。
日本語にも、韓国語にも、英語にも出せないような、流れるような美しさ。
声調があることで単語ひとつひとつが短い、という点も、
トーンの上がり下がりで意味が変わる、という点も、
すべて歌に落とし込んだ時、音の美しさを形作っていると思うわけです。
たとえ意味がわからないとしても、右脳的にわかる。

初めてタイに行ったのが2013年でした。
大学の2週間ほどの研修プログラムの最後、みんなとビアホールみたいなところに行き、
そこでやっていたギターの弾き語りを聴いて不覚にも涙してしまった記憶があります。
(まあビールはちょっと飲んでたのですが)
当時タイ語なんて全くわからないのですが、
ただ音を聴いて「美しいなあ、いいなぁ」と思っていたのを覚えています。

日本と同じで、ポップでキャッチーな音楽も当然多いですが、それ以上に
東南アジアの音楽はどこか哀愁を誘うようなメロディーラインが多いような気もします。
そして多分、タイ語にせよベトナム語にせよ、
声調を持った言語はその哀愁を表すのに
どこか適してる部分がある
のかもしれません。国の歴史がそうさせるのか、彼らの生きる環境がそうさせるのか。

中学・高校生くらいの頃、英語の歌詞をノートに書き出してましたが、その時に
「日本語ではこう言うけど、英語ではこんな表現もあるんだ」みたいな、
世界が広がっていく感覚がすごく好きでした。
ベトナム語にも当然、他の国の言葉には翻訳できないような言い回しがいっぱいあって。
もっともっとベトナム語を深めたら、それはベトナムという国への造詣をもっと深めることにもなるかなあ、と。

言葉っていうのは奥深いものだと思います。
AI翻訳だのgoogleだのが発展しても
結局、人と人が話す、という営みは未来永劫変わらない訳で。
何歳になっても、外国語を学ぶこと=世界が広がることのようで、
楽しいなと思うのでした。そんな連休最後の夕方です。

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