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Air/まごころを、君に

1月23日にシン・エヴァンゲリオン劇場版の公開を控え、期間限定で上映中の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版Air/まごころを、君に」を観て来ました。

僕は新劇でエヴァに出会ったので旧劇及びテレビシリーズを知りません。もちろんNetflixで繰り返し何度も観たけれど、実際にリアルタイムで映画館に足を運んで鑑賞した人達の感動はスマホの画面では味わえない。

90年代の日本に社会現象を巻き起こした新世紀エヴァンゲリオンの劇場版をスクリーンで観れるとは思いませんでした。圧倒的感謝。

平日レイトショーながらそこそこ客席が埋まったスクリーンに入る。コカコーラをちびちび飲みながら予告を眺めているとシンエヴァの本予告が流れた。それまでざわざわしていた客席が一瞬で静まり返る。

さらば、全てのエヴァンゲリオン。万感の思いがこめられた緒方恵美さん演じる碇シンジからの最後のメッセージ。

とにかく楽しみ。待ち遠しい。どんな結末であれ受け入れるけど、願わくばシンジにもアスカにもミサトさんにも幸せになって欲しい。

25話 Air

使徒との戦闘で敗戦が続き、さらにシンジに負けた事による自信喪失、使徒による精神攻撃、そして加持リョウジの死によって完全に自我崩壊を起こし、寝たきり状態になったアスカ。

もうこの時点で既に辛い。アスカだけじゃなくシンジも精神が限界の状態。トウジがフォースチルドレンに選ばれた辺りから確実に話がおかしくなっていった。

ずっとユニゾン合宿していて欲しかった。病む前のアスカとシンジがひどく懐かしい。

エヴァのテレビシリーズは序盤から中盤にかけては比較的「観れる」内容ですが、終盤に進むにつれて視聴者の精神を蝕む展開になっていく。これこそがエヴァの真骨頂だと歓喜する人もいるようだけど。

ゼーレによる人類補完計画が発動し、ネルフは戦略自衛隊の総攻撃を受け壊滅状態に。

これでもかと言わんばかりに人が死にます。ネルフ職員は非戦闘員含め無抵抗の人間が次々と射殺されていく。

自らの命を捧げ、ジオフロント最深部に眠る第二の使徒リリスを守る事でサードインパクトを阻止すべく奮闘していたはずの特務機関ネルフ。

一つ気になるのは彼らは一体どこまで人類補完計画について知っていたのか。

勘の良いミサトは加持からの情報を得て色々探っていたようですが、それ以外のネルフ職員から人類補完計画について詳しく言及されるシーンはあまりありません。

シンジやアスカの口から人類補完計画の人の字も出て来ていない。

彼らはゼーレ、あるいはゲンドウの望む理想の世界の実現のために犠牲になる事を受け入れていたのか。それとも本当に何も知らされていなかったのか。

どちらにせよ、迎えた現実は惨すぎるものでした。普通のアニメならここまで正義の立場にあるはずの人が死ぬシーンなんてまずない。苦境に陥る事はあっても最終的には救われる。ヒーローが後から遅れてやって来る。

だけどエヴァは違います。誰も来ない。誰も救われない。徹底的に蹂躙される。みんなの大事なものが壊されていく。

そんな地獄の様な状況でアスカが覚醒し目を覚ます。この劇中において唯一希望が持てる場面。

弐号機に魂を宿す母親の愛情に気付き鮮やかな復活を遂げるアスカ。戦略自衛隊の戦闘機を圧倒し獅子奮迅の活躍を見せる。

しかし満を持して上空からあの忌まわしきエヴァ量産機が投下される。S2機関を搭載した殺しても死なない白い悪魔。奮闘するも次第に追い込まれ窮地に陥るアスカ。

そんなアスカをよそに身動きが取れない初号機の前で蹲ったまま動かないシンジ。命を懸けたミサトの願いは微塵も彼に届いていなかった。

シンジなんか当てにしていられないと叫ぶアスカ。でも本当はマグマダイバーの時のようにシンジが助けに来てくれるのを待っていたはず。

普通のアニメならヒロインのピンチに必ず主人公が現れます。美少女の目ん玉が飛び出して肉体が剥き出しになるなんて事はありません。目に槍が刺さるなんて事もありません。

でもやっぱりエヴァは違う。アスカは救われない。新劇でもそうだったけどいつも彼女は誰よりも酷い目に遭う。

最悪の状況でようやく覚醒する初号機。もうちょっと早く来て欲しかった。アスカを助けに来て欲しかった。

26話 まごころを、君に

量産機に喰い尽くされた弐号機の残骸を見て絶叫するシンジ。エンドロールを挟んでトラウマシーンを二度も見せてくれるサービス精神たっぷりの庵野監督。

ユイの復活を目論みレイの身体の中に手を突っ込むも「彼女」はシンジを選び、見捨てられるゲンドウ。

正直ここから先のシーンは何度観ても完全に理解する事ができません。むしろ観れば観るほど分からなくなる。

インターネットに乱立している誰かが書いた考察記事を読んで理解を深めるのも良いかもしれない。 

でもせっかく観るのだからたとえ間違っていたとしてもエヴァは自分なりの解釈で楽しむべきだと思います。

遂に成される人類補完計画。

全員がオレンジジュースになった世界。他人が存在しない世界。自分も存在しない世界。否定されない世界。けれど肯定もされない世界。

突如映し出される実写映像。庵野監督はじめ当時エヴァを制作していたガイナックスへ向けられたであろう罵詈雑言の言葉の数々。

放火予告ともとれるような書き込みもあったらしい。京都アニメーションのあの忌まわしい事件のような事が起きていたかもしれない。

醜いほどの憎悪と悪意にまみれた現実世界。少々やり過ぎなのではとも思いましたが、きっと庵野監督をはじめ当時の制作陣の方々がそれだけの苦悩を抱えながら生きていたのだろう。

僕一人の夢を見ちゃいけないのかと問いかけるシンジ。それは夢ではなくただの現実の埋め合わせだと答えるレイ。

夢は現実の続きにある。

補完計画の世界から元いた世界へ戻ったシンジとアスカ。

アスカの気持ち悪いの台詞で終わる映画。

照明が付き現実世界へと帰った映画館の静まりかえった雰囲気。静寂というより困惑に満ちた沈黙。

JOKER観た後もこんな感じだったような。

以下個人的な感想。

僕自身社会との関わりを拒絶して自分の世界に閉じこもりながら生きていた経験があるので痛いほど分かるのですが、人間一人で生きていく事はまず不可能だと思います。

自分だけの世界。他人に否定されないけど誰からも必要とされない。どこにも居場所がないから寂しい。

街ゆく人が全員他人の世界。誰かに会う楽しみがない世界。人を敵か味方かでしか判断できない世界。白か黒かでしか物事を考えられない世界。ひどく空虚でつまらない世界。

本当は誰かに認められたいけどそれ以上に拒絶されるのが怖い。否定されるのが怖い。だから否定される前に相手を拒絶する。でも本当は誰かに受け入れて欲しい。この繰り返し。

結局ゲンドウがあそこまでユイに固執したのは自分自身を無条件で受け入れてくれる唯一無二の存在だったからなのかなと思います。

最後までユイにこだわり続けたゲンドウと母親と決別し他人と向き合う覚悟を決めたシンジ。

だからレイはシンジを選んだのかもしれない。

そこのお前も自分の世界に閉じこもってないで現実と向き合って生きろと説教をされたような気持ちになるこの映画。

宮崎駿監督がアーヤと魔女の制作インタビューの中で「生きにくいこの世の中で隙間をこじ開けて味方を作り、ちゃんと生きていく事が今一番足りていない」と仰っていましたがそれと同じ事なのだろうか。

現実世界はそんなに悪いものではないのかもしれない。味方になってくれる人はきっとどこかにいる。

この映画を観た自分なりの解釈を書き記してみた。

新劇場版とは違う味と魅力を持つ旧劇。

シンエヴァが俄然楽しみになってきた。どんな物語が待っているのだろう。

23日に無事公開されますように。

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