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小津安二郎の無声映画『東京の女』~2つの顔を持つ姉と弟の激情~

画像(C)1933年松竹株式会社

WOWOWの初期無声映画の新音声版として風吹ジュンと佐野史郎が字幕の声をつけている。

この原作者名のエルンスト・シュワルツは、小津が作り出した架空の名だそうだ。なかなかに暗い話である。タイピストをしている姉ちか子(岡田嘉子)は、学生の弟・良一(江川宇礼雄)の学費を稼ぐために必死で働く優しい姉として振る舞っていた。弟の食事など身の回りの世話を焼き、学校に送り出す姉が、実は夜はいかがわしい酒場で働いており、高級車で男と消えてゆく場面からは性的売春も匂わせている。そんな姉の様子を探りに来た警官は、弟の恋人の春江(田中絹代)の兄(奈良真養)であった。兄からちか子(岡田嘉子)の秘密を知ってしまった春江(田中絹代)が、弟の良一(江川宇礼雄)に姉の噂を教えてしまう。「そんなはずはない」と春江とケンカしたものの、姉の秘密を知ってしまった弟は、家出して自殺してしまう話なのだ。

登場人物が自殺してしまうという意味では『東京暮色』(1957)と同じであり、両作品とも「東京」がタイトルに入っている。小津映画には『東京の合唱』『東京の女』『東京の宿』と呼ばれる3作の無声映画があり、他の2作は未見だが、いずれも金銭をめぐるトラブルを抱えている話らしい。また『東京暮色』も有馬稲子が妊娠という問題を抱えながら、そのことを言い出せずにあちこちにお金を借りようと奔走する映画でもあった。「東京」という場所は小津映画にあって、経済的に厳しい状況に追い込まれる町であり、誰も助けてくれない孤独で冷たい場所というイメージがあったのだろうか。代表作となった『東京物語』にはお金に絡む話こそ出てこないが、自分たちの生活で忙しい子どもたちに冷たくされる両親というテーマであり、家族や他人に厳しい町ということでは変わらない。

昼と夜の顔が違う女という意味では『非常線の女』の田中絹代と共通しているが、この作品は夜の岡田嘉子の姿はそれほど多く描かれていない。それよりも、江川宇礼雄と田中絹代が、エルンスト・ルビッチらのオムニバス映画『百萬円貰ったら』を一緒に見に行くシーンが挿入されている。これもまたお金をめぐる話であるらしい。事務所を出て階段を昇って扉を次々と開け続ける男の姿が使われている。昇り続ける運動(経済活動)を示しているのかどうか?はよく分からない。

この映画で特筆すべきなのは、姉の秘密を知ってしまった弟の江川宇礼雄が、激情のあまり姉の岡田嘉子を平手打ちで殴るというシーンがあることである。小津安二郎の映画にあって、多くの登場人物は無表情で喜怒哀楽をひたすら抑え、ある種の諦念を抱えており、激しい身振りで暴力を振るうような場面はほとんど描かれてこなかった。例外と言えるのが、『風の中の牝鶏』で戦争中の不貞をなじって妻の田中絹代を階段から突き落とす佐野周二が思い浮かぶぐらいである。その他にもあったかもしれないが、極めて珍しい。身体的に激情する身振りを抑制させ続けた小津安二郎は、この初期の無声映画にあってはまだ、姉の売春行為を許せないほどに純情であったと言うことか。しかし、この映画のラストで弟の遺体を前にして姉の岡田嘉子が言い放つのは、「このくらいのことで死ぬなんて、良ちゃんの弱虫」という言葉なのだ。厳しく貧しい生活を前にして、身を売りながらも現実を乗り越えようとする女性の逞しさに比べて、頭でっかちでしかない男のひ弱さが露呈されるのであった。姉が弟を支え助けるという関係図式もまた、『非常線の女』と同じであり、女性の強さと男のフラフラする頼りなさが同じようにテーマになっている。

映画の前半部で、弟に小遣いを渡して送り出した岡田嘉子が、自ら着ている白いかっぽう着を放り投げてから、化粧の支度を始める場面がある。その潔いアクションから、優しい姉から社会と戦う女へと変身する岡田嘉子が垣間見られたのであった。


1933年製作/47分/日本
配給:松竹

原作:エルンスト・シュワルツ
監督:小津安二郎
脚色:野田高梧
撮影:茂原英雄
キャスト:岡田嘉子、江川宇礼雄、田中絹代、奈良真養

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