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43歳。やっとおばさんになれる日がやってきた

私の年齢は現在43歳。人生では折り返し地点を迎えています。小学生男児二人と保育園女児一人、そして、夫と暮らす平凡な主婦と言いたいところですが、私の職業は結構レアな「占い師」というもので、どこに書いても、どこで紹介されても、どこに行っても、一発で自分が何者か伝わらないのです。

この時点で、私は何者なのか?という疑問が自分の中でもあり、適切に自分を説明するカテゴリーが欲しいと思ってしまいます。

私は何者なのか・・・いつからこの疑問と対峙しているのでしょう。
思えば、私は最初に生まれたときから、その場所が本当の居場所ではなかったのかもしれません。
とある社宅の団地が私の生家でしたが、取り壊されて、今はもうありません。
両親は鹿児島の出身です。
ですが、私は岡山生まれの岡山育ち。両親の実家には数えるほどしか行ったことがなく、今や両親とも縁を切り、そこの関係も失っています。
鹿児島が出身なので、私の元々の苗字は珍しく、私はそれがずっと嫌でした。苗字を正しく読まれることはほぼないし、苗字でいじられるし、嫌なことばかりでしたから。早くその苗字を手放したくて、早く自分の居場所が欲しくて、焦って結婚もしました。
そこで得た、苗字は、全国でも人口の多い苗字で、私は大衆に紛れることができて心底安心したのです。ですが、それはただの勘違いでした。大衆に紛れれば、何者かになれるわけではありませんから。

昭和の時代。子供を持つのが早かった時代。私の母の時代は、子供を産めばみんな「おばちゃん」でした。女性たちはみんな自分のこともおばちゃんというし、誰かのお母さんはみんな「おばちゃん」と呼んでいました。だから私も、結婚して子供を産めば、「おばちゃん」になると思っていました。でも全くそうではありませんでした。時代は平成。子供を早く持つことがステータスではなくなり、キャリアを積む女性も増えてきていた時代。私は22歳で子供を産みました。周りの子はまだ大学生。誰も結婚すらしておらず、孤独な子育てをしていました。娘が3歳になったとき、幼稚園に入れることにしたのですが、新興住宅街のど真ん中にある幼稚園のお母さんたちに私は全くなじめませんでした。まず、年齢が全く違うのです。それでも、体裁を取り繕って過ごしていたある日、娘がほかのお友達と遊んでいて、
お友達の子が「お姉さん、見て!」と何かを差し出してきたのです。私は笑って「お姉さんじゃなくて、おばちゃんでいいよ」と言ったのですが、それを横で聞いていたその子のお母さんが「あなたをおばちゃんとは呼べないでしょう」と言われてしまったのです。
結構な衝撃だったのを記憶しています。当時の私は高校生の時に抑圧されていたせいか、髪を明るめに染め、なるべくスカートで過ごしていました。自由になれた自分なりの表現だったのですが、その恰好が余計に幼稚園ママというカテゴリーにふさわしくないこともわかっていたのです。
疎外感の理由を突きつけられた気がしたおばちゃんになれない自分という存在。母親としても未熟で、妻としても未熟で、幼稚園ママの群れになじめない私。

それから、自らをおばちゃんということをやめてしまいました。離婚して、親権を手放し、再び、おばちゃんと名乗る理由をなくした私。仕事をしていても、「お姉さん」と言われ、ありがたいことに「おい、おばさん」なんていう人にも出会いませんでした。私は完全におばさんになり損ねてしまっていました。私が実年齢より若く見えてしまうというのも、一種の問題だったのかもしれません。そんな時に出会ったのがポットキャスト番組の「OVER THE SUN」堀井美香さんとジェーンスーさんによる、おばさんのためのポッドキャストです。
二人の絶妙な掛け合い、年を取ることを楽しみ、時に笑い飛ばし、憂いながら、共感していく番組です。これを聞いたとき、私は「ああそうか」とすとんとおなかに落ちてきたのです。私おばさんになってもいいんだと心から思えたのです。

自分は何者だろうという疑問は、大人になれば、結婚すれば、子供を持てば・・・分かると思っていました。
大人になれば、職業を持ち、それが自分だと言えますし、結婚すれば、誰かの配偶者になり、誰かの家に所属し、役割は与えられます。子供を持てば、親となります。でも、自分が自分で「これが私」と思わない限りそうはならないこともわかりました。それどころか、今度は、妻になれば妻らしく、母になれば母らしく、占い師になれば占い師らしく、謎の理想を追いかけるイベントまで発生してしまう始末。

それを知らなかった私。今までの私は、誰かにお前はこれだ!と与えられることだと思って、じっと待っていたんですね。それを演じることが人生だと思っていたんでしょう。どこか誰かに責任を転嫁したがっていたのかもしれません。だからこそ、私は何者?という疑問を捨てきれなかったのでしょう。「おばちゃん」と言っていた方たち。きっと、私と同じように、自分が何者か分かっていなかったかもしれない。今なら何となく、そうだったのかもしれないと思うのです。自分の生まれた苗字を捨て、一家の嫁になり、妻になり、子供のママになり、「おばちゃん」を演じる。それが自然だった時代でしたから。でも、今や令和の時代。いくつになっても女性は「おばさん」というのは憚れるほどに美しく、多くの選択肢を持っています。

私は、やっと自分がおばさんであることを認めました。周りがどんなに若いと言っても、そうは見えないと言っても、ふさわしくないと言っても、私はおばさんです。憧れていたものにやっとなることを認証できました。20年もかかって。OVER THE SUNに心からありがとうと言いたいです。
そして、占い師であることも、こうやってものを書いたり表現することも認めて楽しむ決心をさせてくれたのです。
人生はとても短い。私は折り返し地点に立っています。今までより体力も気力も続かなくなる一方の折り返し後の世界。私はどれくらいのものを残せるでしょう。
私は、43歳でおばさんで占い師で、母親で妻で女でその他にもいろんな役を持っています。一言で説明できなくてもいい。誰かにわかってもらおうと考えない。私が分かっていればそれでよいのですから。

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