平成くん、さようなら

「平成くん、さようなら」(著:古市憲寿)は、もう10回は読んだと思う。
この本に散りばめられたカタカナはまさに「今」そのものだった。

違うといえば、安楽死が合法された世界だということ。
平成が始まった日に生まれた平成くんは、論文や小説などを発表するうちに、時代の寵児として、メディアでもてはやされていくものの、逆説的に「この時代の終焉が自分という存在の終わりである」と考えるようになる。
そしてある日、恋人の愛ちゃんに改元とともに安楽死をしたいと告げた。
愛ちゃんはそれを受け入れられないまま2人は今の時代に生きていること、死ぬことの意味を問い直していく内容だった。

この本の面白いところは、平成の日本社会がドールハウスのように、本の中に形成されていることだった。
ビックコンテンツの著作権者の娘である愛ちゃん。生まれた時にはお金がなかった平成くんとの経済格差。
性的接触を好まない平成くんの合理的な性格。
そして、現代社会ならではの固有名詞を多く使うことによって物語に時代性を持たせ、過去を創り、時代の終わりを示していた。

私は自殺を肯定もしないし、否定もしない。
ただ、現在日本は不自由せず生きることができ、多様性だとか言われる時代になったのに、生きることが正義かのように執着し、生を崇拝し、愛に依存する。
死に着実に向き合えないのに、死を刑罰とも使い、死には選択肢が少ないことが当然のように日々の営みを繰り返してきたことを初めて不思議に思った。

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