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【エッセイ】推し事のために、お仕事を辞めた。※と言っても、無職ではない。

まず、これを2022年最後のnote投稿とするのですが、もうひとつ書きたい内容の候補がありました。でも、やっぱこれかな~という感じで、この題材にしました。

わたしには、元バンドマンの推しがいます。「元」というのも、今年の11月に「卒業」という名の脱退をしたからです。これから書く内容で、推しが誰なのかピンとくる人も多分いるかと思いますが、わたしのほうからは名前は伏せて書かせていただきます。

推しを好きになった瞬間のことは、今でもよく覚えています。去年の1月末頃、初めて推しのバンドのMVを視聴して、ギタープレイと笑顔に一瞬で落ちました。
バンドの存在自体はそれよりも前から知っていたものの、初めて曲を聴いたのも、明確に好きになったのも、そのときでした。

推し歴は決して長いとは言えませんが、元々歴にこだわるタイプではなかったことと、彼のことはあのタイミングだったからこそ好きになったと思っているので、「もっと早く好きになっていれば…」みたいなことを思ったことは一度もありません。それは、卒業の発表があったときも同じです。

少し話が行ったり来たりしてしまいますが、わたしの「性質」をひとつ語らせてください。
わたしは「多趣味」と言ったら聞こえが良いですが、多趣味なヒトによくありがちな「広く浅く」の典型で、それは「ヒト」に対してもそうでした。
音楽のジャンルも色々と聴くので、好きなアーティストさんも多くて。お笑いも好きなので、芸人さんや落語家さんの中にも特定の好きなかたがいたり、YouTubeも好きなので好きな活動者さんがたくさんいたり…。
そんな好きなヒトたちのことも、「広く浅く」になってしまいがちです。

さらにもっと酷いのが、飽き性だということ。
インストールしてすぐは何時間もかけて熱心にやったゲームアプリを、2日目にはアンインストールしてしまう、とか。
良いな、と思って登録したYouTubeチャンネルも、2~3日後に「やっぱ違うかも」と思って解除してしまう、とか。

もちろんすべてがすべて、これらの例に当てはまるわけではないけれど、まずは「飽き性」の部分を突破して、そこからさらに「広く浅く」を突破するモノ・ヒトは、非常に少ないです。

そんなわたしが、こんなにも好きになったヒトは、バンドは、わたしの中の「特別」以外に、なんと表現ができるでしょう。
それほど推しはわたしにとって唯一でいて、誰よりも一番なのです。

前置きがかなり長くなりましたが、ごめんなさい、ここからが本題です。
わたしはハタチくらいの頃から、副業としてライターをしていて、本業はアルバイトでした。しかしいつしか、有難いことにライターの稼ぎのほうが良くなり、本業と副業が逆転しました。
アルバイトは簡単に言うと接客業だったのですが、接客以外にもやることがたくさんあって、それがわたしにはとても楽しかったので、アルバイトを辞める気もなかったです。それで、6年半くらい勤めました。

そんな中、推しのことを好きになって、いつでも推しのライブやイベントに行けるようにしたい、という理由で、アルバイトを辞めました。
つまり、タイトルにある「お仕事」は、副業のほうですね。タイトル詐欺にもほどがある。
まあでも、「お小遣い程度」とは言えないくらいの額は稼がせていただいていたので、ライターで十分な稼ぎがあっても、すぐには辞めようとは思わなかったんですよね。前述通り楽しかったのもありますし、人間関係も良かったので。

それなりの収入を得ることができて、楽しくて、人間関係も良好な職場。そんな職場を辞めてでも、わたしは「推し事」を一番に優先したかったんです。
それくらい推しのことが好きになっていたし、何よりも、絶対に後悔しない推し活をしたいという気持ちが強かったです。

わたしがアルバイトを辞めたのは、今年の6月中旬で、ちょうど推しのバンドの全国ツアーの発表があった頃でした。
もちろん、アルバイトを辞めること自体はそれより何ヶ月も前から決まっていましたが、ナイスタイミング!と思いましたね。(まあ、夏には全国ツアーやるだろうし、という予想はある程度していましたが。)

そして7月から9月にかけて、わたしの中の基準で、なるべく多く、でも無理はない範囲で、を満たせるほどにはライブに参戦して、全国ツアーファイナルの翌日に、推しの脱退発表がありました。
発表後すぐは、これから先わたしはちゃんと前を向いて歩いていけるのだろうか?という不安に酷く襲われていましたが、違う道に進んで夢を叶えたいという、後ろ向きではない脱退、つまり「卒業」という形でバンドをあとにすること、そして、違う道とは言っても、音楽の道ではあるということもあって、これからも彼を応援していきたい、好きでいたい、と心から思いました。

そして何よりも、わたしはこれまで、後悔のない推し活をしてこれた、と、そう思えたからこそ、ショックは少なく済んだんだと思います。
もちろん発表後も、卒業のときまで出来る限り多くのライブやイベントに行こうと改めて強く決心し、それを実行しました。

アーティストやアイドルの脱退発表や解散発表があるとよく耳にするのが、「もっとたくさんライブに行っておけば良かった」という言葉。
わたしも今までに、他のアーティストやアイドル、お笑い芸人、YouTuberの脱退や解散が決まった際に、何度も何度も口にしてきました。
その経験があったからこそ、余計に「後悔のない推し活をしたい」と思っていた部分もありました。

それをまさか、実現できるとは思わなかった。
いくら歴は気にしないと言ったって、無理のない範囲で、でも自分が納得できるくらいにはライブに足を運べたとは言ったって、「やっぱりもっと早く好きになりたかった」とか「さらに多くのライブに行っておけば良かった」とか、最終的には思うんじゃないか、なんて考えたこともありました。

でも卒業発表のあとにも、そして卒業ライブのあとにも、強がりなんかじゃなくて、心から、「後悔のない推し活だった」と思えたんです。
「ああしていれば良かった」じゃなくて、「こうしていて良かった」と思えるような推し活が、こんなにも幸せだということを、初めて実感しました。

ちょっぴりスピリチュアルな話になってしまうかもですが、あのタイミングでアルバイトを辞めると決意したのも、何らかの直感があったのかな、なんて思ったりもします。
わたしにとって、正しい選択だったのだと思っています。

推しはこれからも音楽活動を続けるのですが、表舞台に顔を出すことはほぼないようで、それが寂しいという気持ちは当たり前にあります。
それでもこれからも、推し続けていきたいなあと思っています。

「これからも好きでいたい」なんて言葉も、これまでにたくさんのアーティストさんたちに対して、何度も言ってきました。
でも時間が経てば、緩やかにその感情は薄れていって、次第に消えてしまったりという経験も、何度もしてきました。
それでも…、いいえ、だからこそ、彼のことはこれからも好きでいるんだろうな、と、強く思います。

「これからも」「ずっと」なんて言葉は、どこか呪いじみていると、歳を重ねるごとに感じることが多くなる。
だけどわたしは、四六時中推しのことを思い続けるとか、そういう「ずっと」ではなくて。
たとえば、ふとした瞬間に推しの笑顔が頭に浮かんだり、推しの奏でるギターの音色が頭の中で流れたりして。そうしたときに、「ああ、好きだなあ」と思える瞬間が、生活の中に溶け込んでいるような、そんな日々が「ずっと」続けば良いと思っています。

最後に、この言葉を。わたしの言葉ではないけれど、この言葉の重みを実感したわたしから、推し活をしているすべての人に伝えたいです。

推しは推せる時に推せ!!

空き缶

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