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オーラを求めて

皆さんは京都に訪れた際に
芸者さんを見かけた事はありませんか?

彼女らは、ほんとに美しいですよね。
あと、雰囲気(オーラ?)を感じます。

人は異性に
性的魅力を感じるものですが、
なんかそれとは違う...

うまく説明できない!

着物が美しいのは分かります。
でもメイクは現代風ではない!
(邪心ですが、スキンケアを聞いてみたい)
てことは、
現代のファッションとは異次元です。

要は、
外見のみの評価で
彼女らのオーラを説明する事は不可能なんです。

そんな感じで、
他人(男女問わず)に
「外見とは関係なく、
 何かカッコいい・素敵な
 雰囲気(オーラ?)を感じる...」

ってことがあるはずです。

...............でも、オーラ? チョットヨクワカラナイ....

ということで
今回は、
カッコイイ・素敵な人〈いき〉な人
と言い換えて考えてみます。

注意点は、
〈容姿の良し悪しに関しては二の次である〉
大事なのは中身だよ〜。

っていう前提を持って説明します。
(不快な思いをされそうな方は、
 御閲覧をお控え願います。)

さて、
カッコいい・素敵!と思わせるような、
オーラを纏った
〈いき〉な人について

日本哲学者九鬼周造
「〈いき〉の構造」という著作を
ベースに考察してみます。

プレイボーイな九鬼周造

彼は日本を代表する哲学者ですが、
同時に
とてもプレイボーイな人でした。

妻同伴でパリに留学した際には、
夜な夜なパーティ(当時は社交界)に参上し
朝帰り。
現地の女性とも、
思うがままにチョメチョメ。

帰国してからも、
妻を東京において
京都帝国大学教授として京都に単身赴任。

「九鬼って祇園(女性と遊べるとこ)から
 大学に通ってんじゃね?」

と噂される程でした。

後に、
祇園の芸妓と暮らし生涯を終えます。

そんな彼の破天荒な生き方は、
生い立ちが関係しています。


九鬼の〈いき〉の原点

九鬼の父は厳格な人間でしたが、
駐米大使をつとめる
優秀な人間でもありました。

母(祇園で芸者をしていた)は、
アメリカで九鬼を身籠るのですが
かの有名な岡倉天心とともに
日本に帰国させられます。

しかし、
九鬼の母と岡倉天心はデキちゃうのです。

後に
母は(不倫の件もあって)、
九鬼の父に精神病院にぶち込まれ
そのまま亡くなります。

九鬼が真実を知ったのは、
成長してからです。
岡倉天心を慕っていた事もあり
複雑な幼少期をすごしました。

つまり、
九鬼が芸者達から感じた〈いき〉の感覚
母(元芸者)から感じた感覚と同じで、

九鬼が〈いき〉を研究し
その価値や意味を解明する本書は、

結果的に、
自分の母を理解し
存在を意味づけることになっていたのです。

彼はそのことに気づいていたのでしょうか?

現代でも、
親が子に与える影響の大きさを、
理解する必要性があるはずです。
(しかし実状については、
 わざわざ述べるまでもないでしょう)


〈いき〉を構成しているもの


やっと内容に入ります(笑)。

本書では
〈いき〉を構成している要素は3つある
と述べています。
順番に説明しますね。

①媚態

「媚」という文字から分かるように
昔だと吉原などの遊廓、
現代だと
キャバクラ等で見られやすいものです。

媚態が得られるのは
「相手をよく知らない事による
 不安定さ故の
 感情が揺れ動く状態を保つ」

ところからです。

ナンパされた女が
どっちつかずの態度で対応し、
男は
「これはワンチャンあるかも!(アホ面)」
っていうドキドキや期待を味合わう。
男は媚態のパワーにやられてます。

上記の場合、
異性を期待させて征服するまでが媚態です。
征服しつくした途端に、
媚態は消えます。
(なので、夫婦間には
 ワクワク・ドキドキが少なくなります)

遊廓やキャバクラなどの
夜の世界では、
この媚態の真骨頂である
「つかず、離れず」
のスタイルが重要です。

ちなみに、
ホストに関しては媚態が発揮されません。
理由は、
オスカー・ワイルドの
「女は最後の女になりたがる」
という有名な言葉だけ
述べておきます。

さて
媚態は、異性間のみの話ではありません。

過度に友達とベタベタせず
組織の集団に属さず、
かといって一匹狼でもない。

さらりとした絶妙な距離感を持つような
余裕の雰囲気を醸し出す人からは、
〈いき〉を感じます。

ちなみに媚態は
前述のとおり、
絶妙な距離感の維持が必要です。
なので、
距離をとれる不安定さが必要です。

以下の、
②と③は不安定さを維持・充足してくれます。

②意気地

ことわざで
「武士は食わねど高楊枝」
という言葉はご存知でしょうか?

意味は、
貧しくて空腹の武士であろうが
武士ならば満ち足りたように楊枝を使え

という事です。

意気地とはこれです。

吉原の遊女たちは、
いくら金持ちの客だろうと
野暮な人間だと判断すれば
「吉原の恥」として
跳ね除けていました。

現代のサービス業界でも、
悪質な客が存在すると思います。

サービス業は感情を削るものですから
悪質な客に、
心を込めた労働をする必要はありません。

是非とも、
貴方が思う大事なお客様にだけ
感情を売るという
サービス業の本質を全うしましょう。

それは誇りを守る、まさに意気地です。

ちなみに、
意気地は言いなりにならない
ということなので、
自力のみという意味で不安定さを生みます。

前述のとおり、
この不安定さは媚態をパワーアップします。

③諦め

遊廓やキャバクラのような
男女の遊びの場は、
恋の成就が常に難しいです。
そして人は苦しみます。

自ずと、
執着心を捨て・無関心に徹し・嫉妬せず
という諦めが必要なのです。

遊廓やキャバクラでは、
キャスト(遊女)が
恋愛を意識しない諦めが推奨されます。

それは、
媚態が必要とする
不安定さの維持ができるのです。


三位一体の力こそ

すでに述べたとおり、
〈いき〉を構成する3つの要素は
一体をなす関係性です。

意気地と諦めにより、
媚態が強化されます。


これこそ、
〈いき〉であると言えるのです。

あえて表現すれば、
「あらゆる対象に対して絶妙な距離感を保ち、
 何事からも言いなりにならず、
 全てに執着せずに、
 品格と誇りを持ち続ける。」

.........

目指すとなれば、
とんでも激ムズモードライフ
になりそうですね。


九鬼の言葉に感じる何か

九鬼周造は〈いき〉を
上記のようなものとした上で、

「かろやかな
 微笑みの裏に隠された、
 真剣な熱い涙の
 ほのかな痕跡を
 認めることができて初めて、
 〈いき〉の真実を
 理解できたと言える。」

と言いました。

「〈いき〉の真実」とは何でしょう。
「〈いき〉が理解できる」とあれば、
そのままの意味ですよね?

しかし、真実とは?
私の考え過ぎでしょうか?

少なからず言える事は、
この言葉には彼の母の影を感じてしまいます。


〈いき〉を見失った現代人

九鬼周造は、
日本人の心中に、ひっそりと佇んでいる
しかし確実に存在感を放つ何かは、
〈いき〉であると解明しました。

彼はそれを解明するとともに、
〈いき〉を求め
〈いき〉に溺れ
〈いき〉に尽くした。
そんな生涯だったのだと思います。

では、
現代人を見てみましょう。

〈いき〉の存在感が、
薄れているように感じてなりません。
(そもそも知らないってのが一番怖い)

昨今の政治家や組織幹部、
会社員から学生に至るまで

彼ら(彼女ら)に品格誇りはあるでしょうか?

我々が喪失したアイデンティティを
取り戻すきっかけになるのは、

九鬼周造の人生を知ることかもしれません。

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