最終的な役割=老親のパシリ(?)~女の子に期待されるもの~

「女の子が欲しい」「女の子がいいな」
良く聞かれるであろう。
「一姫二太郎」長女に長男、最初は女の子を理想とする子供の性だ。
「女の方が、育てやすいから」「その方が、男の子が優しく育つ」
旨をわたしは亡母から、聞いた事がある。

どの道、この道、女の子。
「リボンの騎士」のサファイア王女は、王子誕生を期待されたのに、女の子。「赤毛のアン」のアン・シャーリーは、男の子だと聞かされていたから、マシューも引き取る気持ちでいた。けど女の子。
共に「ガッカリ」「話が違う」「予定が狂った」であるけれど、女の子を欲する日本であれば、ウェルカムカム大歓迎だ。
しかし、何故そんなにも「女の子」~昔は、育てるのに蔵が3つ建つと言われた。それほどお金が掛かる意味合いだ~を欲するのか?

高齢化社会を準ずれば分かる。
介護問題。恒例に伴い、様々な不自由が生じて来た親のお世話。
かつてはそれなりに美男子、美女。超エリート社員であろうと、良妻賢母の鏡と自称しようと、加齢と共に衰えてゆく記憶に容姿、気力、体力等々。
そういう問題が起きた時に、「お世話してね」
世間も、家族も、何故か自然と眼を向けるのは娘。女の子である。
同じ子供であっても、息子には頼まない。頼むとしても経済面のみ。
お世話は娘がしてくれるとのアタマが、ずっとある。
公的機関(施設)に入所させるのは、最後も最後の手段であって、それまでは娘。
娘をパシリとして使うだけ使いまくる。
だから最初から「女の子が欲しい」と願うのだ。

殿方、メンズ、兄や弟は、現実的に考えられない。
「仕事が」「今度、転勤になるかも知れない」「家にも事情ってものが」
言えば、何とかなると思っている。
「市役所にいえばさぁ、どーにでもなるんじゃない?どーにかしてくれるよ、こーんな高齢化社会なんだから。その為にいるんだろ」
見解が軽い。
相談しても、施設に空きがないとか、ご家族がいらっしゃるんでしたら、もう少し頑張って下さい、とか。
ありきたりのお手本返事しか貰えないのを、思わない。

これからこの分野もAI化。
必要な人には無料貸し出しや、テレビや電化製品と同じように、「一家に数台」時代が来る。
それでもやはり、「女の子」「女の子が欲しい」
老親のパシリ役として、世間は期待するのだ。

<了>


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