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『アリゾナ・ドリーム』エミール・クストリッツァ~若きジョニーデップが初々しい…飛ぶ夢と飛べない現実~

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ヴィム・ヴェンダースの『パリ・テキサス』、ビクトル・エリセの『エル・スール』と並んで私の大好きな映画『アンダーグラウンド』(1995年)を撮ったエミール・クストリッツァ監督の1992年の作品。旧ユーゴスラビアのサラエボ出身のエミール・クストリッツァがアメリカのアリゾナを舞台に英語で作っており、何もない不毛な大地と滑稽な人間たちのドタバタ劇が「夢」の幻想とともに描かれる。キャストが豪華だ。若き青年ジョニー・デップに妖艶なフェイ・ダナウェイ、そしてビンセント・ギャロ。夢のようなキャスティングだ。

エミール・クストリッツァがこの映画の撮影中にボスニア紛争が勃発し、彼は完成後にすぐ帰国し、傑作『アンダーグラウンド』を撮ったそうだ。『アンダーグラウンド』はまさに地上と地下の二重世界の映画だったが、この『アリゾナ・ドリーム』でも上昇と下降、上下運動がイメージの中心だ。『黒猫・白猫』 (1998)、『ウェイディング・ベルを鳴らせ』(2007)、『オン・ザ・ミルキー・ロード』(2016)でも、いつも登場する賑やかな動物たちとともに上下運動は重要なモチーフになっていた。

飛ぶ夢に憑りつかれたちょっとイカれた未亡人にフェイ・ダナウェイ。夢の中では飛べるのに、人に知られたら落とされてしまう。夜の庭で浮遊するテーブルと椅子。彼女はパプア・ニューギニアでの暮らしを夢見る。その飛ぶ夢を叶えようと何度も飛行機を作る青年にジョニーデップ。二人は「恋に落ちた」のではなく、「恋に飛んだ」。さらに自殺願望のある血のつながらない義理の娘リリ・テイラー。彼女は義母へのと嫉妬と憎悪から、ひたすらその飛行機を破壊し続け、 一人アコーディオンを弾き、カメを飼い、カメに生まれ変わることを夢見ている。この3人の奇妙な共同生活が描かれる。 NYで魚の夢を 追い求めていたジョニー・デップを叔父の使いでアリゾナに呼びに来た男がヴィンセント・ギャロ。俳優を夢見ており、『レイジング・ブル』を上映中の映画館のスクリーンの前で台詞を喋り出したり、『北北西に進路を取れ』のケイリー・グラントの動きを完全コピーして見せたり、『ゴッドファーザーPARTⅡ』を見ながら暗記した台詞を喋り続けたり、虚構の世界を浮遊しているようなおかしな男を演じている。

食事するテーブルの上の世界と下の世界、ヴィンセント・ギャロは机の下で秘かにフェイ・ダナウェイの脚をまさぐる。娘のリリ・テイラーは義母の若い男漁りが許せず、自殺しようとしてストッキングで首を吊り、2階から落下して喜劇のように上下運動を繰り返す。そしてジョニー・デップとフェイ・ダナウェイは、手作りの飛行機で何度も上昇し、失敗して落下する。母が飛ぶことを妨害していた娘から、誕生日に軽飛行機をプレゼントされ、フェイ・ダナウェイは『北北西に進路を取れ』のケイリー・グラントのようにヴィンセント・ギャロを飛行機で追いまわし、彼は地面にひれ伏し、ひたすら地上を逃げるばかりだ。ピンクのキャデラックを売る叔父さん ( ジェリー・ルイス )は、月に届くまで車を積み上げたい夢を持つ。荒野に浮遊するように中古車になったピンクのキャデラックが並んでいる。そのピンクのキャデラックもいつしか時代遅れになってしまう。ジョニー・デップの父は言った。「人の心を知るには、その人の夢を聞け!」と。上昇と落下、上空と地上、夢と挫折。夢を見ることで上昇し、現実とともに落下する。そして地面を逃げ回るばかりの人生。または月や天国に昇天する?エミール・クストリッツァ的映像世界にあっては、そんな人間たちの悲喜劇の上下運動が何度も繰り返されるのだ。

また、撃てないピストルが何度も出てくる。アラスカの氷の世界の夢の中でも、ジョニー・デップを迎えに来たヴィンセントギャロも、飛行機を破壊したリリ・テイラーを殺そうとするジョニー・デップも、みんなピストルを撃とうとして撃てない。銃を撃てるのは、フェイ・ダナウェイだけかもしれない。彼女は娘を守るために銃で夫を射殺し、ジョニー・デップを守るために銃で叔父たちを追い払う。しかし、リリ・テイラーは死を希求していた。ジョニー・デップにロシアンルーレットを仕掛け、死へと誘うのだった。その死の向こうに、彼は本物のに気づくことになる。

一緒に暮らしていると母に似てくることを恐れている娘のリリ・テイラーは、母へのとともに近親的な憎悪を持つ。母のように空を飛ぶ夢を見られない娘が、ジョニー・デップと心を通わせるようになって、初めて椅子ごと上昇する場面がある。風船のついた椅子ごと宙に浮かぶリリ・テイラーは、幸福そうな笑顔になる。しかし、嵐になった夜に、ウェディングドレスを着て鏡の中の階段を下りて、庭に出る。一人ピストルを自分の手に縛り付け、雷雨の中で自分を撃ち抜くのだった。セックスをし、を育む「家」が彼女には自分を束縛するものだった。空を自由に飛べなかった苦しみが最後まで彼女を地上に留まらせた。「家」から出て行くことも、空を飛ぶことも彼女はできなかったのだ。

『アリゾナ・ドリーム』レビューは、以前にも書いていることに気づいた。この映画を見たことさえ、すっかり忘れていた。飛ぶ夢と飛べない現実。空を飛ぶ自由な魚のイメージ。あまりまとまりのない映画なのだが、登場人物たちの憑りつかれたような行動に、惹かれる何かがある。


1992年製作/140分/フランス
原題:Arizona Dream
配給:ユーロスペース

監督:エミール・クストリッツァ
製作:クローディー・オサール、イブ・マルミオン
製作総指揮:ポール・R・ガリアン
脚本:デビッド・アトキンス、エミール・クストリッツァ
撮影:ビルコ・フィラチ
音楽:ゴラン・ブレゴビッチ
キャスト:ジョニー・デップ、フェイ・ダナウェイ、ビンセント・ギャロ、 ジェリー・ルイス、リリ・テイラー 、ポーリーナ・ポリスコワ、マイケル・J・ポラード

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