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タイドラマ事情 ー外出自粛をきっかけに拡大した人気と経済圏ー

コロナ禍の巣ごもり需要で、日本では昨年から急激にタイドラマのファンが増えているそうです。

毎年駐日タイ王国大使館が主催し、東京の代々木公園をはじめ日本全国各地で開催されていたタイ・フェスティバルも、今年はオンライン化し、東京では「タイドラマフェス」として開催されました。

「タイフェスティバル」は以前は「タイフードフェスティバル」として開催されていたほどで、タイの魅力としてまずは「食」が打ち出されていたものですが、昨年2020年は新型コロナウイルスの感染拡大への懸念から開催が延期になったままになっていました。食の魅力はオンラインイベントでは共有しきれなかったと思いますが、ドラマをテーマとしたイベントは、事前抽選制の小規模会場とオンライン中継の同時開催といういつもとは違った形での開催でも、多くのタイ好きを引きつけ、例年のフェスタとはまた違った盛り上がりを見せていました。

人気のタイドラマ「Yシリーズ」とは?

 近年急激な伸びを見せているというタイドラマの人気は、特に男性同士の恋愛を描いた作品を嗜好するファン層があり、日本でタイの作品が人気を博するだけでなく、日本の作品がタイで支持されているなど、相互の乗り入れが起こっていることが特徴です。

そういった男性同士の恋愛を描いた作品は以前からBL、ボーイズラブと呼ばれていましたが、タイドラマについては「Yシリーズ」という用語が使われています。このYの語源は、日本語の「やおい」。すなわち「山なし、落ちなし、意味なし」の頭文字からきています。物語性に乏しい二次創作物を指して使う言葉だったものが、いつしか、(主に女性愛好者を対象とした)男性同士の同性愛を描いた創作物を指す言葉として定着したといわれるものです。「やおい」と称しつつも、山場も結末もあり、視聴者が多様性について考えさせられる意味深い作品もあり、タイのYシリーズは日本のみならず世界の国々で視聴されています。LINEタイランドが展開する「LINE TV」は、昨年から東南アジア、南米など、世界19の国と地域でYシリーズなど40作品の配信を始める(日経新聞2020年10月)など、観光大国であったタイがあたらしい経済圏を築く大きな可能性として、タイドラマの市場には期待が集まっています。

期待される新たな経済圏

Yシリーズのファンは女性が多いといわれていますが、一度彼らの熱烈な支持を得ることができれば、市場は自然に膨らんでいきます。

たとえば、YouTubeに公開されているドラマには、日本語など各国の翻訳字幕がついているものが多くありますが、実は公式が作ったのは英語字幕だけという場合がほとんどで、他の言語の字幕は、YouTubeの機能を使いファンがボランティアで作成したり、修正し合ったりしたものだったりします。それも英語からの機械翻訳ではなく、かなり細かいタイ語のニュアンスを拾っているものや、解説をいれているものもあり本格的です。

ファンのなかには「自分が好きになったものの良さは、ほかの人にも伝えたい!」という強い熱を持つ人も多く、宣伝効果は抜群。オンライン上でのファン同士の交流が盛んで、SNSのハッシュタグやファンコミュニティの掲示板などで情報はすぐに拡散されるため、タイではYシリーズの共演で人気を博した俳優たちは、そのままカップリングされて他の番組や広告に起用されることも少なくありません。
これまでは西洋的な顔立ちの”美女”を商品イメージにすることが多かった化粧品メーカーが、人気の男優をプレゼンターとして広告塔に採用したり、コラボ商品を展開することで話題をよび、ヒットを飛ばしているという例もあります(PRTIMES)。
そんなドラマ人気の影響も手伝い、タイの化粧品は日本でも評価が高まっており、「タイコスメ」としてひとつのジャンルになっていることもあります。

ドラマが異文化理解の入り口に?

タイのドラマがきっかけで、コスメなどの製品だけでなく、タイの社会や文化に興味を持ったという日本のファンも増えています。

わたしは非常勤で大学の講師の仕事をしているのですが、タイの事例を使って授業をすると、受講生から「ドラマでみました」といった反応が来るようになりました。なかでもやはりタイのジェンダーの多様性について関心を持つ学生は多く「なぜ、タイの社会はLGBTsが多いんですか?」という質問を受けることもあります。
同性愛の発生しやすい社会と発生しにくい社会の差というものも、皆無ではないでしょうが、おそらくそれ以上に重要なのは、同性愛がタブー視されやすい社会とタブー視されにくい社会の差ではないでしょうか。

理由はひとつではありませんが、これには多くの場合、宗教がかかわっています。『旧約聖書』を聖典とするユダヤ教、イスラーム、キリスト教が、同性愛を厳しく禁止していることはよく知られています。性的マイノリティーに対する厳しい迫害がある国々は、上記いずれかの宗教を国教としているか、植民地時代の影響などによって宗教的価値観の影響を受けている国です。
 日本の場合はというと、古来から寺院や武家社会、歌舞伎の世界を含め、「男色」は一般的なことで、同性愛が禁止される法律はなかったはずです。しかし明治維新以降、近代化=西洋化の波により、「西洋のものはなんでもよいもの」といった、無批判にアメリカやヨーロッパの生活形態や慣習を取り入れる風潮がうまれます。文明開化のなかで、キリスト教的価値観が根底にある欧米、西洋社会の模倣から、日本は一夫一妻制の異性愛だけが正しいものとされる社会にかわってきました。
 他方で国民の大半が熱心な仏教徒であると言われるタイでは、あるがままを受け入れるという仏教の教え、つまり他者を否定せずに敬意を払う姿勢や、今この瞬間を精一杯生きるといった思想が育まれており、性的マイノリティに厳しい眼差しが注がれる社会とは一線を画しているといえます。東南アジアで唯一、ヨーロッパ列強からの植民地支配を受けることなく独立を守ったタイは、特にモンクット王の世で天文学をはじめ西洋の学問、先進文明を積極的に学ぶ一方、仏教をはじめとした伝統的な思想や自国の価値観を否定することなく、近代化を遂げたことが知られています。西洋の制度や思想を妄信的に取り入れるわけでも、理由もなく拒むのでもなく、まず学び、理解したうえで都度、元々の暮らしや価値観と照らしながら良いものは取り入れ、合わないものは変容させていく姿勢があり、ひとつにはそれがタイの多様な価値観を守ることにもつながっているのではないかとわたしは思っています。

多様性が守られてきたタイ社会

現在でも、タイは他の文化圏からの新しい文化の流入に寛容でありつつも、自国の伝統にも誇りを持っており、外来のトレンドに独自のアレンジが加えられることもあります。
 たとえば、日本のお茶はタイでも人気がありますが、タイで販売されているペットボトル飲料の日本茶は多くが加糖の甘いものです。熱中症予防の意味もあってか、タイでは生搾りのフルーツジュースであってもシロップを入れるほどで、水以外の飲料には甘みをつけるのが一般的なためです。日本で一般的に飲まれているものとは異なることを知っている人も、「本当の日本茶じゃない」などと批判することはなく、それはそれとして美味しく飲んでいます。ほかにも回転寿司としゃぶしゃぶが融合した和食チェーンが大人気であったり、和服に影響をうけたタイコットンの羽織が流行したり、他の文化圏のものをタイ風にアレンジした製品は中途半端な模造品、本場の製品に劣るものという扱いではなく、独立したトレンドを成すものとなっています。
 また、英語ひとつとってみてもそうです。タイ語特有のアクセントを恥じることなく堂々と話していたり、語尾にタイ語の敬語表現の「カァ」「クラップ」をつけたり、人称代名詞をタイ語に置き換えることで、英語では表現しきれないニュアンスを伝えるアレンジをすることもあり、言語ですらもおおらかに使われています。

しかしそんな寛容な価値観を有するタイであっても、性的マイノリティへの差別が全くないわけではありません(日本と比べずっとずっとずーっと少ないといえますが)。同性愛を前世の業と捉えたり、HIV感染と短絡的に結び付けてしまう考え方が一部に存在することが一因です。特に職業に関しては、芸術、理容、美容業界についてはセクシュアル・マイノリティが就きやすい一方、大企業や公務員には就職が難しいと考えられている部分があり、社会的地位のある人のなかには、自らのセクシュアリティや嗜好を隠しながら、異性愛者を偽って社会生活を送っている人も少なくないといわれています。

タイのドラマ、小説、映画の登場人物には以前から性的マイノリティも登場してきました。恋愛群像劇には同性カップルが登場することもありますし、三角関係に同性愛が絡むこともあります。そういった脇役や挿話ではなく、メインストーリーに同性愛が描かれるのがYシリーズということになるのですが、そのキャラクター像にも特徴があります。明るく前向きなムードメーカーといったステレオタイプイメージで性的マイノリティを位置づけるのではなく、異性愛者と変わらないそれぞれの個性がある人物として演じられます。
Yシリーズや一般的に「やおい」と呼ばれる作品は、元々同性愛の嗜好を持っていたわけではない、むしろ異性にも好意を抱かれるような男性が、ある相手に出会うことによって葛藤しながら同性愛に落ちていくという描写があり、セクシュアルマイノリティ当事者からは必ずしも支持を受けていないこともあります。

賛否がある部分ではありますが、こういったジャンルがニッチ市場ではなく、広く一般に楽しまれるものの選択肢として位置づけられていくことで、タイだけでなく日本においてもLGBTsの多様性や個性へのイメージが変わり、偏見がなくなることにつながっていくことが期待されます。



2021年5月発行 日・タイ経済協力協会(JTECS)発行『日・タイパートナーシップvol.169』pp39-41掲載

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