映画『愛のまなざしを』はヒッチコックの『めまい』に通じる死の物語に呪縛される男の話

万田邦敏監督(「接吻」ほか)がまた不気味で不穏で虚構性たっぷりの不思議な映画を撮った。アルフレッド・ヒッチコックの傑作『めまい』を思い出した。妻の死の呪縛に取り憑かれた男、仲村トオル。精神科医である仲村トオルは、患者でもあったうつ病の妻を治すことが出来ず自殺させてしまった。病院の屋上から妻は彼の目の前で転落死したのだ。まさに『めまい』のジェームズ・スチュアートと同じように。それ以来彼はずっと、妻の視線と手の感触を背中に感じてきた。妻の死の物語に呪縛されてしまった男。

精神科医である仲村トオルは、様々な心が病んだ患者の相談に耳を傾ける。受付嬢の片桐はいりがいる受付ロビーから、患者は階段を降りて地下の診察室へとやってくる。階段がある殺風景でちょっと奇妙な診察室だ。奥行きのある空間の奇妙な絵は、たびたび仲村トオルの背景に映り込む。患者の診察シーンでは、何度もカメラがイマジナリーラインを飛び越え、患者と医者の位置関係や顔の向きが反転され、観客に奇妙な混乱を起こさせる。万田邦敏は、リアルで日常的に見せる映画の約束事のイマジナリーラインを破り、意識的に不自然な虚構性を際立たせるのだ。彼の映像世界では、たびたび不自然な台詞回しや独特の設定が描かれる。リアルな佇まいから逸脱したような虚構性。この映画でも、死んだはずの妻の手や声、気配が診察室の彼のそばで自然にそこにいるかのように描かれる。そして不自然な診察室の舞台設定、嘘ばかりつく女の存在、公園での不自然な仲村トオルのジグザグ歩き、象徴的に使われる誰もいない地下道。少ない登場人物と密室空間で多くの場面が演じられ、嘘にまみれたいびつな心理戦は迷宮のようで、空間的な広がりがない。

患者の一人である杉野希妃が、身体の線がしっかり分かるピチピチの花柄の衣装で仲村トオルの前に現れる。妻を死に追いやった過去の呪縛に悩まされ続ける仲村トオルは、患者と関係を持つことにためらいつつ、杉野希妃が治療を終えた区切りで付き合い始める。妻の呪縛から逃れるために。息子と会うことも、妻の両親が暮らす家に帰ることも亡き妻の存在を感じるため、ツラく感じた仲村トオルは、杉野希妃と結婚を約束して暮らし始める。しかし、今度は杉野希妃の嘘の物語に呪縛されていく。患者の悩みに寄り添い続けてきた精神科医は、嘘を疑わず、虚構の泥沼に引きずり込まれていく。妻の弟である斎藤工が、杉野希妃と仲村トオルの間に入り込みながら、杉野希妃の嘘は複雑化し、仲村トオルを混乱させる。過去の死の物語から嘘の物語へ、物語に翻弄され続ける男。映画の観客もまた虚構性の物語に翻弄され続けている存在だ。その虚構性の戯れのなかで、死の呪縛は新たな物語で解消されるのか?はたまた、新たな呪縛の始まりなのか?人はいつも物語に絡め取られ、自分がわからなくなっていく。

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