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私のふるさと、福山

3年ぶりに帰省して過ごした夏休み。
日本一駅から近いお城として知られプラットフォームからも見える福山城。
すっきりとしたプロポーションが素敵です。
福山駅に到着した時点で、かつての福山城の敷地内に降り立つことになるそうです。

今年築城400年を迎え、改修・耐震工事と併せてかつて防御の目的でお城の北面に張られていた鉄板の再現を試みる、令和の大普請が行われていました。

1622年に城完成を幕府に報告した8月28日にリニューアルオープンした福山城博物館は、以前よりも展示品を少なくし、その代わりに各種メディアを使って体験型となりました。なによりも、天守閣までエレベーターが設置され、年配の方にも子供連れのファミリーにも訪れやすくなりました。

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私が小学生の頃は秋になると本丸で菊人形展が開かれ、学校からよく写生遠足に来ました。池もあって、鯉が泳いでいました。今は少し殺風景ですが、これからまた整備されるのでしょうか。

新幹線のプラットフォームがすぐ後ろに

天守閣からは、水野家と縁の深い妙政寺が見えます。
嬉しいことに、亡き父を永代供養した納骨堂もはっきりと見えました。
私はこちらから、父はあちらから福山城を眺めているのですね。

お城の眺めと言えば、お城のふもとに市営三ノ丸プールが有りました。
母も泳ぎ、小学生の頃は私も夏になるとほぼ毎日通っていた屋外プールです。泳ぎながら福山城が眺められるなんて、なんて贅沢な!

2019年 夏

私の息子も初めの水慣らしからだんだんと泳ぎを覚え始めていったのがここ三の丸プールでした。ところが、経営が立ち行かず去年閉鎖されたとのことで、今はもう更地になっていて再訪は叶いませんでした。

今では福山の観光名所と言えばまず鞆の浦が挙げられますが、私にはつい最近まで福山市に属しているという認識がありませんでした。
我が家では、釣り好きの父に連れられて行く沼隈半島にある村や島を一緒にひっくるめて、❛鞆❜と呼んでいました。

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沼隈半島から内海大橋でつながる田島

草戸稲荷も明王院も一度見たらしばらくはもういいし、福山って何にもないよなー、と思っていたのですが、なんと、福山経済環境局経済部観光課より 『何もないとは言わせい。』と言うキャッチコピーで町おこしをしているのですね。

夏休みには子供会で鞆の仙酔島に海水浴に行くのが定番したが、福山駅から約30分バスに揺られて行く道中の車酔いをクリアしなければならなかったのが、今となっては懐かしい思い出です。

では、鞆で出会った素敵な建築を一つ。

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角地に建っているので正面玄関を挟んで左右のファサードも良く見えます。
昔の銀行建築には、どこの小さな町でも古典様式とそのバリエーションが踏襲されていますね。

幾重にも徐々に後退している窓枠のカチッとした感じや、無装飾に2階まで伸びる柱は、典型的な1930年代の建築様式ですが、
折り目のついた飾り柱に素化された柱頭や、前に出ながら鋭く立ち上がる梁に若干アールデコの雰囲気をまとっています。

音楽教室や楽器演奏には全く興味のない息子が福山で楽しみにしているのが和太鼓。駅前の商店街が交差する三角広場の一隅に建てられた福の山神社の例大祭での和太鼓とお神楽の奉納です。

大黒様が打ち出の小槌から出してふるまってくださる紅白のお餅を頂くのも、それを祖母にお土産にするのも、3年前、4年前の思い出とリンクして、彼の中で例年の楽しみになったようです。