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ハイブランドについて

先日、銀座にランチをしにいきまして、
ついでに街をプラプラしてみました。

最近の東京は海外の観光客が非常に多いです。
日本のサービス業界を中心に
たくさんのお金を落としてくれるのはありがたいですね。
(日本が安い国になってしまったという悲しさもありつつ)

まぁ、銀座も例に漏れず
たくさんの海外の方々で溢れていました。

そこで一際目立つ男性が目に入りました、
明らかに日本人でした。
(私は元々の職業柄、他人の国籍を考察するのが趣味です笑)

・セリーヌの字が大きく入ったトート
・バレンシアガのスニーカー
・ヴィトンの大きなロゴ入りマフラー
・スリムなベージュのチェスターコートに
 スキニーの黒パン

うん、すごく日本人ぽいですね。

外見による決めつけは良く無いですが
あくまで予測をすると、
経営者ってとこでしょう。

前置きが長くなりましたが、
ハイブランド商品を集める人の思考について
フランス哲学者ジャン・ボードリヤール
「消費社会の神話と構造」という著書を
ベースに考察してみましょう。

ヴィトンのマフラー
  と
ダイソーのマフラー

双方の相場を調べてみました。
ヴィトンのマフラーは
最安価が約80000円です。
ダイソーは100円
この差は一体何なのでしょうか。

マルクスは「資本論」で
商品には、
使用する事による価値(マフラーでは防寒)
使用価値
生産する労力(人手や時間・材料)の交換価値
あると述べています。

しかし、
これではヴィトンのマフラーが
売れる説明ができません。
いい生地を使っていようが、
相対的にダイソーの方がメリット高すぎます。

そこで本書では、
ここに〈記号としての価値〉
追加されると述べています。

要は、ヴィトンという記号のことですね。

「幸福」が欲しい?

そんな冒頭の彼
(あくまで予想でしたが、確実に存在する彼ら)
は、
ダイソーのマフラーには
見向きもしないでしょう。

消費社会のトップにいる彼らは
マフラーの効用や生産コストに
興味はありません。

その心理は
「成功した(金がある)私に相応しい」
のがヴィトンのマフラー
ってとこでしょう。

つまり人は、
成功した優越感を感じるため
高価な記号を購入します。

「(一般的な)人と違う自分になりたい!」
と考え、記号を購入し、
他人と違う自分の個性を獲得する事で、
優越感による〈幸福〉を得てる訳ですね。

幸福の質

前述のとおり、
ハイブランドで全身をフル装備する彼らは
それにより幸福を得ています。

しかし、ここで疑問なのが
そのハイブランド商品の
世間的な評価が変化したらどうなるでしょう?

2000年代初め頃、サマンサタバサは
10〜20代の女性に爆発的な人気を博しました。

しかし、現在になっては
全盛期の面影はありません。

サマンサタバサを持っていても
記号としての幸福は得られなくなっています。

流行についても同じです。
最近の流行であるらしい、
Y2kファッションは
5年後には廃れているでしょう。

ヴィトンに関しては、
ブランドの評価が
簡単に落ちることはないでしょうが、
商品の型落ちという概念があります。

残酷ですね...

(※本書は、個人の趣味について否定していませ   ん。あくまで論理的な哲学をしています。)

SNSの荒波に揉まれてる?!

現代社会では、SNSを使えば
芸能人などのキラキラした生活を
簡単に垣間見ることができます。

記号を消費することによる
煌びやかな生活は
多くの人の心に影響を与え、
「いいね」が増えます。

それは記号の価値がある程度
可視化できるということです。

それを利用した犯罪が多くなっています。
ハイブランド商品の写真を数多に
投稿しているユーザーから、
ビジネス勧誘等のDMが来たら要注意です。

「私みたいに記号をいっぱいゲットできるよ!」
ってことなのですが、

資本主義社会では富の独占者が最強です。
仲間を増やすのは聖人でもない限り、
悪手極まりないのです。

(アムウェイやニュースキン等の
 連鎖販売商法は
 仲間を増やすことが重要ですが、
 勧誘した仲間を不幸にしてしまうことを
 全力で隠しています。
 ちなみに、違法ではないです。)

このままじゃ
救われない現実知っただけじゃんか!

そこで私は、
少しでも救いの手を差し伸べられるように
考察してみました。

・高額商品を買う前に一旦ストップ!
その購入の真意は
幸福を得るためではないか要確認。
それで得られる幸福は
一時のものかもしれない。

・真の幸福とはなんぞや?
いつか詳しく語りたい〈幸福〉ですが、
我々ホモ・サピエンスが
かのネアンデルタール人を大きく超えた要素は
空想の力です。
それにより、
仲間の心を考える機能が秀でて
大きな群れを形成できたと言われています。
(群れが大きい方が強いですよね。)
要は、人の本質的に
真の幸福は人間関係にありって訳です。

世界が変わり始めている


近年では、
国連による「持続可能な開発目標(SDGs)」
の採択により
サステナブルな消費社会を目指しています。

結局、資本主義社会は
記号による消費を最上位とした
社会構造を限界と認識しました。

世界が不幸になったためです。

ハイブランドの商品や
それで重装備する方々を否定する気は
毛頭ありません。
(私はGUCCI大好きです。)

しかし、記号の消費で得られる
〈幸福〉について、
世界も個人も見直さなくてはならないのです。

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