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アンパンマンの遺書

幼い頃に見た絵本やアニメの中で記憶に残っているのはやはりアンパンマンだと思う。キャラクターの名前も言えるしアニメ映画の断片も頭に残っている(クリスマスでホラーマンと黒いロールパンナちゃんが出てきた)。
今でもTVアニメが毎週放送されていて、書店の子ども本コーナーでもアンパンマンの棚が一番広い。長く愛されているんだなとしみじみ思う。

そんなアンパンマンの生みの親・やなせたか氏の自伝本である。


彼がアンパンマンを誕生させたのは54歳の時で、それまでは広告漫画や舞台演出など多種多様な仕事をしてきた。自分は知らなかったので読み始めは「ここからどうアンパンマンに繋がるのだろう…」と疑問でしかなかった。
しかも青年期は太平洋戦争に出兵し厳しい訓練や優秀な弟の戦死を体験している。この体験が彼の人生の軸になる、戦争は何も生まないという思想が形作られた。

正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。

戦後は様々な方面から仕事を依頼される。今も残る三越の包装紙のレタリングなどデザイン関係だけでなく、宮城まり子氏のリサイタル構成や永六輔氏のミュージカルの舞台装置など本当に幅が広い。だいたいの仕事は彼にとって「なぜ自分に?」と思うことが多かったようだが、結局最後は引き受けて上手くこなしてしまう器用さを持ち合わせていたのだろう。
でも成功を夢見ていた漫画の世界ではなかなか芽が出ない。後輩がどんどん世に出て有名になっていくことにずっと焦りと不安を抱えていた。

ぼくは時々、「やなせさんはずーっと順調にきていて一度も挫折したことがありませんね」といわれる事がある。とんでもない。
挫折というのは途中で駄目になることだが、ぼくは四十歳を超えてもまだ自分の方向がまったくわからず、五里霧中で、挫折どころか、出発していなかった。

その後は当時無名だったサンリオから『詩とメルヘン』を創刊し、ここでやっと方向性が見えてきたと語る。
そしてやっと1973年に『あんぱんまん』が誕生する。最初はなんと人間で、お腹が空いている人にパンを届けるだけだった。内容はただ可愛いものではなく正義や戦いなど確固たるメッセージを含んでおり、決して子ども向けだからと甘くすることはなかった。
当時の大人たちからは「これは売れない」と酷評されるが、当の読者である子どもたちには大いに受け入れられた。それから現在までアンパンマンは不動の人気を獲得した。

なんの先入観もなく、欲得もなく、すべての権威を否定する、純真無垢の魂をもった冷酷無比の批評家が認めた。


彼の人生を語る上で欠かせないのが妻の暢さんの存在だ。戦後の高知新聞社時代に出会ってから長年彼の背中を何度も押してくれた。ぱきっとした物言いとエネルギー溢れる姿に彼は励まされてきたに違いない。

性格が不一致だからこそ共同生活が面白い。(中略)
性格の相違したものどうし暮らすことこそ、お互いに助け合えるのだ。

暢さんのことを書いている文章からは彼女への愛情がとても伝わってくる。彼女が病気になって余命宣告を受けた時や亡くなった時のショックは相当大きなものだったろう。彼女がいなくなって空っぽになってしまったとき、次に彼を支えてくれたのはアンパンマンだった。「なんのためにうまれて なにをして生きるのか」、この言葉が彼を再び勇気づけ生涯の糧となった。


2013年、94歳で亡くなるまで活動し続けたやなせ氏。苦しい時代は長かったが、最高の相棒であるアンパンマンを生み出せたことは彼の人生で幸福だったと思う。
ふと自分のことを振り返ってみたら今までの人生は決して幸せとは言えない。でももしこの先に自分にとって大切なものができて明るい未来になるのなら、今の状況の中でも精一杯やってみようかと思った。
辛い時はアンパンマンを見て、大人になっても元気をもらおう。


出典:『アンパンマンの遺書』やなせたかし
    岩波書店

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