見出し画像

【エッセイ】感情には、消費期限がある

…なんだか既存のコピーのような気がして、怖くて一応ググってみたら、似たような有名なフレーズ(というか名言)がヒットしてしまいましたが、わたしの伝えたい内容とは異なっているように思えたので、書いてみようと思います。

まず、「消費期限」という喩えを用いたわけですが、似たフレーズにおいては「鮮度」という喩えが使われていました。が、わたしが消費期限と表現したかったのは、それと酷似することを避けるためではなく、それなりの理由があります。

感情、と一口に言っても色々あります。楽しいとか嬉しい、あるいは悲しいとかつらいとか。
たとえば、仕事でなにか嫌なことがあったとします。このときに抱く感情は、「嫌」ももちろんあるし、「悲しい」があるかも知れないし、「怒り」もあるかも知れない。
さて、これらの感情だけのことを指して、「時間が経てば忘れる」と言うのであれば、鮮度という表現で済まされるのでしょうが、わたしはもう一歩踏み込んだところまで考えたい。

わたしは、このとき抱いた感情について、「時間が経てば忘れる」と楽観的に考えられるタイプではありません。嫌なことがあれば、それを吐き出して発散したいと考えるタイプです。とは言っても、もうそれなりにいい大人ですから、昔ほどなんでもかんでも口に出すようなことはなくなりましたが、時にはどうにも我慢できないこともあります。
そういった、どうにも我慢できない状況に陥ったときに、誰かに弱音や愚痴をこぼすとします。でも、その判断に時間を費やしてしまうと、「そんな前のことをまだ引きずっているのか?…と、思われはしないだろうか?」なんて、また別の悩みがでてきたりするんですよね。で、こういうときは大体、「やっぱやめとこ。」になる。

では、「やっぱやめとこ。」になったら、どうなると思いますか?高確率で、モヤモヤしませんか?
これが、「鮮度」ではなくて、「消費期限」という表現である必要性の答えです。
鮮度が落ちただけなら、まだ安全には食べられるかも知れない。けど、消費期限が過ぎたものを食べたら、お腹を壊す可能性がありますよね。
だから、食べるかどうか…つまり、その感情のやり場をどうするかの判断は、はやくしなければならない。
行き場を失った感情は、心に消化不良を残すのです。

他の例を挙げてみましょう。あなたは、誰かに「好き」と言えずに、後悔したことがありますか?
わたしとしては、こっちのたとえのほうがしっくりくる…というか、そもそもこれが本題なのですが。

行き場を失った「好き」という感情は、どんな感情よりも厄介だと思っています。たとえるならば、ずっと楽しみにとっておいたスイーツが、消費期限を過ぎてしまって、どうにも食べられなくなってしまったような。行列に並んで、あるいは何ヶ月も予約待ちをしていて、やっと手に入れたのに。

ヒトは、「どうしてもっと早く食べなかったのか?」と言うでしょう。でも、食べてしまったらなくなってしまうのがもったいなくて、ギリギリまで大事にとっておいたら、ついに期限を過ぎてしまった。そして、泣きながらゴミ箱に捨てる。人間というのはどこまでも複雑な生き物ですから、他人からしたら不可解な行動をとってしまうことだって、あるのです。

さあ、このスイーツを好きという言葉に置き換えてみてください。
大好きで、とても大切で、でも言えば今の関係が壊れてしまうかも知れない。そう思っていたら、いつしか自分の元から離れていってしまった。
それはもう、酷い消化不良を起こすことでしょう。

「次会ったときに、言おう。」

好きという言葉に限らず、次がやってくる保証はどこにもないのです。

ヒトとして、大人として、何でもかんでも口に出すことはできないので、負の感情を孕むような愚痴や弱音なんかは飲み込んで、時に消化不良を起こすことはあります。
しかし、大好きな人に、大切な人に、その気持ちを伝えることは、躊躇いたくないものです。

上手くオチていない気がしますが、書きたいことは書けたと思うので、以上です。
唐突にこんなことを書きたくなったのですが、その衝動にもまた、消費期限が設けられていたのだと思っています。


空き缶



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?