すみのえ

理系大学大学院卒業後、お菓子メーカーに就職。毎日お菓子のこととおかしなことを考えていた…

すみのえ

理系大学大学院卒業後、お菓子メーカーに就職。毎日お菓子のこととおかしなことを考えていたが結婚を機に仕事を変えることに。今はおかしなことばかり考えている。

最近の記事

一重まぶたの憂鬱

コンプレックスは他人には理解できないものが多いとも言うが、他者がいなければコンプレックスなんて生まれない。特に見た目におけるコンプレックスが形成されるのは思春期に多い。実に闇だ。 文章として残しておこうと思うのは、とても悩まされた一重まぶたについて。 生まれてからずっと一重まぶたの私。 コンプレックスの話から始めたが結論から言うと私は一重まぶたがコンプレックスではない。 正しく言うと「今は」コンプレックスではない。 自分が一重まぶただということを認識したのはいつだったろう

    • 娘が目を覚ます

      月曜日の昼下がり。 リビングの端に敷いた小さめの布団の上ですやすやと寝息を立てて眠っていた娘がふと目を覚ました。 少し離れたダイニングテーブルにいる私の手には、お湯を入れて3分間待ちようやく食べ頃になったカップラーメン。今朝、夫と共にかぶりついたトウモロコシ以来の食事だ。 子どもを産む(正確には授かる)まで、知らないことがあまりにも多かった。 〇〇で働いたことがないと知らないこと 〇〇に行ったことがないと知らないこと 〇〇になったことがないと知らないこと…… 何事も経

      • 十月十日と4週間

        誕生 11月下旬、予定日を大幅に過ぎたある日の昼下がりに我が家の第一子となる女の子が誕生した。 (ちょっとしたトラブルでなかなか産まれて来ず分娩に時間がかかったのだが、なかなかない体験だったのでそれはまた別に書き残したい。) 産まれたばかりの我が子の左手の人差し指に、傷のような痕があった。 おや?とは思ったが、そんなことよりも無事に出産できたことへの喜びと安堵が強く、産まれてくる時にどっかにぶつけたのかな?とあまり深く気にしていなかった。(今思うと、どこにぶつけんねん)

        • もったいない

          もったいないは2種類ある。ひとつは、小さい選択に関するもの。 もうひとつは、大きい選択に関するもの。 後者は特に、人生における決断くらいのスケールのもの。 小さい選択っていうのが、これを食べずにゴミとしてしまうとか、このお店に来たのに有名な唐揚げを頼まなかったとか、まだスターウォーズを見たことがないとかそういうスケールのことに対するもの。うるさいなって思ってしまうこともあるけど、mottainaiが流行ったときから食料ゴミに関しては少しは意識するようになった。「え〜この映画

        一重まぶたの憂鬱

          『茶の味』みんな世界の中心で、みんな世界の端っこ

          『茶の味』という映画を15年以上ぶりに観た。 内容はなんとなくしか覚えていないというか、全く覚えていなかった。 ていうか内容と呼べるほど明確なストーリーがない。 観ていたらたまに覚えているシーンがあった。 浅野忠信が語る、幼い頃の思い出話。 女の子がもう1人の大きい自分に悩んでいること。 床に座ってワンピースの裾をつま先にひっかけている女の子に、我修院さん扮する祖父が「なんであなたは三角定規なの~なんでなの~」と歌うシーン。 土に埋められた人が出てくるシーン。 『山よ』

          『茶の味』みんな世界の中心で、みんな世界の端っこ

          時計の針が止まった日

          実家の母から、 「姉が生まれる前から使っていた時計が壊れたので買い換える」という旨の連絡が入った。 今まで時計が止まることに対して、特に強い思いを抱くことなんかなかったのに急に心が揺さぶられた。 壊れた時計は置き型で、物心がついた頃からずっとテレビの左隣に置いてあった。 テレビは何度か変わったが、テレビ台と時計は変わることなくずっとリビングのど真ん中にいた。 幼い頃から慣れ親しんだテレビが変わる時もダイニングテーブルが変わる時もソファーが変わる時も、新しくなって嬉しい!

          時計の針が止まった日

          秋はずかむ

          栗を買った。 あんなに暑かった日本にも、しっかりと秋が来ている。 確かに今朝はずいぶんと涼しくて、起きてすぐに半纏を着たな。 (半纏に関しては年中着ているが、 起きてすぐにというのが秋の訪れを感じさせた。) 秋の訪れは謙虚で、強引な夏の陰に隠れながらもちゃんとお気に入りのアイテムを持って登場して静かに機嫌がいい感じ。 いつの間にか冬に覆いつくされちゃって、秋の終わりには気付かないことが多い。 そんなシーズンを見逃さないための「○○の秋」だ。 いったいいつまでが秋なんだろう

          秋はずかむ

          自己肯定感(追記)

          これを書いてから、今まで家族にどう励まされてきたか、周りの人にどう肯定されてきたかを思い出したりメールやLINEなども読み返したりしてみた。 そこで見つけた家族からのコメント。 この時、ふと肩の荷が降りて楽になった。 家族は偉大だな、と感じて少し涙した。 いつも私の両親と姉はハートフルで、ありがとうもたくさん伝える。両親には2人の娘でよかったと普段からそう感じた時に恥ずかしげもなく伝えるし、姉に会うために一家に生まれてきたんだと思うと姉にもよく伝える。恵まれた環境だ。今

          自己肯定感(追記)

          自己肯定感

          昔親友に、自己肯定感という言葉を教えてもらった。教えてもらったというのは大袈裟で、話の流れで彼女がふとその単語を使ったのを聞いて「へぇ、そういう言葉があるんだ。」と思った程度かもしれない。 なんだかとても気になる言葉だった。「肯定」という言葉が好きなのだ。とにかく私は、肯定されるのは嬉しいことだなぁ。とふわふわと感じていた。 今の生活で自己肯定感を爆上げしてくれる存在の自慢をしたかったので、今日も自分語りnoteを書きます。 私の自己肯定感 私は自己肯定感が高い。原因は分か

          自己肯定感

          確かに私が暮らしていた町

          生まれてから24歳まで、ずっと同じ町に住んでいた。就職と共に町を出てからは、その町に行くことを「実家に帰る」と言うようになった。都会でもなく田舎でもなく、とても住みやすいいい町。住む人みんながその町が好きなように感じる。「おじさんの町だったのに、やけにおしゃれを気取って…」「また事件か…」と多少の自虐も忘れない。他県の人から自分の生まれを聞かれた時、必ず県名ではなく地名で答える、不思議な町。 そんな生まれ育った町を出て、就職し移り住んだのは縁もゆかりもない田舎町だった。結局

          確かに私が暮らしていた町

          目覚ましが鳴る

          携帯で目覚ましをかける。 寝ようとしてる時は、鳴るメロディーを選ぶ余裕はない。たとえ小さい音量で聞いていても不快なので、ずいぶん前になんとなく決めた、うるさすぎなくて静かすぎなくて、でも起きられるだろうな。というメロディーが変わらず鳴る設定にする。 というより、寝る時はメロディーのことなんか忘れていることが多い。自分の目覚ましがどんなメロディーかって今みんな歌える?私は歌えない。朝聞いて改めて「あーこれだったわ。」と思い寝ぼけ眼でいろんなボタンを押しまくってうだうだ言いなが

          目覚ましが鳴る

          芸術鑑賞の難しさ

          伝わらなかった人、 汲み取れなかった人私の大好きなアーティストがあるツイートをした。ファンからたくさんのコメントが来る。いくつかのコメントに返信をしながら彼は 「そうなんだけど、そうなんだけど…」 と言葉を詰まらせていた。 私は、(これはどうしたことだろう。)と驚いた。彼が言うには、「意図したこととは違う方向に捉えられた」らしい。 彼は歌詞を書く人で、SNSを始めたのは最近のことだった。彼が紡ぐ言葉と奏でるメロディに魅せられる人は、その世界観からか“信者”のような振る舞

          芸術鑑賞の難しさ

          車とわたしのこと

          今日、2年間乗った車を手離した。 生まれて初めて買った車で、探し回って探し回ってやっと手に入れた車だった。 私は昔から車が好き!というわけではなかった。工場と寮の15分足らずの往復だけの生活に疲弊しきっていて逃避の為に車が欲しかっただけ、とにかく走れば何でもよかったのだ。お金に余裕があるわけではないから中古でいいや。事故は怖いけど維持費も安いしほぼ乗り捨ての気持ちだから軽自動車でいいな。色は…うーん青か白がいいな。と検索する日々。 一目惚れだった。 どこを切り取っても

          車とわたしのこと