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大学の友人たちと文通を始めた話

大学の友人たちと文通を始めた。もちろんLINEだったりインスタだったりで繋がってはいるけれど、そこに加えて文通を始めた。生存確認やちょっとした連絡なんてものはスマホでやってしまえば一発なのだが、どうも我々は、手間のかかるめんどくさいことが好きらしい。

別に私は手紙の良さを大いに語って押し付けるような、懐古厨的文章を書こうとするのではない。手紙を書く人間が少数派だってことなんて、わかりきっているから。
しかし、それは悪いことではなくて、単に時代の流れ、技術の発展によるものだ。その恩恵は私も友達もありがたく受けているし、それを手放すつもりもない。どちらかが良くて、どちらかが悪いと決めつけられるものでもあるまい。私たちが手紙を書くことは、趣味嗜好の範疇というだけ。


私たちがそんなに手紙の何を楽しんでいるのか。少なくとも私は、届いたときのわくわく感が好きである。相手がどんな封筒、便箋、封のシールを選んでいるのか、どんなペンで、字で、何を伝えようとしているのか。筆跡の向こうに、確かに友人がいる。書かれた内容だけではなくて、彼らの恐らく無意識であろう範囲まで思いを馳せてみると、送り相手の私のためだけに割かれた時間があることがわかる。
それが本当に嬉しいのだ。ちょっと自分でも引くくらいには、友人たちとの文通というものが好きなんだろうなとは思う。


大学時代には、特に母方の祖母と文通していた。私と祖母は家族の中でもかなり仲が良かった。祖母はわからない漢字を辞書で引きながら、時間を掛けて1通1通を書いてくれていたという。文通を通して、離れている距離を埋めるかのようにたくさんのことを話した。小さい頃から好きだった、祖母の作るかぼちゃの煮物のレシピも手紙の中で教えてもらった。

彼女が白血病で入院してからは、どんどん痩せ細ってペンも持てなくなってしまった。けれど彼女は苦手な携帯メールを使って、私との連絡を継続しようとしてくれた。初めて祖母が絵文字を送ってきたとき、あまりに驚いたので思わず母に報告してしまったのを覚えている。

そんな祖母は昨年の3月に死んだ。春休みには私が車椅子を押して花見をする予定だった。祖母は生前、火葬の際はとある1つの包みを一緒に燃やしてくれと母に伝えていたらしい。その中身は、祖父から送られてきたラブレターの数々だということは私だけが知っている。
祖父母はお見合いで出会ったと聞く。当時祖父は高知、祖母は大阪に住んでいた。メールもLINEもない時代、2人は親睦を深めるために手紙を書いていたという。祖母は結婚して高知にやってきてからも祖父の手紙をずっと持っていたようだが、ある日ふとこのことを私に話した。なんとなくだけど、私は包みの中が何なのかを親族の誰にも話さなかった。包みは祖母が大好きだったトトロのクッションの中に忍ばされ、遺体と一緒に灰になった。


私がちょっと気持ち悪いくらい手紙に思い入れがあるのは、こういう経験があるからかもしれない。だからといって、友人たちに手紙を書くことを強制したくはない。これはあくまで趣味嗜好の世界であり、この時代においては連絡なんてすぐに取れるものだからだ。暇つぶしにでも、私に伝えたいことを考えて書いてくれる。そのことだけで十分だ。

悠久の時に比べればそう遠くない未来、いつか私が死ぬとき、彼らが私に見せてくれた思いと一緒に燃えるのも悪くないかもしれない。



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