リベンジ

 俺は一年間、この日のためだけに生きてきた。今でも目を閉じると浮かんでくるのは、一年前のあの苦い思い出だ。

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 今日は町内の運動会。子どもたちにいいところを見せなくてはと、俺は気合十分だ。妻には、「張り切りすぎて、ケガしないでよ。もう年なんだから」と言われたが、俺がまだまだ動けることを証明するいい機会だ。スタートラインの後方で出番を待つ俺は、緊張と不安と興奮とが入り交じったような、うまく表現できない感覚に襲われていた。俺が出るのは、「『お父さん、見直したよ』って言ってもらえる借り物競争」だ。難易度や体力で出走枠が細かく分かれていたが、あまり深く考えず、とりあえず参加者が少ない所にエントリーした。同じレースに出るお父さん連中の顔を、横目に見る。眼鏡を掛けたオタク系、七三分けの昭和系、真面目そうな公務員系。

(このレース、もらった)

 思春期のせいか、最近少し娘に避けられ始めている。そんな娘が、「お父さん、やっぱりすごいね」と笑顔で話しかけてくれるシーン、小学三年生の息子が、「パパ、かっこいい!」と満面の笑みを浮かべるシーン、妻が、「あなた、やるじゃん。見直しちゃった」と喜んでくれるシーン。それらが幾度となく頭に浮かんだ。

「続いての組は、『さすがお父さん、こんなのもわかるんだ』です。第一のコース……」

 いよいよだ。名前を呼ばれた俺は、軽く家族に手を振り、観客席に向かって頭を下げた。

「位置について、よーいどん」

 俺たちはみな、一心不乱に紙が置いてあるエリアを目指す。やはり俺が一番速い。勝利を確信した俺は、周りを観察する余裕さえあった。一番に紙の前に立った俺は、目の前の一枚を手に取り、すぐさま中を見た。

「?」

「!」

 誰かが俺を勝たせてくれるために仕込んだとしか思えない紙だった。すぐさま息子を呼んだ。

「おーい、しん。来てくれ。早く」

 俺の声に反応して急いで駆け寄ってきた息子は、興奮気味に俺に聞く。

「パパ、紙に『子ども』って書いてあったの?」

「いや、お前の名前が書いてあったんだ。パパが一位になるように、誰かが簡単にしてくれたかな」

 そんな言葉を交わしながら、俺は息子と手をつなぎ、ゴールテープを切った。レース前に思い描いていた通り、ぶっちぎりの一位だった。

「パパ、やったね。一等だよ」

 笑顔を見せる息子の脇で、何やら審判員たちが協議している。俺は不穏な空気を感じ、その中の一人に尋ねた。

「何かルール違反とか、ありました?」

「いや、そういうわけではないのですが……」

 気まずそうな顔でそう答える審判員。

「あなたが『借りてきた物』は、息子さんですよね?」

「はい」

「どうしてですか?」

「えっ? どうしてって、息子の名前が書いてあったから。逆に私も、どうしてうちの息子の名前が書いてあったのか、聞きたいですよ」

「ボク、ごめんね。名前を教えてくれる?」

 俺の説明を聞いた審判員が、息子に話しかけた。

「鈴木心太(しんた)です」

「心太くん、いい名前だね。ありがとう」

 審判員がこちらに向き直して言葉を続けた。

「失礼いたしました。ルール上何も問題ないとわかりました。一位確定です。おめでとうございます」

 審判員が何に困り、何を確認したのか。どこが問題になりそうだったのか。全く把握できなかったが、俺は促されるままに息子とともに表彰台に上り、賞品を受け取った。

 後から知ったことだが、俺の出走枠は、「難読漢字」というくくりだった。そこで俺が手に取った紙には、息子の名前、「心太」と書かれていた。そして俺は、驚くべき事実を知らされた。「心太」は「ところてん」とも読むのだそうだ。これまでの人生、「ところてん」を漢字でどう書くかなど、知らずに生きてきた。自分の無知加減も恥ずかしかったが、それ以上に、息子に「ところてん」と読めてしまう名前を付けた自らの愚かさが許せなかった。

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 一年前の光景は、脳裏にしっかりと焼き付いている。息子のことをどことなく気の毒そうに見つめていた審判員。表彰台の俺ら親子を鼻で笑い、軽蔑を含んだ視線を送った連中。そして、息子を憐れみつつも、陰で名前のことを馬鹿にしていた輩。

俺はあの日、心に誓った。リベンジを果たすと。次こそ、文句なしのぶっちぎりで優勝し、表彰台の上で奴らの尊敬の眼差しを浴びながら、奴らを見下ろしてやると。

俺は高鳴る鼓動を抑え、スタートラインに立った。

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