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さよなら111号室

明日は4年間暮らしたこの部屋、この町を出る。初めてひとり暮らしした部屋、すっかり見慣れた町。
巷でもよく言われることだけど、やっぱり大学生活はあっという間だったと思う。


私がこの町に引っ越してきたとき、世間ではコロナが猛威を振るっていた。せっかく入学した大学も1年くらいはオンラインで、校舎にはほとんど入っていなかった。
しかし、そういう状況じゃなかったら、私はこの町の人々のことを全然知らなかったかもしれない。大学関係のことが無さすぎて暇だったので、当時はよくひとりでこの町を練り歩いた。
昼間営業していたところにふらっと入ってみたら結局4年間通い詰めることになったバー。悩みを聞いてくれては、大丈夫だと不安を笑い飛ばしてくれた花屋。テイクアウトして道端でコーヒーを飲み、後には豆も買うようになった焙煎屋。1年生の頃は大学関係のひとより、町のひとの方が知り合いが多かった。
後から友人に聞いてみると結構部屋におこもりしている子が多かったようで、私はビビリの癖に好奇心に負けて案外怖いもの知らずでもある、という両極端な面をあわせ持っているのかもしれない。

実家にいた頃、自室に友達を招いたことがなかった。父親が自宅に人を招くことを嫌がっていたのもあるし、単に友人の家が遠かったのも理由の1つだろう。
ひとを自室に招く、という経験はこの部屋に引っ越してきてからだった。初めて私の部屋に入った恋人は、女の子の部屋っぽくない…とぼやいた。多分家具の色のチョイスのせいもあるけど、お世辞にも綺麗な部屋とは言えない感じだったからだろう。でも私は部屋なんてそんなもんだと思っていたので、当時はちょっと心外に感じたが……
大学の友人もこの部屋に来た。同じ学部の子とか、部活が同じ子とか。飲み会で酔っ払った子を介抱しようと連れて帰ってきたこともあった。7畳半の部屋に8人くらいがぎゅうぎゅうに座り、一緒に観た映画の感想や解釈を夜中になるまで話したこともあった。案外青春っぽいことしてたのかも。

友達と賑やかに過ごすこともあれば、ひとりで布団を被って泣いていたこともあった。ここはもはや私の部屋であるように思えたが、ほんとは111号室でしかないのだ。私が居なくなれば、誰かがまたここにやって来る。私がここに居たことは自他の記憶の一部に過ぎず、それもどんどん薄れていく。町だって同じだ。名残惜しく送り出してくれたひとたちも、数日、数ヶ月もすると、会わなければ思い出せなくなるかもしれない。もしかしたら一生会わない人だっているかもしれない。
それを私は寂しいと感じるけれど、そうであるべきだとも思った。永遠に続く事柄なんてこの世にないだろう。住処が変わること、町の記憶から私が薄れていくこと。出会いから別れまでをこの町、この部屋で過ごせて良かったなと今は思う。


明日はこの部屋、この町を出て、私は西の町へ行く。まだ記憶の薄い、まっさらな町と403号室。いつかの未来、そこを発つときには、この111号室ほどの思い出が403号室にもあるといいなと思う。

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