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書評「かつての風景を『サッカーのある風景』に誰かが変えたお話」(大沼義彦,甲斐健人編著『サッカーのある風景ー場と開発、人と移動の社会学ー』晃洋書房,2019)

はじめに

 大なり小なり、いまや日本各地で「サッカーのある風景」を見ることができる。しかし27年前には少なくともJリーグのある風景は無かった訳で、誰かが何らかの目的で「かつての風景」を今のような「サッカーのある風景」に変えた
 「サッカーのある風景」と聞くと週末のスタジアムを想像する人も多いだろう。今日のサッカーに欠かせないスタジアムの建設を中心に、地方都市新潟をサッカーのある風景へと開発する過程を論じた本である。副題の「場と開発、人と移動の社会学」とあるのはそのためだ。
 最近の新国立競技場の開発過程にも通じる部分もあるため、スタジアム建設に関心がある方にはオススメの一冊。

スタジアム建設は自然なことではない

 スタジアムは自ずから建設されるわけではない。組織された人々の意図的な活動の末に生産されるものだ。そうしたスタジアムの存在に隠されたさまざまな論理や思惑を解明しようとしたのがこの本だ。

スポーツのスタジアムが建設されるのは「自然なこと」でなく、ある力の現れ、組織化の結果であり、生産されたものである。スポーツ空間、ことにスタジアムといった物質的スポーツ空間建造の解明は、そこにかかる力の論理を浮き彫りにすることになる。(p.4)

 新潟の場合、日韓W杯が一つの契機だったのは間違いない。だがそれ以前に新潟市の開発計画があり、工業開発とスポーツの論理が合流したのがこのタイミングだった。スタジアムが建設された鳥屋野潟は以前から開発を巡って議論が繰り広げられた場所であった。そこにスポーツの論理が合流したことで開発が進んだが、結果的にいまではスポーツの意味合いが強い。
 けれども元を辿れば行政の開発計画があったわけで、そこの思惑を無視して眼前のスタジアムを考えるのは不十分であろう。加えて当該地域の人々がどういった希望を持って開発を受け入れたのか、はたまた受け入れざるをえなかったのかまでをも知る必要があるだろう。

スタジアムを駆動する地域固有の仕組み

 スタジアムは永久機関ではないため、外からエネルギーを与え続けなければ機能しない。継続的にエネルギーを供給するために人々は仕組みを作り、組織化し、活動し続ける。つまりスタジアムの裏には仕組みや組織が隠れている

現代のスポーツは人を巻き込んでいく仕組みを整え、それを駆動させる力をどの程度備えているかによって、その在り方を変えてしまうのではないだろうか。本書では、新潟ワールドカップを契機に、その仕組みがどのように作られていったのか、そしてそこにどのような人々が巻き込まれていったのかを素描しようとした。(202)

 たとえばサッカークラブはスタジアムを継続的に利用する組織であるし、彼らが試合を開催することで雇用機会や観戦機会を創出し続ける仕組みが整えられた。ではこうした仕組みがどのように作られてきたのかは今を見るだけでは分からない。誰かが過去を解きほぐさなければ明かにならないのだ。
 また仕組みは汎用性が高く、他のクラブにも応用可能に見える。けれどもその仕組みがその地域でその時代に上手く稼働した理由は独特だったりする。本書では具体的な話を紡ぐことに専念しており、「新潟」独自の仕組みの埋め込み、動かし方が分かる。そうした詳細な具体を基にすることで、より正確に抽象化できる。

W杯を契機に始まった人材育成

 多方面でサッカーに関わる人材を育成するジャパンサッカーカレッジ(以下JSC)が新潟にあることを不思議に思う人も多いだろう。かくいう私もそうだった。それはワールドカップがきっかけだったのだ。
 「サッカーのある風景」のための仕組みの一つが教育であった。スタジアムを恒久的に活用させるために適切な人材が不可決であるが、新潟の場合は他所から引っ張ってくるのではなく、自分たちで育成することを選んだ。
 育成する人材は審判やスタッフ、クラブ運営など多岐にわたる。いまやJSCは日本サッカー界に欠かせないが、誰がどういった理念を持って作ったのか。その物語が描かれている。

なぜ新潟にサッカー人材学校が誕生したのか。新潟の歴史的地理的条件がもたらした「危機感」が政界や財界に潜在していたこと、開発政策が滞り実体のない空間が存在していたこと、サッカーに引き付けられた人間が新潟にやってきたこと、スタジアムが象徴する人材育成の要請が社会に生まれつつあること、これらが新潟市、聖籠町を舞台に形になっていった結果が今日のJSCではないだろうか。(p.105)

おわりに

 ワールドカップ招致をきっかけに、新潟に「サッカーのある風景」は醸成された。それはもちろんサッカーが好きな人々が求めていた光景であった。
 一方でスタジアムのような新たな巨大な場は、それまでの風景をガラリと変換してしまう。つまりスタジアムによって覆い隠されてしまった「ある種の『成功物語』に回収できない現実の姿や人びとの営み(p.33)」があり、新国立競技場建設の過程を見る度、そういった現実の姿を見逃してきた気がしてならない。
 具体例が多くて若干読みにくさがあるが、日本のスタジアム建設を描いた貴重な本なのでぜひ読んでほしい。



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