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【エッセイ】歌には呪いが宿る

これは断じてオカルト・ホラー的な話ではないのですが。

まず、わたしはもともと、曲を「歌詞」で聴くタイプの人間でした。過去形である理由は、2年程前からギターを始めて、その頃からは「音」でもしっかりと聴くようになったからです。
当然、物理的に歌詞しか頭に入ってこないということではありませんが、昔から音楽というものが好きでありながら、曲の構成というものや音楽理論なんかはまったく知らない人間でした。ギターを始めてからは「音」も意識するようになったので、かなり世界が広がりましたね。今まで聴いてきた数々の音楽が、より一層深みを増しました。

…という話は、今回は本題から逸れてしまうので、ここまでにして。
曲を「歌詞」で聴くタイプの人間、という部分が、今回の本題です。

歌詞というものには、誰しも少なからず心を動かされることがあると思います。元気を出したいときには前向きな歌詞を聴いたり、泣きたいときには自分の心境に近い歌詞を聴いて涙したり。
ラブソングに共感してきゅんとしたり、失恋ソングを聴いて感傷に浸ったり…。

そうです、このラブソングにこそ、呪いが宿るのです。

わたしはラブソングにかなり共感・感情移入するタイプなので、その時々の相手との関係が近いモノだったり、心境に近いモノにはとくに惹かれて、同じ曲ばかり聴くことも多いです。
そうすると何が起こるかというと。月日が流れて、また別の誰かを好きになったとして。ふと、昔何度も聴いていた恋の歌を耳にして、そのときの相手のことを思い出す。
これが、わたしの言う「呪い」です。

その相手に未練があれば、あえて何度もその曲を聴くこともあります。これはもう、自分で自分に呪いをかけにいっているに他ならないのですが、それでもやっちゃうことがあるんですよね。
あとは逆に、つらくなるからその曲が当分聴けなくなるなんてこともあります。たとえば、楽しい恋愛をしながら、楽しい恋の歌を聴いていたのに、失恋なんてした日には、もう…。

あと、どんな恋愛をしているときにも、必ず聴きたくなる歌もありますね。
…わたしの場合、正確には「どんな失恋をしたときにも」なんですが。
その曲は、スガシカオさんの『サナギ』です。

家畜に名前がないように あなたの名前を忘れてしまうの
思い出して泣いてしまうよりも あなた自体を消してしまうの

そんな日がいつか やってくるのでしょうか
あなたとの日々が もう許されるのでしょうか
そんな日がいつか やってくるのでしょうか
素晴らしい日々が いつの日か…

サナギ 作詞作曲:スガシカオ

この曲は高校生くらいの頃から、かれこれ10年くらい聴いています。(曲自体は2005年に出ていて驚き…。もうそんなに前なのか…。)

引用させていただいた部分は、失恋したばかりのときにはめちゃくちゃに刺さります。大体そんな歌詞を聴いているときは、まだ未練があるので。
中高生の頃とかハタチそこらのときなんかは特にそうだと思うのですが、「このヒトよりも良いヒトなんてどこにもいない」って、思いがちじゃないですか。そう思っていても、なんだかんだそのうち見つかるものなのですが。
でも少なくともわたしは、失恋したばかりの頃に次のこと考えられるほど、前向きでも強くもない人間です。
なので、この曲を聴いて、「忘れられる日なんてくるのかなー」とか、「もっと良いヒトなんて、いるもんなのかなー」とか考えては、感傷に浸りがちです。これも、軽い呪いみたいなものですね。

でも実はこの曲、未練を断ち切ることができたときにも、わたしはよく聴いています。この曲を聴きながら過去の恋愛を振り返って、「やっと忘れられた」「やっと次に進める」と自分の気持ちを再確認したりします。

だからわたしはこの曲を、つらいときにもよく聴きますが、それとは真逆の前向きな気持ちのときにも聴くんですよね。
そんな、恋愛が絡んでいる限定的な時期にしかあまり聴かない曲ですが、長年ずっとずっと、大好きな曲です。
わたしにとってこの曲は、呪いでもあり、それと同時に祈りでもあります。

次に、ボカロPのkeenoさんの歌は、酷く共感できます。特定のどれかではなくて、どの歌も刺さります。
keenoさんの書かれる歌詞に登場する女の子は、ひとりのことをずっと想い続けている…つまり、ずっと未練があったりだとか、好きなヒトは自分ではない誰かを見ているだとか、いわゆる都合の良いオンナ、みたいなコが多くて…。どのポイントにもとても共感できてしまって、何度泣かされたことでしょう。(※もちろん褒めています。)
そのあまりにも繊細で、それでいてストレートにその失恋の痛みが伝わってくるような歌詞であふれていて、ほんとうにどの曲を聴いても泣いてしまうので、一時期は聴けない心境のときもあったほどです…。

でもkeenoさんの書かれる歌詞の中にも、前向きに歩いて行こうとする女の子の姿が垣間見えることもあるのですが、その比率はあまりにも低いです。
それがまた、リアルで良いんですよね。
実際問題、楽しい恋愛よりつらい恋愛のほうが多くないですか…?
ひとりの男に未練たっぷりで、薄暗い気持ちを抱えてずっと塞ぎ込んでいて、でもそんななかで、ちょっとだけ頑張ってみよっかな、って一歩踏み出すような瞬間をkeenoさんの歌の中から見いだせたとき、世界が少し色づく感じがするんです。

というわけで、keenoさんの曲はほんとうにどれも大好きなのですが、そんな、世界が色づく瞬間を感じられるような曲を紹介させていただきます。


わたしは常々、「歌には呪いが宿る」と考えていたのですが、次に紹介させていただくのは、このエッセイをいざ書こうと思ったキッカケの曲です。

それはこちら。DAOKOさんと米津玄師さんの、『打上花火』です。この曲は数年前、当時想いを寄せていた相手とカラオケに行ったときに、デュエットした曲です。いっしょに歌おうと誘ったのはわたしのほうだったのですが、単にデュエットがしたいという考えが大きく、このときはあまり深く歌詞の内容まで考えていなかったのですが…。

パッと花火が(パッと花火が)
夜に咲いた(夜に咲いた)
夜に咲いて(夜に咲いて)
静かに消えた(静かに消えた)
離さないで(離れないで)
もう少しだけ(もう少しだけ)
もう少しだけ
このままで

打上花火 作詞作曲:米津玄師

ここの掛け合いを、歌うまですっかり忘れていたのですが、歌っている最中、切なさを覚えたことを未だに覚えています。

そんな曲がつい先日、たまたまYouTubeのミックスリストで流れてきたものですから。そのとき想いを寄せていた相手に対しては、今ではまったく未練の類のものはないので、今となっては「呪い」と呼ぶのは相応しくありません。(つまり、一時期は「呪い」が宿っていたということですね。)
ですが、懐かしい気持ちにはなりましたし、思い出の曲には変わりありません。
このエッセイを書くキッカケとなってくれたことにも、感謝しています。

さて、ここまでわたしにとって思い出の曲、そして大好きな曲でありながら、呪いが宿ってしまったラブソングを紹介してきましたが。
最後は、今のわたしにとって、反対に「祈り」のような曲を、紹介させていただこうと思います。

それは、天野月さんの『ビューティフル・デイズ』です。

天野月さんは昔から大好きなアーティストで、正直「呪い」が宿った曲も今まで多数ありました…。人間の心の闇とか、つらく悲しい恋愛とかを、生々しく描写されている歌詞があふれていて、わたしはそれがとても大好きです。

ですが、『ビューティフル・デイズ』は、つらい過去の片鱗を小脇に抱えつつも、明るい現在、そして未来を歩んでいこうとするような、明るくて力強さを感じられる曲です。

君が放り出したあたしという生命は
愛に包まれ生きてます

忘れたいものだけ上手に忘れてゆく
君がくれた 醜い火傷の跡など
ひかりの中で溶ける

ビューティフル・デイズ 作詞作曲:天野月

この曲は発表された2016年当時から聴いてきたはずなのですが、この歌詞がわたしに刺さったのはつい最近のことで。
そこも音楽や歌詞の持つ不思議な力だとわたしは思っているのですが、何度となく聴いてきた歌も、その歌詞に当てはまるような状況になってから聴くと、今までとはまるで違う歌のように聴こえてくるんですよね。(まあ、そういった面でも、わたしはつくづく「歌詞」で音楽を聴いているなあ、と思うわけですが。)

愛に包まれている、とまで言うのはおこがましいと思うものの、今わたしは、恋愛的な意味に限らず、たくさんの大好きなひとたち、そして大切なひとたちに支えられ、認められて生きていると思っています。

ほんの数年前までは、わたしの自己肯定感は地の底に着くどころか、地中に潜るほどに低かったのですが。そのせいもあってか、「呪い」が宿った曲も多かったです。

そんなわたしが数年前、とある男性に出会ってから、自己肯定感は驚くほどに爆上がりし、あんなに嫌いだった自分自身のことを、好きだと思えるようになったのですが。
幸せは永遠には続かないということも、忘れてしまっていたんですよね。彼が突然姿を消して、わたしはまたどん底まで落ちました。今まで味わったことがないほどの幸せを身に受けていた分、失ったときに宿った「呪い」の数も、果てしなかったのです。

わたしはこのとき、「音楽」というものを自由に聴くことすらできなくなっていました。どんな歌詞の中にも彼の面影を見てしまい、泣いてしまうからです。その呪いは、あまりにも重かった。

そんな中でとあるバンドに出会うわけですが、それはまた別のお話し。…と言いたかったのですが、これを語らないことにはこのエッセイが着地しないので、ほんの触りだけ。
今は名前を伏せますが、このバンドというのがコミックバンドでして、彼らの「音楽」の中には、彼の影はどこにもありませんでした。それが当時のわたしにとって、どれだけ救いだったか。
それどころか、わたしはまた新しい光を見つけました。いわゆる「推し」ですね。

そんな光によって、わたしの呪いは、少しずつとかれていきました。

そして今のわたしには、「呪い」の宿った曲は、ひとつもありません。

だけどどの曲も、「呪いが宿っていた」という思い出も込みで、今でもずっと大好きな曲ばかりです。

これからも「音楽」を、色んなかたちで楽しんでいきたいなーと、心から思っています。


空き缶

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