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すべつな~農村ライフと月夜の散歩

夏ですね。

本日は二十四節気でいうところの大暑だそうです。

先週は、暑さの中ずっと地面を這いつくばるような仕事でヘトヘトになりました。

因みに今の時期、気温が35度まで上がったとか40度になりそうだとか聞きますが、地面付近の温度はとっくに40度を超えております。あまりに暑かったのでガチで測りましたが、午前中ですでに42度ありました。
ということは、散歩の犬とか小さい子供とか、感じている温度は大人以上にヤバい温度ということになりますので、皆さんくれぐれもご注意下さいね。





使い果たした体力も金曜日に爆睡したことでだいぶ復活。
昨日は夕方から散歩がてら、歩いて買い物にでかけることにした。
久しぶりの往復10キロウォークは、車生活に慣れた身にはかなり長く感じる距離である。しかも五時半スタートで太陽が沈みかけてはいるものの、湿度はそれなりにあってジメジメ。おまけに途中いくつかの用件を挟んだ上で、完全な闇が訪れる前には家に辿り着きたいという、ゆるやかな時間制限を自分に課した強めの散歩だった。
田んぼや林を横目に見ながら線路を超え、まあまあののぼりくだりを超え、支払いや買い物をして帰路につく頃には、辺りはすっかり闇に包まれていた。八時だった。
足はやや重くはあったが、気分は決して悪くない。

たかが散歩、されど散歩。
準備をしたり戸締りしたりと家を出るまでがどことなく億劫で、頻繁に歩くことはないのだが、自分の足で地面を蹴って自身の身体をただひたすら前へと運ぶ、お手軽で単純な遊びだけれど、はじめてみると妙に楽しい。
歩き始めて体が動き気分が良いと、思わず走り出したくなる衝動が起こる。しかし体力が無いのですぐにまた歩き出す。歩いたり走ったり、どちらにしても自由だ。それがまた楽しくもあり、おかしくもあり、時々笑えてくる。我ながら不審人物だ。そう考えると益々顔がにやける。いや何やってんだ。でもそれが醍醐味でもある。
ふと、道端の花が目に入る。これ、何ていう花だろう。どこか他の場所でも見たことがあるけど、どこだっけ。一緒に生えてるあの草、根っこが凄すぎて全然抜けないんだよな、とか。よく見ればここにもスギナが生えてるけど、さすがに犬猫の散歩コースにあるものを利用する気にはならんよな・・とか。あれやこれやが頭をよぎるのもまた醍醐味である。
夜空を見上げてみれば。おや、こんな時間に飛んでる鳥もいるんだな。あ、フクロウが鳴いた。・・そういえば今年はアマガエルが少ないよな・・とか。これは夜の散歩ならではの醍醐味だ。
特に、独りで歩くときには頭も心も空っぽにして、自分の外の世界をただ眺めて感じてみる。もしくは外の世界の中にいる自分、その自身の呼吸や身体の動き、または細胞の一つ一つを観察したり感じたりしてみる。歩行禅というのもあるくらいだ。気持ちがすっきりして、新たな発見があるかもしれない。
また反対に、深く考え事をする時にも歩く行為は有効だ。あまり集中力に自信がない自分にとって、一番考え事に没頭できるのが外を歩いている時と風呂場にいる時なのは間違いない。時として急速に考えが深まったり、思ってもみなかった閃きがあるのが散歩中と入浴中なのだ。

ええと・・何の話だったっけ?



昨年から興味を持っている、素足感覚で屋外を歩ける「ワラーチ」と呼ばれるサンダルを今年に入ってついに購入。
昨日の散歩は、このワラーチを履いて行った。



名をルナサンダルという。
絵に描いたような繊細な三日月輝く昨晩の散歩の相棒には相応しい名だ。
夕べ快適にゴールすることが出来た10キロウォークの所以は、この月の女神のおかげと言っても過言ではないだろう。<つづく>




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