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秋はずかむ

栗を買った。
あんなに暑かった日本にも、しっかりと秋が来ている。
確かに今朝はずいぶんと涼しくて、起きてすぐに半纏を着たな。
(半纏に関しては年中着ているが、
起きてすぐにというのが秋の訪れを感じさせた。)

秋の訪れは謙虚で、強引な夏の陰に隠れながらもちゃんとお気に入りのアイテムを持って登場して静かに機嫌がいい感じ。
いつの間にか冬に覆いつくされちゃって、秋の終わりには気付かないことが多い。
そんなシーズンを見逃さないための「○○の秋」だ。

いったいいつまでが秋なんだろう。
私は11月の後半に生まれたのだが、自分の誕生日は一体秋なのか冬なのか判断しにくいなと常に思っている。ニットだけで外に出られるけど、じゃあ秋か?と言われると秋よりは冷たい。冬か?と言われるとコートも着ないしそんな寒くないな…となる。
季節の変わり目と呼ぶには何か足りない。

そんなのが、秋の終わり。

9月の後半にふと感じる
「あ、文化祭の日の朝の空気だ」
という感覚が大好きだ。

今まで文化祭のことなんて思い出すことがなかったのに玄関を出た瞬間にビュンと若返る。

文化祭の日の朝

まだまだ制服は夏服だが、朝夕は少しひんやりとするからブラウスの上にセーターを着る。
なんでこの色?という少々黄ばんだ白のようなクリーム色のセーターを着て、絶妙なスカートの長さで駅まで歩く。
家から駅までの通学路で毎日会う猫に挨拶をして(文字通り挨拶をしていた。「おはよう」と声をかけると「に」と短く鳴いて塀の上から私を見下ろす。帰り道は10分ほど撫でてから帰っていた。目が合うと寄ってきてごろんとお腹を見せて寝転ぶような人懐こい猫だった。)いつもより早い電車を目指す。文化祭の準備を当日に残してしまっていた。
同じ学校に通う姉は舞台に立つ人だったので、なんかテキトーなゲームをやらせる出し物をする運動部の私とは全然違う顔つきで文化祭の日の朝を迎えていた。
もちろん私よりも何本も早い電車に乗って学校へ向かっていた。

ミサンガを作った女子高生

自分の部活の出し物で覚えているのは、ゲームの合格ラインをクリアした人にプレゼントしていたミサンガだ。
文化祭が近づくと部員がみんな授業中ずーっとミサンガを編んでいた。セロテープで机に貼って黙々と永遠と。慣れてくると手元を見なくてもすいすいと編み進めることができて、途中で糸の色を変えるなんてこともできた。部内で代々受け継がれてきたプレゼントで、まだ出し物運営に関わらない中学生の時は好きな先輩が作ったであろうミサンガを嬉々としてもらいに行っていた。
頭のいいあの子も、いつも授業中寝ているあの子も、みんな一生懸命編んでいたのがおかしかった。とはいっても私自身は部員の中でも熱を上げて作っていたタイプで、スピードとクオリティーにも自信があった。
なんでも自信満々な私である。
そのミサンガはそれなりに生徒から人気があったのか、結構な数が当日人の手に渡った記憶がある。

大好きなサッカーチームの配色で作ったミサンガを、彼らの勝利を祈願して私もつけていた。まるで部活と関係ない。

そういえばミサンガを世の中で見なくなったな。
私がその世界から抜けたのか、ミサンガがその世界から抜けたのか。
後者だと少し悲しいので、まだミサンガが絡まる世界であってほしいな~なんて勝手に願う。
いったい誰のために?笑

外に長時間いても汗もかかないし凍えない。
いつのまにか長く遊べるようになったね~、…ああサンマ食べたいな。ねえ漫画みたいに七輪から魚を盗んで食べたことある?。
そんなことを考えるのが、秋の始まり。

秋の始まりの日…私はいったいいつまで女子高生に戻るんだか。笑


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