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山伏体験記 vol.2

「祈りは、表現である」

山伏修行中、
月山山頂にて先達の声(音)を通し強く感じたこと。

「祈りは、表現である」

先達の声(音)は優しく愛に溢れていた。
その“音”に反応し涙が溢れてきたのを今でも覚えています。

多くの人の想いを自らの身体を通し、
祈りとして表現していく。

その“音”は言葉の必要性を感じさせなかった。

***

東京に戻った今でもジワジワと感じるものがある。

「祈りは、表現である」
「月」といワードから沸いた歌を歌わせてもらいました。

歌の完成度は低いですが、今の自分にできる「祈り」のスタイルです。

「ツキヨノニジ」
https://youtu.be/EFIt_BMTbJc

***
「祈りは、表現である」と同時に…
『祈りは、自分のやり方でいい』

この言葉は先達の本にも書いてある言葉です。

誰かや何かを思い、手を合わせること、これが祈りの本質。

歌ってもいいし、踊ってもいい。

祈りのスタイルは、表現のスタイルは自分で決めていい。

===

「祈りとはこういうものだ!」とう概念が、
祈ることを難しくし、日常から祈りを遠ざけたんだと思います。

でも、本当は、祈りとはもっと日常的であって
もっと自由であって、何かに囚われるものではないのだと思う。

そんなことを強く感じた修行でした。

「表現」も、同じ。
本来、表現も難しいものではなく、
日常的で、自由であって、心を豊かにしてくれるもの。

そして、
人や人、命と命などと「繋いでいく」行為でもあると僕は思っています。
「祈り、表現し、繋いでいく。」

***

「月」は、
僕らの見えないところ隠したいことを照らしてくれる。

その月あかりがあるからこそ、僕らは僕らでいられるのだと思う。

山頂で感じたこと、とても不思議な感覚。

月山の頂上で歌ってみたかったなぁ。

===

他者の評価や自意識を一切交えることのない、
純粋で、自然そのものである表現の領域を、
この身体でもっと体験し、体現していきたと改めて想う、今日。

#山伏修行
#山形
#月山
#先達
#祈り
#表現
#歌
#まだまだ
#祈りとしての表現
#もっと修行したい

「祈りは、表現である」

山伏修行中、
月山山頂にて先達の声(音)を通し強く感じたこと。

「祈りは、表現である」

先達の声(音)は優しく愛に溢れていた。
その“音”に反応し涙が溢れてきたのを今でも覚えています。

多くの人の想いを自らの身体を通し、
祈りとして表現していく。

その“音”は言葉の必要性を感じさせなかった。

***

東京に戻った今でもジワジワと感じるものがある。

「祈りは、表現である」
「月」といワードから沸いた歌を歌わせてもらいました。

歌の完成度は低いですが、今の自分にできる「祈り」のスタイルです。

「ツキヨノニジ」
https://youtu.be/EFIt_BMTbJc

***
「祈りは、表現である」と同時に…
『祈りは、自分のやり方でいい』

この言葉は先達の本にも書いてある言葉です。

誰かや何かを思い、手を合わせること、これが祈りの本質。

歌ってもいいし、踊ってもいい。

祈りのスタイルは、表現のスタイルは自分で決めていい。

===

「祈りとはこういうものだ!」とう概念が、
祈ることを難しくし、日常から祈りを遠ざけたんだと思います。

でも、本当は、祈りとはもっと日常的であって
もっと自由であって、何かに囚われるものではないのだと思う。

そんなことを強く感じた修行でした。

「表現」も、同じ。
本来、表現も難しいものではなく、
日常的で、自由であって、心を豊かにしてくれるもの。

そして、
人や人、命と命などと「繋いでいく」行為でもあると僕は思っています。
「祈り、表現し、繋いでいく。」

***

「月」は、
僕らの見えないところ隠したいことを照らしてくれる。

その月あかりがあるからこそ、僕らは僕らでいられるのだと思う。

山頂で感じたこと、とても不思議な感覚。

月山の頂上で歌ってみたかったなぁ。

===

他者の評価や自意識を一切交えることのない、
純粋で、自然そのものである表現の領域を、
この身体でもっと体験し、体現していきたと改めて想う、今日。

#山伏修行
#山形
#月山
#先達
#祈り
#表現
#歌
#まだまだ
#祈りとしての表現
#もっと修行したい

「祈りは、表現である」

山伏修行中、
月山山頂にて先達の声(音)を通し強く感じたこと。

「祈りは、表現である」

先達の声(音)は優しく愛に溢れていた。
その“音”に反応し涙が溢れてきたのを今でも覚えています。

多くの人の想いを自らの身体を通し、
祈りとして表現していく。

その“音”は言葉の必要性を感じさせなかった。

***

東京に戻った今でもジワジワと感じるものがある。

「祈りは、表現である」
「月」といワードから沸いた歌を歌わせてもらいました。

歌の完成度は低いですが、今の自分にできる「祈り」のスタイルです。

「ツキヨノニジ」
https://youtu.be/EFIt_BMTbJc

***
「祈りは、表現である」と同時に…
『祈りは、自分のやり方でいい』

この言葉は先達の本にも書いてある言葉です。

誰かや何かを思い、手を合わせること、これが祈りの本質。

歌ってもいいし、踊ってもいい。

祈りのスタイルは、表現のスタイルは自分で決めていい。

===

「祈りとはこういうものだ!」とう概念が、
祈ることを難しくし、日常から祈りを遠ざけたんだと思います。

でも、本当は、祈りとはもっと日常的であって
もっと自由であって、何かに囚われるものではないのだと思う。

そんなことを強く感じた修行でした。

「表現」も、同じ。
本来、表現も難しいものではなく、
日常的で、自由であって、心を豊かにしてくれるもの。

そして、
人や人、命と命などと「繋いでいく」行為でもあると僕は思っています。
「祈り、表現し、繋いでいく。」

***

「月」は、
僕らの見えないところ隠したいことを照らしてくれる。

その月あかりがあるからこそ、僕らは僕らでいられるのだと思う。

山頂で感じたこと、とても不思議な感覚。

月山の頂上で歌ってみたかったなぁ。

===

他者の評価や自意識を一切交えることのない、
純粋で、自然そのものである表現の領域を、
この身体でもっと体験し、体現していきたと改めて想う、今日。

#山伏修行
#山形
#月山
#先達
#祈り
#表現
#歌
#まだまだ
#祈りとしての表現
#もっと修行したい

「祈りは、表現である」

山伏修行中、
月山山頂にて先達の声(音)を通し強く感じたこと。

「祈りは、表現である」

先達の声(音)は優しく愛に溢れていた。
その“音”に反応し涙が溢れてきたのを今でも覚えています。

多くの人の想いを自らの身体を通し、
祈りとして表現していく。

その“音”は言葉の必要性を感じさせなかった。

***

東京に戻った今でもジワジワと感じるものがある。

「祈りは、表現である」
「月」といワードから沸いた歌を歌わせてもらいました。

歌の完成度は低いですが、今の自分にできる「祈り」のスタイルです。

「ツキヨノニジ」
https://youtu.be/EFIt_BMTbJc

***
「祈りは、表現である」と同時に…
『祈りは、自分のやり方でいい』

この言葉は先達の本にも書いてある言葉です。

誰かや何かを思い、手を合わせること、これが祈りの本質。

歌ってもいいし、踊ってもいい。

祈りのスタイルは、表現のスタイルは自分で決めていい。

===

「祈りとはこういうものだ!」とう概念が、
祈ることを難しくし、日常から祈りを遠ざけたんだと思います。

でも、本当は、祈りとはもっと日常的であって
もっと自由であって、何かに囚われるものではないのだと思う。

そんなことを強く感じた修行でした。

「表現」も、同じ。
本来、表現も難しいものではなく、
日常的で、自由であって、心を豊かにしてくれるもの。

そして、
人や人、命と命などと「繋いでいく」行為でもあると僕は思っています。
「祈り、表現し、繋いでいく。」

***

「月」は、
僕らの見えないところ隠したいことを照らしてくれる。

その月あかりがあるからこそ、僕らは僕らでいられるのだと思う。

山頂で感じたこと、とても不思議な感覚。

月山の頂上で歌ってみたかったなぁ。

===

他者の評価や自意識を一切交えることのない、
純粋で、自然そのものである表現の領域を、
この身体でもっと体験し、体現していきたと改めて想う、今日。

#山伏修行
#山形
#月山
#先達
#祈り
#表現
#歌
#まだまだ
#祈りとしての表現
#もっと修行したい

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