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ミサワホーム研究会(仮)レポート『住宅技術者のプライドがGOMASをつくった』

住宅というのは多くの人にとって最大の生活必需品であって、おおよそそれを趣味の対象とする人間がいようとは想像もできないという人も多いことと思われる。まして私はほとんどミサワホーム専門で、一企業の商品についてここまで固執するのも異様と思うが、それでも常日頃マニアックな話をSNSでつぶやいていたら、本職や専門家の方から興味を持っていただけることもあり。今回、某大学の先生からお持ちの資料を拝見する機会をいただき、寂れた孤立地帯の北陸から一大工業地帯である愛知県へと馳せ参じた次第である。



前置きはそれくらいとして、さすが、なかなか手に入らない貴重な資料が盛りだくさんであった。とてもすべてについて書ききれないが、今回は平成初期に発売されたGOMASという商品について、ミサワホームの商品史における技術的および商品企画的な重要性、またそこから住宅を供給する側がどのような意識を持つべきかという点ついて、拙文ながら思ったところを記しておきたい。なお、以下趣味であり研究にあらず、おそらく情報の不正確や調査不足も多々あり、ご容赦願いたい。



さて、このGOMASという不思議な商品名は、ミサワホームが70~80年代に発売し好評を博した規格型商品群に由来する。その中核であり住宅商品最大のヒット作である「O型」は、当時としては異端であった総二階建てを日本の来るべき生活様式に落とし込み、単調な箱型にならないよう絶妙なデザインでパッケージ化した傑作商品である。間取りを固定とした規格型であるからこそ、一級のデザインと住文化の理想を掲げ、規格型ならぬ企画型として大成功を収めた。この企画型商品はその後、より小ぶりで若年層向けの「A型」から豪華で大柄な「G型」まで取り揃えられ、その隙間をミドルサイズの「M型」、より保守的な「S型」が埋めることで完成となった。これらひっくるめて通称GOMASというわけであるが、今回述べる平成初期発売のGOMASはこれを正式に商品名としたもので、まさにこの初期の企画型商品群のリバイバル版ということになる。



正直、私はこのGOMASについてよく知らなかった。世の中にごく少数存在するミサワホームマニアの中の多くは、同社の全盛期ともいえる初期の商品群の愛好家であり、また日本の戸建て住宅全体への影響度という意味でも、研究対象として述べられるのはもっぱら昭和のGOMASである。平成初期に商品化されたGOMASは、いわば偉大なる初代をリスペクトした復刻商品で、時代に合わせてアップデートした以上の意味はないと思い込んでいた。ところが今回、さまざまな資料を拝見する中で、期せずしてこのGOMASの重要な意味、その断片を知るところとなった。



まず技術的な観点から述べると、このGOMASは現在のミサワホームの工法の直接的な基礎であるといってよいと思われる。ミサワホームの木質パネル工法は升目状に組んだ芯材に両側から面材を接着した木質パネルを基本の構造単位とし、そのパネルをさらに接着組み立てすることで住宅の構造体を形成する。この基本構造は創業時から大きく変わらないが、GOMAS以前は設計自由度に対しパネル寸法の種類が多く、生産効率改善と低コスト化の面で課題があったという。



ミサワホームは基本モジュールに尺貫法を用いている。ところが初期の企画商品の図面には、尺貫法に当てはまらない微妙な寸法が記されている。これは例えばデザインのために開口部を外壁線からへこませる際に、居室との取り合いで半端な数値になったり、あるいはオーバーハングを設ける際にそれを軒下に収まる出幅に調整したりする場合にみられる。デザイン重視はミサワホームらしくもあり、技術者としてもデザイナーとしても優れた才能を持つ三澤千代治氏のこだわりゆえであろうと想像できる。



これに対し、GOMAS以降はパネル幅の基本単位を3尺(910mm)とそのハーフ(455mm)およびクオーター(227.5mm)の三種類とし設計ルール化。またパネル高さも一階層分の階高の9尺(2730mm)を基本とし、そこから0.5尺刻みの数種類に限定した。



また、例えば切妻屋根を考える場合、屋切り(妻面の三角形の部分の壁)の形状は屋根の長さと勾配によって何通りにもなる。さらに寄棟、入母、片流れと屋根形状のバリエーションを増やすほどにパネル種類が多くなる。桁下げにする場合の軒面の壁パネル寸法も屋根勾配に左右されるため、また種類が増える。自由設計でそうなったものは特注扱いで割増料金を取るにしても、規格型だけを考えてもこれが相当な数になり、多すぎるパネル種類の中でも特に屋切りパネルの割合が特に高かったという。



これに対してGOMASおよび同時期の商品では、屋根勾配を限定することにより問題を解消した。GOMAS以前は、デザイン重視のためか商品ごとに異勾配、ヤネカベ、特殊な寸法の軒下増築と、なんでもござれの状態だった。それを1/12、1/3、1/2、2/3、1/1の五種類の勾配に限定し、各勾配と屋根形状との組み合わせも制限。これにより特殊な寸法のパネルが極力発生しないようにした。なお、これはヘンテコな屋根形状により差別化を図る60年代的な(いわゆるパビリオン建築的な)流行が落ち着き、比較的オーソドックスな形状の住宅が好まれるようになったことも関係するとみている。



さらに、屋根構造自体も見直された。GOMAS以降、屋根の骨組みに鋼製梁を使用し、隅木を支持する梁や束が不要になった。これにより室内を屋根伝いに勾配天井にしやすくなり空間効率が向上しただけでなく、屋根パネル自体の割り付けルールも単純化でき、設計効率が改善された。



これらの設計ルールは現在もほぼそのまま踏襲されており、スキップフロアや高天井、蔵といった現在のミサワホームのアイデンティティを下支えしている。ゆえにGOMAS以降の木質パネル工法こそが現在のミサワホームの工法の基礎であり、それだけでもGOMASの技術的な重要性を語ることができる。しかし単純に仕様を限定するだけではコストとともに設計自由度も低下し、商品の画一化、ひいては商品力低下につながる恐れもある。GOMASは設計生産効率の向上と同時に設計自由度の向上も目論んでいた。それこそがGOMASのもう一つの側面、商品企画的な重要性である。



いうまでもなく、部材寸法を規格化することで設計生産効率を向上させた分の余力を、そのまま多品種展開に注ぐことで画一化を防ぐ手もあるだろう。一方で長屋、団地の時代は遠に過ぎ、日本人はバブル景気を経て目も肥え、ことさら個の主張を重んじ、要するにわがままになった。邸別設計の完全注文住宅がもてはやされる時代にあって、規格型ではなく企画型といえども同じ形の建物がご近所に複数建ち並ぶことはよしとされない。しかし、企画のミサワには一家言ある。生産性向上によるコスト低減こそがプレハブ住宅の本道、そして設計士の技量に左右され質の悪い名ばかり邸別設計が乱発されるよりも、考え抜かれ研究され尽くした高設計品質の企画型にこそこだわりたい。



その結果開発されたのが、GOMASのスーパーフリー設計であった。これは要するに、設計自由度の段階分けである。完全にそのままで建ててください、がそれまでの規格住宅であるとするなら、ある程度まで変更可能なものは新世代の規格住宅、基本コンセプトは保ったまま大部分を自由に設計できるものは新世代の自由設計住宅といえよう。これら三種類を一つの商品に内包したものがスーパーフリー設計のGOMASというところだ。当然、後ろに行くほど費用はかかるが、設計自由度は高く邸別設計にお客さんは満足。優れた商品性はメーカー商品としての企画型のレベルを担保できるという寸法だ。



実は、これも現在の同社商品ラインナップのベースとなる考え方で、現在企画型(規格型)と呼んでいるものは商品により完全規格型に近いもの(SMART STYLE Roomieなど)からわりと大きな設計変更を許容するもの(SMART Brands WSなど)があり、自由設計の中でもある程度設計コンセプトが明確で個別の商品名が付与されるものについては、カタログモデルをベースとしたデザインクオリティを再現できるようになっており、これらはスーパーフリー設計の考え方そのものといえる。また、物価高騰により規格住宅が再考される今、競合他社においてもセレクトフリー、セレクトオーダーといった設計自由度を区分する考え方を導入している例があり、GOMASはまさにこれを先取りしていたともいえる。



さて少し話がそれるが、今回資料を見せていただきつつお話をお伺いして興味深いと思ったものの中に、滋賀県の住宅の話があった。これは一言でいえば滋賀県が住文化のるつぼになっているという内容である。同地は農業、漁業、工業といったさまざまな産業における関西都市圏への供給元であり、その影響から多様な住文化が共存する。見た目も性質もさまざまな住宅が入り乱れることはともすると景観の不統一にもつながるが、景観とは画一的であればいいものではなく、なかなかに難しい。



北陸への帰路、琵琶湖をかすめて長浜の国道を北上していた際に、田園風景の中に突如として異様な光景を目にした。それは同じ形の住宅が数百戸に渡って建ち並ぶさま。例えば戦後のバラックや団地ブーム前後の公営住宅などでは、効率性からこのような不自然なほど画一的な風景が作り出されることもあったが、どうもこの場所はそうではないようだ。各建物にはその見た目にふさわしい無機質な数字が割り振られ、建物群の中央には大きな工場がある。推測だが、どうもこれは郊外に工場を建設するにあたり、社宅のようなものが必要になってこしらえたもののようだ。なるほど社用車がみな白いライトバンになるのと同様に、会社の用意した社宅が意匠性の高い個性豊かな邸宅群になるはずもなく、外壁の節約のため東西に長くに連なった各戸の南面には、等しく同じ掃き出し窓、同じ庭が用意され、それは言葉を選ばずに言えば、さながら飼育小屋の様相である。



私はそこに、産業が住文化に与える影響の一端を見た気がした。ハウスメーカーが工業製品としての住宅を大量供給する際、ともするとこのようになる可能性もある。景観は、たしかにてんで好き勝手に個性的では良いようにまとまらない。しかし無個性に画一的すぎてもまるでダメだ。これらは結局、邸別設計か規格型かとか、効率をとるかニーズをとるかだとか、表面的な部分ばかりとらえてしまうのが間違いのもとなのだと思う。重要なのは根底にある美意識や理想の、軸をどこに置くか。住宅は芸術作品ではないが段ボール箱でもない。実用に供すること、しかし文化的であり情緒的であること。住宅を供給する側はそれをよく考えるべき。エゴではなく矜持を持つべき。一家言持つべきだ。



平成初期はバブル崩壊を受けてコスト意識が高まる一方、文化的成熟とともに人々は個性を求め、それは住宅商品の高価格化につながる。相反する要件に板挟みになりつつミサワホームの提示した答えは、あくまでも供給する側のこだわりも捨てないGOMASの開発ポリシーだった。そしてそれは三十年後の現在にも基礎として引き継がれる。物価高騰、人口減少、環境対応と課題山積の昨今、住宅商品はともすると何かを割り切り、諦めがちではないだろうか。日本の住宅かくあるべしという理想を決して捨てなかったGOMASに学ぶことは多いと思う。

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