ねぇ、生きててたのしい?5

たのしくはなかったかもしれない
やりたくてやったものごとはなかったかもしれない

心からたのしくて自分を爆発させるのがすきだった
ちいさなころちびまる子ちゃんのおどるポンポコリンで陽気に踊ったり

おばがこの野菜嫌いと食べないと
なんでおばさんはいいの?とか

幼稚園のときちんたらする男子に舌打ちするとか

縄跳びたくさん飛べてご褒美に抱っこされるの好きだったし

読み書きははやくできたし

運動会の時みつけられやすいように赤いハイソックス履いたり


本来の私はそういうタイプかもしれない。


かもしれないというのは、そのままで生き続けなかったから
可能性としての問題。
本来快活でもわがままでも
そのままで生きれるとは限らない。


わたしはそのままでは生きれなくなるタイプだった
小さいからと許された爆発的な個性
天真爛漫さというのは


よくある幼少期に終了した。
小学生途中あたりからうまくやれなくなった

からだの成長が人より早かった
胸の大きさでいつもいじられていた
ブラジャーがわからないので乳首に絆創膏をはったりした


小六の時に女の子がすきになった
そのとき女の子がすきな同級生も情報もなかった

毎日お風呂に入る前に両腕で乳房を左右にのばしてぺったんこに憧れた

女の子と話せるようになって毎日緊張しながらも、話せることが嬉しかった。
その子は背が低く、顔が可愛かった。
私と話すのを、たのしそうにしてくれたり
転校するまで一緒に帰ろうよ。と約束した


私は小六の二学期という微妙すぎる時期に福島に転校した。

当たり前だが、新しい環境で、
うまくやれる
そんなわけなかった


ほぼ卒業間近のできた集団のかたまりに
とけこむスキルなんてなかった

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