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映画『ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう』~寓話的な詩的な映像~

(C)DFFB, Sakdoc Film, New Matter Films, rbb, Alexandre Koberidze 

ジョージア(旧グルジア)で製作された寓話のような美しく不思議な映画だ。 光と影、昼と夜の街、カフェや公園や川や緑の街並み、そして広場でサッカーで遊ぶ子供たちやW杯サッカー観戦で盛り上がる大人たち、犬たち。それぞれが思い思いに人生を楽しんでいる姿が美しい映像とともに映し出される。

ジョージアの古都クタイシ 。男と女が学校の校門前ですれ違ったときに本を落として会話を交わす。カメラはその足元だけを映し出し、もう一度同じことが繰り返され、夜の交差点でまた二人は再会し、運命を感じて翌日二人は白い橋の近くにあるカフェで会う約束をする。街の夜景のロングに二人の会話が重なる。しかし、邪悪なるものが二人に呪いをかけ、二人は姿かたちを変えられてしまう。小さな木が、監視カメラが、古い雨どいが、その呪いのことをリザに教えるのだ。まさにおとぎ話のように。

別人になった男のギオルギと女のリザは、それぞれサッカーの能力や薬剤の知識を失い、悩みつつ白い橋の近くのカフェにやってくる。しかし別の姿になってしまったために、相手が来ないと思ってしまう。お互いがお互いを分からない。近くにいるのに会えないのだ。物語を簡単に要約すると、その別人になったギオルギとリザは、運命のようにお互い親しくなり、かつての二人とお互いを理解し、出会い直すまでの物語だ。そのマジックのために映画作りが使われている。二人が一緒にいるところを恋人同士に間違えられて、映画に出るように説得されて、そのフィルムが現像されて映画館で見ると、元の二人がそこに映し出されているのだ。なんとも奇妙的な物語だ。

この映画において、物語はたいした意味を持たない。運命的なラブストーリーという訳でもない。人生には不思議なことが起こり、理解できないこともある。それもまた人生だと言うように、淡々と人々が映し出され、風景とともに人々が会話し、笑い合い、サッカーに興じ、ときには2分間、鉄棒にぶら下がって食事券をもらおうと挑戦して失敗したりする。紙幣に釣り糸をくっつけて、拾おうとする人にイタズラを仕掛けたりもする。不思議なことが起きているのに、なんてことはないように日常の営みが映し出される。語りのナレーションと音楽、そして光と影とともに映し出される街並み、サッカーを観戦する足元や肘や体の一部が次々と映し出され、森の中でケーキを作る人々が集うロングショットもある。メッシと背中にペンキで書く子供たち。川と白い橋と赤い橋、カフェ、すべての映像が詩的で寓話的な世界を作り出している。

2021年製作/150分/G/ドイツ・ジョージア合作
原題:Ras vkhedavt, rodesac cas vukurebt?
配給:JAIHO

監督・脚本:アレクサンドレ・コベリゼ
製作:マリアム・シャトベラシビリ
撮影:ファラズ・フェシャラキ
美術:マカ・ジェビラシビリ
編集:ベレナ・ファイル
音楽:ギオルギ・コベリゼ
キャスト:ギオルギ(前)ギオルギ・アンブロラゼ、リザ(前)オリコ・バルバカゼ、ギオルギ(後)ギオルギ・ボチョリシビリ、リザ(後)アニ・カルセラゼ、バフタング・パンチュリゼ

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