記憶

僕は周りの人から、「明男さん」と呼ばれている。本当の名前は……、わからない。

 一週間前の空がうっすらと明るくなる時刻、僕は全身ずぶ濡れの状態で発見され、保護されたらしい。その時のことは、全く覚えていない。その後しばらくは、検査入院。入院中に身元を示すものが何一つ見つからなかったこと、僕自身が記憶を失っていたことから、退院後は施設を紹介された。そしてそこで、医師のサポートを受けながら、記憶の糸をたどって以前の生活を取り戻す治療を行っていくこととなった。

 

入所当日、所長室へあいさつに向かった。

「これからは、明男さんと呼ばせてもらうよ。もちろん自分の名前を思い出したら、すぐに言ってくださいね」

 明け方に保護されたから、「明男」と命名された僕。僕は見た目から三十代後半だと判断された。そこで、同じ年齢層の男性職員が、小学校の時に流行ったアニメ、中学時代の流行歌、成人前後の頃に日本で起こった震災や大事件の話など、事あるごとにしてくれた。しかしどれも、初めて耳にすることばかりで、ピンとくることはなかった。

 心理カウンセラーは週に二回、僕の深層心理に刺激を与えるようなカウンセリングを施してくれた。というのも、僕の脳には異常もダメージも、みとめられなかったのだ。僕は記憶を失ったのではなく、何らかの心的原因から意図的に記憶を封印したというのが、医師の見解だった。カウンセラーは毎回、あの手この手で僕の心に様々なことを訴えかけてくれたが、残念ながら今のところ、僕の頭にも心にも、何も響くものがない。

 自分はどこから来たのか、何者なのか、どうしてこのような状態になっているのか。一つも答えが見出せない僕は、風に翻弄されるシャボン玉のように危うい存在だった。以前のことを思い出すことが善だと言わんばかりに、周りは記憶回復のために手を尽くす。それが僕には、無言のプレッシャーとなってのしかかる。早く思い出して周りの人々に恩返ししたい、自分自身もこのあやふやな状態から抜け出したいという前向きな気持ちの一方で、正体不明の恐怖をも感じる。自分が普通の生活を送ってきたという保証はどこにもない。過去に罪を犯していた可能性もあれば、多くの人に恨みをかうような人間だった可能性もある。ただ一つ、今の時点でわかっていることといえば、良くも悪くも有名人ではなかったということぐらいだ。

 入所してから一カ月が経過した。状況に大きな変化は見られない。カウンセリングも心身のリハビリも音楽療法も、目に見える効果はなかった。周りの期待に応えられずに焦る僕。周りの人間を少しずつうっとうしく思い始めた僕。自分なんてどうでもいいと自暴自棄になってきた僕。自分は望まれた存在ではないかもしれないという恐怖と闘う僕。僕自身がパンク寸前だった。

「明男さん、少し元気ないね」

 食堂のおばさんは、いつも声を掛けてくれた。

「元気が出ないときや、落ち込んでいる時は、おなか一杯食べることだよ。今日のメニューはおばさんの自信作! ほっぺたが落ちちゃうよ」

 いつもより大盛りのご飯とみそ汁。僕のことを気にかけてくれて、陰ながら元気をくれるおばさんの優しさが、ありがたかった。

(みんな僕のことを思って、色々やってくれてるんだ)

 僕は、全てを投げ出しそうになっていた自分を反省し、美味しいご飯が食べられる環境に感謝し、心を込めて手を合わせた。

「いただきます」

 今日のメインは、初めて目にする料理。魚と野菜を煮込んだもののようだ。僕は魚の身を箸で軽くほぐしてつまみ、口に運んだ。

「これ、どこかで……。おばさん、これ、なんていう料理?」

「おいしいでしょ? ブリ大根っていうんだよ」

(ブリ大根……)

 何かがひっかかった。そして、もう一口。

「今日は、アンタの好きな、ブリ大根だよ」

「じゃあ、ブリ大根、作ってあげようかね」

「ブリ大根だったら、食欲も出てくるでしょ」

 突然、どこからともなく聞こえてきた優しい声。顔は見えない。しかし、言葉の端々に温もりを感じた。

 あれから半年。ブリ大根がきっかけとなって母親を思い出し、家族を思い出し、自分を思い出すという理想的な結果には、残念ながら、つながらなかった。母親らしき人物が頭をよぎったのも、あの一度きり。それでも僕は満足だったし、幸せだった。僕を愛してくれていた母親が存在したという事実。これ以上何も思い出せなくても、大丈夫だ。ここから新たな人生を、ゼロから築いていけばいいのだから。母からもらった無償の愛という土台の上に。

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