ねぇ、生きててたのしい?3


高2のいつだか。私は猛烈に学校を辞めたくてしかたなかった。
周りにまず馴染めず、かなり孤独であり
その孤独を感じる集団の中に浮いている自分がたまらなく嫌だった。
話しかけたい人にも話しかけれない。友達も、ひとりが嫌でしかたないから関わっていた。


まだ、入学当初は、まだ、気持ちの盛り上がりがあった。
ワクとドキである。
ただ、クラスが割り当てられ、まわりが溶け合うように仲良くなっていく中、同じ中学のメンバーがちらほらいるくらいだけを感じ、知らない人に話しかける行為がとてつもなく苦痛だった。

同じ中学の人間も、知っているだけで仲がいいわけではなかった。

次の移動教室行こうよ!
連れあう女子をみて羨ましかった。声をかけることもかけられることもなかった。
高一は孤独とのたたかい。友達がいない自分とのたたかい。
友達が質が高いかなんかより、人数がいたらいただけいい高校時代という体感は
友達がいない私にはつらい体感だった。

やっかいなのは、友達がいなくても平気だという強がりと、
楽しくない人の話にわざわざ入りたくないという相反した価値観があり
なにが楽しいんだろう?といった会話でキャピる女子のグループが分からなかった。正しく言えば、わからないわけではない。私が嘘で笑えない人種で、孤独も辛かったがその孤独に耐えれずに嘘で笑うという行為もできず逃げ場がなかった。


リストカットは、中二の時、少女漫画で知った。
その前には、漫画で過食嘔吐する内容が出てきた。

私は感化されやすいらしい。
すぐに真似をした。

当時は思春期で自分の体型が嫌いだった。
周りと比べても体が大きかったし、華奢ではなかった。

記憶によれば、過食嘔吐を知ってから
はじめて吐けたときの込み上げる感動は今も思い出せば新しい。
食べたものを自分で吐き出せる。というのは、本当になんだか神秘的なのである。

しばらく食べたものを吐いていた。
コンビニで、家から盗んだお金で大量に食べ物を買い、帰宅し食べて夕食も食べて吐いていた。


「アヤ、吐いてるの?」


トイレにこもり無我夢中で吐いていたとき
後ろから扉越しに声がした
母だった

咄嗟に怒りが湧き、

「吐いてないよ!」

と不機嫌に言い返した。
と同時に動悸がした。バレている、と

そこからは食べるのをやめた。
たべてもヨーグルトなど

思春期の体でごはんを食べないというのはかなり危険で、私はずっと眠たかった。
体育の授業で

「アヤちゃん痩せた?」

と、同級生に言われた時

そんなことないよ。と言いながら歓喜で内心狂気に乱舞っていた。
そういえば自分が立っていて目を下に落とした時の横側からの足の視覚面積が減った気がしていたのだ。


そこらへんでは、部活動でも、弁当を持たせてもらっても、食べて学校で吐いていた。
和式トイレで吐くというのは、とても大変だった。
すっきりすると、部活動に戻っていた。

思えば私の初めての自傷行為というのは、食べ吐きだった。

この食べ吐きとはのちとても長く付き合うこととなった。
私は今でこそ過食嘔吐はしていないし、二度としたいとも思わないし
あのコントロール不可能になる恐怖感には思い出すだけでもかなり恐怖だが
隣合わせとしても、もうならないだろう、と思っている。
MAX159.5cm、57kgくらいあった体重は
10代で41kgまで落ちた。そこから今は49か50くらい。の今。
見た目だと50あると思われないらしいが体重計は50でチカチカする。
食にもこだわりや興味が無くなった。
お腹がすいたらたまに居酒屋や、大戸屋、サイゼリヤ、マックなどにひとりで行き食べ物を食べている。

あんだけ執着があった食べ物も、もはや燃料という認識で
たまにちゃんと自炊したりお弁当を作るYouTuberや、インスタ、ドラマや映画をみては
感化され、一瞬は作るのだが
全く続かず最近はおにぎりが1番たべやすい。

おそらく食べれば太るのだけど、食べないから痩せているんだと思う。今は。そして今は、食べたいという強い気持ちがあんまりない。

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