『マル』

マルとの暮らしは長くは続かなかった。
マルの最期は寿命からくる老衰だった。

病院に運ばれてからも何度か発作を起こし、その度に点滴を打たれ、ぐったりとしたまま身体はどんどん小さくなっていき、意識が薄れ、獣看護士の受け応えにも反応しなくなり、2回程小さな嗚咽を繰り返し、動かなくなり、最後はカチカチに固まっていって、やがて眠る様に死んでしまった。

看取った義母は大往生だと言った。
マルは捨て猫として産まれて、当時10歳だった妻に拾われてから18年も生きられたのだから猫として幸せだったのだと言った。僕はよく意味が解らなかったけれど、そうですねと相槌を打つことで早く話題から逃れようとした。

マルは可哀想な猫だった。ある日、近所の公園に数匹の兄弟達と共に捨てられていた。それを見つけた妻がその中でも一番に目が真ん丸でふわふわで可愛かった猫をマルと名付け持ち帰った。残された他の兄弟達はガリガリになって全員死んでしまった。幼い妻に抱えられたマルは小さな身体でミャーと鳴いた。やがて、その猫は妻や義母や我々家族に振り回されることになるのだが、この時はめっちゃラッキーだニャーぐらいにしか思ってなかったと思う。そんなマルの一生は引っ越しの連続だった。

妻が18歳の時に両親は離婚し、それに伴って転居、そして妻が1度目の結婚を機に連れられまた転居、その1年後には離婚しまたまた転居、僕と妻が一緒になった時には引っ越しにも慣れて何処にでも誰とでも馴染める図太い猫になっていた。そんな我々も結婚後に引っ越しを三度決行し、その都度マルは付いてきた。一般的には猫は人に付かずに家に付くと言われているがマルの場合は付く家がコロコロと代わり過ぎてしまって、完全に人に付いていた。

そして子供が産まれてからは子供達のオモチャと化してしまって、毛をむしられたり踏みつけられたりとまさに踏んだり蹴ったりだったが、小さな2人とよく遊んでくれていた。優しい猫だった。

そんなマルと2人になった夜があった。あれは妻が下の子を出産した直後で2人の幼い子どもを連れて里帰りをしていた時だった。

マルはいつもと変わらない様子だった。僕は妻たちの居ない家を妙に広く感じてしまい、淋しくなり夜になってもなかなか寝付けなかった。僕はマルにおーい、おーい、と声を掛けて呼び寄せて同じ布団で寝ようとした。マルはいつもと変わらないゆっくりとした足取りでその恰幅の良いお腹を揺らしながらニャーと言って布団に潜って来た。その様が可愛く思えた僕はぎゅっと抱きしめて名前を呼んであげた。マルは迷惑そうにニャーと鳴いていた。僕のお腹の辺りで丸くなったマルは暖かくふわふわしていて気持ちが落ち着いた。愛情は与えられるものとばかり思っていたが自分から与える事でも育むものがあると初めて知った夜だった。無論、子どもたちは物理的に可愛いいし、妻にだってキチンと愛情を持っている。ただ、こんなにも無防備な命を抱きしめることによって味わえる多幸感を僕は知らなかった。『愛情』という言葉がカタチとして胸の奥から生まれてくるのがわかった。僕は忙しい両親にあまり時間を掛けて貰えずにスレて育ったのでこんなにもシンプルな方法で愛情が芽生えるのかと驚いてしまった。もっと小さな頃にマルの様な猫を飼えば良かったと本当に思った。

マルは特別な猫だった。我々家族はマルを愛していたけれどマルは我々を愛していただろうか?わからない。けれど今でもあの真ん丸な瞳をしたマルはキッチン横に貼り付けられたポートフォリオから僕らを見守ってくれている気がする。


ミャー

#ショートショート #マル #写真

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