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【映画感想】空気人形 ※ネタバレ注意!

※サムネイル画像はイメージです。
※この記事はネタバレを含みます。
※「Filmarks」でも、空き缶の名前でレビューを書いています。似通ったレビューが見つかる場合がございますが、同一人物ですので悪しからず。

記録

鑑賞日:2022年10月15日(※2度目の視聴)
鑑賞方法:DVD(レンタル)
評価:4.5/5.0


数年振り、2度目の視聴

甲子園出場の際のコピーみたいな見出しでスタートしますが、今回こうして感想を書くために、見直しました。
重要な部分は覚えているのですが、細部まで思い出したかったのと、覚えている…と思っている部分も、ちゃんと再確認しておきたいなーということで。
まず、そう思えるくらいには面白い作品であるということを伝えたかったのです。

退屈させない、丁寧な情景描写と心理描写

今回数年振りに見るにあたって最初にひとつ驚いたことが。それは、この作品が約2時間あるということ。
「そんなに長かったっけ?」と思いながら見始めたら、すぐに謎がとけました。見出しタイトルにもしていますが、情景描写も心理描写もとても美しく丁寧で、物語の序盤から何ひとつ無駄を感じなかったからです。

よく、セリフもナレーションもなく、静かに登場人物の心情を表すようなシーンがありますが、どうも上手く心情が伝わってこなかったり、伝わるには伝わるけど、「ちょっと長くない…?」と感じてしまったりすることって、正直多いと思うんですよね…。
その点この作品は、”言葉”のない部分にも、意味がしっかりと詰まっています。

また、ただすれ違うだけのヒトや、たまたまそこに居合わせただけのヒト…いわゆるエキストラのポジションの人間にすら、存在意義を持たせる作品です。なんでもないような日常のひとコマも、空気人形の彼女にとっては新鮮で、人間というモノを学ぶための教材で。それを、見ているこちら側にもしっかりと伝えてくれます。

徹底された、空気人形との日々の営み

あえて、「営み」という表現を用いたのですが、彼女は空気人形…つまりラブドールなので、性生活という意味も込めさせていただきました。

持ち主の秀雄は、ただ性欲処理に使うだけでなく、その日に職場であったことの愚痴を話したり、公園でデートをしたり、お風呂に入れたり…まるで本当の人間を相手にしているかのように振る舞います。
この異様さが、また良いんですよね…。

ただ、公園でデートをする際は彼女を車椅子に座らせて、時間帯はだれもいない夜間です。ここでも人間相手のように話しかけるのですが、キスをしようとする直前に、周囲の確認をしたのは、果たして「公園でキスをする」ことへの後ろめたさだったのか、それとも「空気人形にキスをする」ことへの後ろめたさだったのか…。
いずれにせよ、そういう些細なところに”人間味”を感じられるのも、どのシーンからも目が離せない理由のひとつです。

また、いくら人間のように扱っていても、空気人形である事実は変わりません。事後にホールを洗っているシーンでは、並々ならぬ哀愁を感じました。わたしは女なので、実際の心情と比較できないのが少し残念とすら思うくらいには、そうしているときの秀雄の虚しさが伝わってきました。

空気を入れるシーンは、あまりに官能的

秀雄という持ち主がいるものの、心を知ってしまった空気人形は、他の男性・純一に恋をします。恋に落ちていく過程も、とても繊細に描かれていて、見ているこっちも切なさを覚えます。

バイト先の店長に好きな男がいるか聞かれたときに、「心を持ったので、嘘をつきました」っていうのも、あまりにも美しすぎるじゃないですか…。

そしてこの映画の中で一番ときめいたシーンと言えば、彼女が釘を引っかけて、空気が抜けてしまったシーンです。
自分が空気人形であるということを知られて、そして空気が抜けていく姿を見られて、それがひどくつらくて、「見ないで」と力なく言った瞬間には、彼女の乙女心があふれていました。

純一は、そんな彼女の姿を見て驚きはしたものの、咄嗟の判断でセロハンテープを持って来ます。そして、彼女のお腹にある線から空気を吹き込むのですが…このシーンが、あまりに官能的。それは決して”空気人形”にとっても愛撫ではないはずですが、彼女の恥じらう表情は色っぽくて…。
彼の息によってカラダが膨れていく様子は、彼女の心が満たされていくことの比喩のようにも思えました。

その一件があったあと、純一とのやり取りではなく、なんでもないような日々の中に彼女の浮かれた気持ちを投影していたのも、あまりにセンスが良すぎると感じました…。

同じだけど、同じじゃないゆえに生まれた悲劇

この作品のあらすじを調べようと思ったところ、

「空気人形 怖い」

って候補が出てきたんですけど、その通り。ラストは唐突なホラーで、良い意味で面食らいましたね。
…いや、これまでに彼女が学んできたことを思い返したら、彼女にとっては唐突でもないのだろうけど。彼女は、あくまでもこれまでに出会ってきた人たちに教えてもらったことを、実践しただけなのです。

純一が、「自分も同じ」だと言うから、同じことを返すのが愛情表現だと思ったんですよ。だから彼の空気を抜こうと刃物を手にし、そして抜けた空気を自分の空気で補おうとした…。人形師が「役目が終わったラブドールは燃えないゴミ。人間も燃えるゴミだから、同じようなモン。」って言ったから、命を失った純一をゴミ捨て場に出してきた…。
「人間」の目線からすれば、彼女がやったことはあまりに猟奇的です。が、彼女は空気人形なので、事の重大さをわかっていなくて、全然彼女に悪気はないのです。だからって、そこに終着点持っていくんだ…というような感想は持ちましたけど…。

純一のあの独特な性癖と、誤解を生む言い回しによって、起きた悲劇ですね…。
さらに元をたどれば、彼女が空気人形であるゆえに、目覚めてしまった性癖でもあるわけでして…。
でも空気人形からしたら、どうしてあの悲劇が起こったのかという理解がままならないのが、また良い。あの冷たい空気感というか、ぞくぞくさせる感じも魅力のひとつでした。

どこまでも”人形”なのが、たまらなく好き

たくさんの言葉の意味を勉強して、心を持って恋をして、嘘をつくことを覚えた。それでも、ビニール特有のカラダの線は消えないし、カラダは冷たいし、中身は空気だし、彼女が「空気人形」であることには変わりない…。
これが、この作品の最大の魅力だと、わたしは思っています。

というのも、ラストに「ヒトならざるモノがヒトになる」ハッピーエンドって、ちょっと違くない?って思っちゃうことがあるんですよね。
作品の設定や、それまでの流れなどによっては、ヒトになるのもありだなーと思うこともあるのですが、どちらかというと、あくまでも最後まで「ヒトならざるモノ」と「ヒト」の恋を通してくれるほうがわたしは好みです。

そういうわたしの好み・要望が満たされていたのが『空気人形』。

元の持ち主の秀雄が、彼女をまるで人間のように扱っていた、ということを前述しましたが、でも実は「空気人形だから、良い。」と思っていたことが、終盤になって判明します。てっきり、独りでに喋ったり動いたりすることを喜ぶかなーと思いきや、人間のように面倒な感情を持つ人形なんて要らない、という考え方には、少し感心してしまいました…。
人間のように扱ってはいても、あくまでも「空気人形」だからこその良さをそこに見出しているのは、良いなあと思いました。ただそうなると、それは「恋」とはちょっと呼べないわけですが。

空気人形が恋した彼も、「空気人形だからこそ」叶えてもらえる欲望を、彼女にぶつけているわけで。彼の場合は秀雄とは違って、それしか彼女の存在意義がないというふうには見ていなかったと思いますが、ふたりとも「空気人形に求めるモノ」が明確にあって、すごく良かったと思います。

「ヒトならざるモノ」と「ヒト」の恋って、異なるはずのモノ同士が、どこか同じ部分を見出すのも、魅力のひとつだと思っています。
この作品においては、”空虚感”が大きなテーマとなっていますが、純一の「自分も同じ」というのは、自分も満たされていないという意味で。”空気人形”は、自分が空気人形だから中身、つまり心も空っぽなんだと思っているけれど、そうじゃないということを理解するのは、彼女にとっては少し難しかった。
そういう切なさが詰まった、素敵な作品でした。

この作品の感想を書いたことによって、他にも「ヒトならざるモノ」と「ヒト」との恋について描かれている映画について語りたくなったので、近々書きます!記事が完成したらこの下に添付しようと思っているので、良かったらそちらも読んでやってください!


空き缶

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