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『「瞑想」から「明想」へ 〜真実の自分を発見する旅の終わり~』書籍出版記念講演会⑧

いよいよ来週3月11日は師匠山本の出版記念講演会大阪会場の日です。開場は13時から。開演は14時からです。

事前にお申し込みをお願いしています講演会ですので、当日会場でも落ち着いてお聴きになることができると思います。注目度の高い講演会ですし、講演会開催後も「参加しておけばよかった!」「行きたかった!」「直接お話を聴きたかった!」って言われる会になると思いますので、少しでも興味ある方はご参加いただければと思います。

どうしてそうなるかと言いますと暦が関係しているからです。暦が明想を求めているからです。そして暦の影響力はこれからどんどん強くなっていきます。そのときには「参加しておけばよかった!」「行きたかった!」「直接お話を聴きたかった!」って言われるようになると思います。

そうなった後で「どうして声をかけてくれなかったの?」って怒られないように(怒られたら怖いですから!)少しでも多くの方にお声かけしていきたいと思います。

とはいえ、まだまだ明想というと「怪しい」と思われるんじゃないかって少し構えてしまいますよね。実際に今回の講演会のお話をしたときに「明想」と言うだけでその人の心のシャッターが下りたことを経験しました。愛光流に関係する方はそうでない方がほとんどですからちょっとびっくりしました。私自身もそうだったなと思い返しながら、今回のnoteを書きました。


「瞑想」を怪しいと思っていた頃

普通に生活していますと「瞑想」に出会うタイミングってなかなかないのでは?と思います。特に私と年齢の近い昭和な人は特にそうです。子どもの頃を振り返っても身近に「瞑想」なるものはなかったです。「瞑想」というと「あなたの知らない世界」とかで出てくる奇妙なインド系の外国人のイメージ。ドラゴンボールのチャパ王とか。何が言いたいかといいますと特に子どもの頃の私に身近な存在として「瞑想」はなかったということが言いたいのです。「やってみよう」という考えもなかったです。

宗教関連の事件が起きたことも「瞑想」を一層身近に感じることができなかった要因でもあります。「瞑想」=怪しい・・・って固定化されたのもこの頃かもしれません。この頃をそれなりに物心ついているときに過ごしてきた人からしますと「瞑想」と言われても・・・って感じですんなりと受け入れ難いように思います。

今になって「瞑想」がようやく世間でも取り上げられてきまして「あの有名企業でも瞑想を社内事項として取り入れているらしい」とか「有名スポーツ選手も試合の前には瞑想をして集中力を高める」などと聞いても意外と他所事でした。自分が「瞑想」に取り組むようになるなんてほんの数年前までは思いもしなかったです。愛光流を知るまでは。

愛光流に出会う以前に数回それぞれ別々の機会で「瞑想」が私の前を通り過ぎたことはあったのです。思い返せばそれもサインだったのかもしれませんが、当時の私は「関係のない話だ」と思っていました。毛嫌いをしていたのだと思います。


「明想」に触れるとき

愛光流の提唱する「明想」に対して私自身は抵抗がありませんでした。以前のように毛嫌いしていた私はどこかへ行ってしまったようです。必要性があったのでしょうし、「そういうもんだ」というようなある種のあきらめのようなものもあったのかもしれません。「霊的な知識が必要」という師匠の教えが理解できたからなのかもしれませんし、単に時代が求めるように私も漂ってきたからとも言えるかもしれません。
愛光流と出会い、いつからともなく「明想」に触れるようになり、これまでも触れてきました。


そもそも愛光流の講座に初めて参加したのは一般会員さま向けの心身体育講座でした。心身体育講座は大阪道場と倉吉で毎月行われています。

愛光流の講座に参加した目的は治療技術がうまくなりたいから。私は当時、理学療法士として病院でリハビリ治療を行っていました。国家資格ですから一応勉強もして試験にも合格して資格を得ます。それまでにも勉強していたのですから「これだけ勉強するのも学生のうちだけだ」って思っていました。しかし臨床となると勉強してきたことのほとんどは役に立たないことがわかります。苦労して資格を取ったのに、まだまだ学ばないといけないことは山積でした。そうやっていくつかの治療手技や技術を学び、とうとう愛光流の門をたたくことになりました。

リハビリの世界は医療の世界です。ですから数値に現れたり、目に見える変化として現れる必要性があります。医療の世界ではなんとなく自己満足的な治療は認められていません。ですから何とかして数値化したり表現しようとします。みなさんがご存じの重心という考えも本来は見えないですよね。でも存在し、特殊な装置を使うと計測することができます。ですから文献レベルや論文レベルでの確証や数値での証拠が必要な世界にいました。


そして「明想」です。
「明想」を数値化するものもおそらくこれから出てくるものだと思います。目に見えないものを見える化しようとする動きは数年前から起きています。レビューでお店を探すことや近所のラーメン屋の味を星の数で知るというのもそうでしょう。いずれ私の幸せとあなたの幸せを数値化され「あなたの方が幸せね」なんて発表される時代が来るかもしれない。

愛光流の整体を学び、人間というものを知っていくうちに目に見えるものと目に見えないものの存在を意識するようになりました。人間が存在する目的はたったひとつ「光に目覚める」こと「光に還る」ことです。私は人間は誰しも「幸せ」になりたくて「安心」したくて日々生きていると思っていました。でもそうではなくて「光に目覚めること」なのです。じゃあ「光に目覚めた」らどうなるの?って思っていたら書籍の帯に書いていました。

人生の究極の目的ーそれは光に目覚めること。目覚めれば、そこには「安心」と「幸せ」が待っている。



そこで講演会

そこで今回の講演会です。今回は出版記念の講演会ですから書籍の内容や「明想」の話が中心となります。師匠が実際に経験されたお話や「明想」に取り組む私たちのような多くの人が陥りやすい点などもお話してくださることだと思います。

本書は明想を始めるうえで必要な知識を得ることのできる本として著しました。
明想というと敷居が高い印象を持つ人も多いと思いますが、本書で紹介した方法は独習可能です。本格的に取り組む際は指導を要しますが、この本の内容だけでもかなりのところまで進むことができるはずです。
山本清次『「瞑想」から「明想」へ 』現代書林2023年184ページ

書籍を読み進めていき、「明想」も実践されて、「これはどうなんだろう?」というのを直接聞けるチャンスでもあります。以前の私のように多くの人にとって「明想」はまだまだ自分自身から遠いものだと感じておられるかと思います。またとない機会だと思います。

大阪会場の講演会は3月11日。山口会場の講演会は4月8日です。私は師匠の書籍はこれからやってくる第9運氣という時代。2024年から始まる第9運という世界に必ず評価される書籍だと思います。そして今回の講演会もこれから必ず評価される講演会になると思います。

風水の暦である「三元九運」では20年ごとに大きく変化すると考えられています。2024年からは第九運氣が始まります。第九運の持つ意味としては目、そしてスピリチュアルがあります。

世の中が物騒になっていき、信じられるものが少なくなってきています。安心安全を得るためになのですが、監視監視の世界で窮屈に思う人も増えてくるのではないかと思います。

そうした「目」が増殖する社会において、私たちには「何を見るべきか」という問いが突き付けられます。
第九運氣には、精神性の象徴としての「火」、そして「豊かさ」という意味もあるので、精神性の探求や哲学、思想といったことへ人々の意識が向かいます。そして、その観点から、「何を見るべきか」「人生における本当の豊かさとは何か」といったテーマを探求することになるでしょう。
そのときに一つの答えとなるのが明想です。「目」の時代には、肉体の目を閉じて内側の光を見ましょうというのが、新たな時代を迎えるにあたっての本書の提案です。
山本清次『「瞑想」から「明想」へ 』現代書林2023年186ページ

というわけで

これから必要とされる明想。時代がそうなっていくというのがある程度わかっている以上、好む好まざる関係なく周りに「明想」「明想」となるでしょう。
そして「私は何を見たらいいんだろう?」なるんだろうなと思います。そう考えると書籍も講演会もプレミアムなものになっていくように思います。

多くの人に書籍が届きますように、そして多くの人に講演会に足を運んでいただきたいと思います。


これは私たち弟子が師匠の出版記念講演会を開きたい!と願い、模索していく物語です。

これからも講演会開催までの間、更新して行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。