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黒蝶病

ブーブー

「はい、水瀬です。」
「こちら、●■病院、窪田医師と申します。お母さまの経過報告を聞きたいと思いお電話いたしました。その後どうでしょうか。よろしければお家に一回訪問させていただきたいのですが…」
「先生…お世話になっております。訪問は今日ですか…」
「難しいでしょうか…」
「あの…今、母は眠っているんです。ようやく寝たので…できれば眠らせてあげたいのですが…」
「そうですか…では、よろしければ経過報告と一緒に御都合の良い日を教えていただけませんか。」
「はい…ちょっと母次第なので、キャンセルさせていただくこともあるかもしれませんが…みていただければと思います。よろしくお願い致します。」
「大変なところすみません。お返事お待ちしております。」
「はい、失礼します。」

プツッ

端末の画面が消えて、真っ暗になる。
窓は銀紙をはって、黒いカーテンをしている。黄色いランプをあちこちにおいている。ここはいつでも夜にだ。星空も月もない安っぽい夜は翼を削ぎ落とすのに一役買っている。

母は黒蝶病だ。

黒蝶病は翼、空、飛ぶという行為に支配される病気で、近年流行っている。流行る原因は特定されていない。痛みはあるのかわからないが、背中に翼のような斑な黒っぽい跡を残す。薬物に溺れるように翼に恋い焦がれて、翼を持っていると思い込み、跳ぼうと窓から飛び降りて怪我をするか、最悪打ちどころが悪くて死ぬのが大体の末路だ。盲目病とか、黒鳥病とか、黒翼病とかとも言われている。メディアにも取り上げられて、新聞の見出しによくなっている。

芸能人●●●●が黒蝶病?!
集団黒蝶病で飛び降り多発
黒蝶病の悲しく幻想的な末路

黒蝶病に幻想を抱くものもよくいる。背中に翼が生えるというロマンチックな病気なので、それが話題になり、わざとタトゥーをいれたり、映画、ドラマにもなっている。
映画だと黒蝶病になった一人の少女を健気に支える少年と結ばれるとか、黒蝶病だと思わせておいて実は殺人事件だったとか…そんな感じで使われる。

黒蝶病の背中好きというフェチズムまで生まれていて、そういう人をバタフライフェチとか、アンジェニストとか呼ばれたりする。人身売買もあるそうだ。社会的に問題になっている。

現実は翼のことしか考えられないので、自分を天使だと鳥だと思い込む。周囲のもののことは忘れてしまう。認知症みたいなものなのにと私は思う。

チン。

電子レンジの音がして開ける。今日はウドンを作った。キツネウドン。昔母が好きだと言っていた。再現できてるかな。私はウドンを食べたことがない。

ペストマスクをかぶる。これは見た目が鳥っぽいのと、酷い臭いを嗅がずに済むので一石二鳥だ。

コンコン。

「オクサマ ホンジツノ ショクジハ キツネウドン デゴザイマサス 」

「あら、鴉。やっと食餌なの。」

「エエ、オマタセシテオリマシタ」

箸とお椀と土鍋にお玉。暗闇と腐臭と拘束技に優雅な笑み。

「ワタクシガ オトリシマショウ」

「ありがとう、鴉」

バタン

母の部屋に行くといつも息苦しくなる。翼を切り落としたのは私だ。ありがとう?微笑み?
それをする価値が私にあるのですか。

これはなんだ?

贖罪?罪?懺悔?

贖罪とは、懺悔とはいつも自己満足でしかない。罪は私が決められることなのか。償うなんてなんて傲慢なのか。

残ったウドンは捨てた。母は小鳥みたいな量しか食べない。

病院にメールを送信する。メールの内容はいつもと同じ。

食事◯睡眠◯

異常なしなので、要経過観察。安定しているため、診察希望なし。

ブーブーブーブー

着信履歴10件

留守番電話2件

“もしもし、水瀬様のお電話番号でお間違いないでしょうか。私●■病院のものですが、窪田医師からお話があります。ご都合のよろしい時にお電話よろしくお願い申し上げます”

“もしもし、水瀬さんですか。私●■病院の医師窪田です。お願いですから、ご連絡ください。ご診察は月に一度は必ずとのお話だったはずです。メールでもいいので…”

ザーザー

シャワーは禊に似ている。このまま溶けたいといつも思う。骨の浮き出た白い細い身体。背中に黒い斑。黒蝶病ではない。生まれた時からある傷跡だ。
私は飛べない。時々夢に出てはくる。背中に痛みと血を伴って生える翼を。血塗れの翼は重く、ベタベタしてる。私は血を清めたくて、洗い流そうと滝に向かう。でも翼は重たくなるだけで、赤黒いままなのだ。

シャワーを浴びながら、目を瞑って母の笑みを思い出してみる。
母は穏やかで、優しい人だった。いつまでも少女というイメージを保っているタイプで実際、お金持ちの良いお嬢様だったようだ。父親は見たことないのでわからないが、どうやら駆け落ちしたらしい。親とは縁を切っているということを周りの人達が話しているのを聞いたので知った。
母はいつまでも父親のことを好きだった。いつか迎えにきてくれるわといつも言っていた。友人からも母は母親に見えないらしく、まるで、姉妹のようだと言われた。私も母が求めるままに、“母に甲斐甲斐しいボーイッシュな女の子”を演じた。それが役割だと思っていたし、そうすれば母も満たされると信じていた。

「ゆきちゃん…パパに似てきたなあ…」
泣きそうな顔で言われた。その日は私の誕生日で、ショートケーキが焼かれていた。甘い生クリームを母はスポンジにつけながら。私は苺を洗っていた。
「ゆうさんはね、本当に王子様みたいだったの。かっこよくて、くったくなく笑うの。大好き。」
母は泣きそうな顔を無理やり笑顔にしてクリームをふたたびつけた。いつもより歪で、甘く、すぐに形は崩れた。

母は寝る前にいつもこっそり泣いていた。忘れてしまうのが耐えられないとか、ゆきちゃんがゆうさんに似てくるのが耐えられないとか、毎日悲しくて仕方ないとか…結局私は母を満たせない。母を満たせるのは父だけだ。

毎日泣いていた母はそのうち笑顔は繕えなくなる。母は時々父を亡くしたのを私のせいにして怒鳴り散らしては泣きながら謝るようになる。抱きしめては殴られる日々。

そのうちに母は翼に魅入られるようになった。泣くたびに、悲しむたびにそれは黒い翼になる。

どうして殴られるのに、悲しまれるばかりなのに、母のこと嫌いになれないのか。

どうして、母を殺せないのか。

濡れた髪は冷たい。冷えた身体のまま風呂から上がる。温まることのない身体に諦めを感じる。
私は母を憎んでないのに、悲しませたくないのに、翼を剥ぎ取り、脚を折ってる。
殺すことこそ、きっと慈悲であり、償いなのに。

私はペストマスクを撫でて、布団にもぐる。

今日も血を伴って翼を生やす夢を見る。

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