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「個人の自由」ってなんだろう

「将来、安定するから公務員になりなさい!」
そう親に言われた僕は
国家公務員として法務省に就職しました。

学生時代はファッションに関係した
就職をしたいと考えておりましたが、

母親には随分と世話になったと感じていたため
その助言(?)を受け
公務員試験の勉強をしていました。

しかし、心の片隅に
「僕の夢を応援してくれないのか...」
と悲しみを抱いていた事をよく覚えています。

似た経験が誰しもにあるのではないでしょうか?
上司や恋人・家族や友人に対して
「私に自由はないのかなー」
と思うことありますよね。

そこで〈個人の自由〉について
英国哲学者ミル自由論という著書
をベースに考察してみました。

そもそも〈個人の自由〉って?

本書では、自由の基本ルールを述べています。
・人は他人に害を及ぼさない限り、自由である。
・個人に力を行使していいのは、他人に害が及ぶ場合のみ。

つまり自分のことは自分で決める権利
(いわゆる主権)を持っているとしています。
でも現実には
「これが貴方のため」といって
干渉してくる輩はかなりいますよね。

しかし、「本人のため」は干渉を正当化する理由になりません。

エマニュエル・レヴィナスの「全体性と無限」
では、
他者の自存を否定する行為・心を分かったつもり
になるのは、殺人的な行為である。
と紹介しています。
いくら家族や恋人などでも、
あくまで他人なのです。

人生におけるチョイスでは、
必ず自身の自主性は必須です。


サルトル的に言えば
「人間は己の運命の主人」
ってことですね。

では、自由には何がある?

ミルは3つの自由を紹介しています。
①考え・感じ、表現する自由
②好み・チョイスの自由
③個人の団結の自由

②に関しては
前述したとおりですね。
③は、どんな目的であろうと
他人に危害を加えない限り
団結できるということです。

①についてフィーチャーしてみましょう。

新しいことは、
少数派から生まれる?

かの有名なルターによる
プロテスタント運動は
ご存知の方は多いと思います。

当時、ローマ教皇をトップとした
カトリック教会は
教会修繕によって大赤字になりました。

そこで、民衆より金を集めるため
贖宥状を販売するのです。
(贖宥状とは、買えば罪が許される札みたいなやつ)

そこで、ルターは怒ります。
「そんな札の存在は聖書に書いてない!」
はい、ほんとに書いてないです。

それを発端として反対運動が
当時の神聖ローマ帝国(現在のドイツらへん)
を中心に激化します。

そうしてプロテスタント(抗議する者)
が誕生します。

ここで面白い事に、
このプロテスタント達は
現在の資本主義社会の発展に
多大なる貢献をしたと言われています。
(理由はいつか語りたいな...)

1人のルターという人物から現代社会の
大きな流れ(イノベーション)
が生まれたのです。

これは①考え、感じ、表現する自由
によるところのものです。

ちなみにルターは、プロテスタント運動中に
聖書をドイツ語に翻訳して出版しました。
それが現代のドイツ語の素になっています。

新しいことは、
少数派から生まれる!(2回目)

ミルはこう言っています。
「貴方1人だけ意見が違っても、
 それを力尽くで黙らせることは
 絶対に間違いだ。
 それは、人類全体を被害者にする。」

ルターのように1人の意見が、
握り潰されなかったことで
現代の資本主義社会が生まれました。

個人の自由が尊重される社会は
長い目で見ると豊かになるのです。

個人単体でも同じこと

社会は、個人の意見を(結果的に)
汲み取って
筋トレをするように
少しずつ逞しくなりました。

それは個人も同じことです。
自分で考え、
自分で選択して
人生を形成していく。

自分で考えなくては
逞しくなることはできません。

「人間は己の運命の主人」なのです。

この自由論という著作は、
個人の自由が
社会の発展にいかに寄与するかを
解明した本です。

日本人は欧米諸国のように
自分達で〈自由〉を勝ち取った訳ではありません。
(現代のは、戦後にGHQが持ち込んだ自由)

個人の自由はどのようなものか?
自由を謳うためには?


そんな根本的なことを
今一度、
理解する必要があるのかもしれませんね。

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