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医療施設と介護施設そして福祉サービスの間でさまよう在宅介護

親を在宅介護する者にとって緊急時の医療施設、そして日常の生活を守ってくれる介護施設や福祉サービス等、どれもなくてはならないところです。
でも、頼り切らないことを気にとめておくことも必要です。

介護をする者は孤独になりやすく、やさしいことばや、専門家の自身にみちた言い回しに、つい安心して必要以上に相手に頼り、期待してしまいます。それが後に自分を傷つけ、思考を止め、自問自答を繰り返してしまうことになる。その結果、気力や体力を失うことになることになるのです。


在宅介護でわかったこと

私の母は、60代で脳出血で倒れ、左片麻痺で要介護2になりました。
それから月日を重ね、要介護3になり2年前の大病により母は要介護5になりました。

からだの左側が麻痺して杖を突いて歩いていた状態から、急に寝たきりになり、移動には大きな背もたれの着いた車椅子に乗らないと移動できません。
そして今、母は85歳になりました。

これまでもいろいろな出来事があり、何度も救急車のお世話になりました。
医療施設、介護施設、関わりのある福祉サービスの強力を頂いたおかげで、なんとか母を看てこれました。

もちろんそれぞれの関係者の強力無しでは今日まで母の事を看てこれなかったと思いますし感謝をしています。ただ、はじめの頃は当然に介護や病気に対しての知識がなく、その都度起こることに悩み、葛藤かっとうしてきました。

何がわかっていないのか、わからないまま介護してきたことで、失敗や経験不足は全て自分の中で消化するしかないことがわかってきました。

病院や介護施設、福祉サービスはそれぞれの専門で有るがゆえ、担当の範囲や立場を基準に行動しています。

それらの間からこぼれてしまう事がたくさんあることを、介護者は知り、
ある程度は受け止めなければならないのだと思います。

それぞれの側から見る介護

病院施設、介護施設が連携して母をフォローしてくれます。       「あるときは患者、あるときは利用者様の立場に立って・・」と言っていただきますが、それぞれが専門であるが故に独自性が生まれ、そして対応が分かれてしまいます。

病院施設への入院

あたりまえですが、病院施設への入院は治療が目的なので内科病棟、外科病棟など、対象になる疾患を治療する病棟に入院します。

そのため、もともと身体に運動機能に障害がある人が内科病棟に入院すると、治療対象ではない他の機能を維持するためのリハビリなどは難しくなります。

内科的な治療のために場合によっては安静にしないといけないので、完治が近づくまで動けないなどの理由もありますが、治療対象でない運動機能の維持が継続できず、入院が長くなればなるほど追ってしまうリスクが大きくなります。

もともと抱えている障害や持病が今まさに治療しようとしている疾病に影響がある場合は並行して治療してくれますが、そうでない部分は本人や身内が気にしていても目的が違うので対応いただくのは難しいです。

別の状況として外科病棟に入院すると、治療対象が動けるようになるタイミングに合わせて元の障害部分のリハビリも並行してできる環境にあります。

外科病棟はリハビリと近い関係にあるので、動き始めから身体の機能回復を始めることができます。

でも、高齢になると外科的手術でキズの治りがどうしても遅いので、動きはじめにも個人差があります。

母が60代で脳出血で身体の左半分が麻痺したときは、リハビリ側も熱心で、
急性期、回復期、維持期だとかリハビリの段階の説明をされて、できるだけ日常生活へ戻れることを目標にしていただけました。

でも高齢になると、身体が壊れていくたびに、治療対象だけに集中して治療します。弱い運動機能はますます弱くなり、動かせるところも少なくなってきました。

若い人の入院と違い、高齢者が身体が動かせなくなれば、身体を治癒ちゆさせる予備能力も落ちてきているので消化や吸収などの機能も弱くなっていきます。内臓系の弱さは集中力、体調全般を左右し運動機能の改善も妨げます。

長期入院になれば内科診療で処方された薬についても種類や量を調整して頂きたいのですが、変えることで起こるリスクを回避したいのでしょか?  相談しても、そのままを維持されます。

総合病院などで同じ院内にかかりつけの医師がいれば調整して頂いてもと思いますが、調整しようと判断したこともまた責任になるのでしょう。
種類を変えるわけでもなく、量を変えるわけでもない。

むろん変えることをのぞんでいるのではなく、質問をしたときに現状維持で良い理由を知りたいのです。
飲んでおけば安心ってどう安心なのか、今の診察をしているのになぜ、
何年も前の医師の判断を継承するのか?

看護師さんのケア事情

看護師さん達の技術についてもあたりまえですが、それぞれの方の経験に準じたものになります。

基本的には入院中の患者の1日について看ていただいているのですが、担当する業務や日時でやることや人員が入れ替わります。

私の経験で感じたことは、看護のケアはプラスしていくケアだと思います。
点滴をするという動作の後には、抜いたり交換したりと、はじまりと終わりの一連の流れがあります。

でも実際は流れでは無く、「点滴した。」「交換した。」のようにその都度別々のスイッチを、押している。やった、終わったをカウントしていくケアのように感じます。マニュアル通りにこなしていくケアです。

ある治療を目的とした場合、どうゆうふうに改善させるかの目標に対してケアが実行されると思うのですが、ケア自体が目的化しているように感じます。やったかやらないかが目的になってしまえば、それを忘れてしまえばやること自体が消えてしまうように思えるのです。

高齢者の介護の目で見れば、ケアは1日の生活動作のフォローが主体ですので本人の障害の部分を考慮したうえで、日常生活の観察から不足の部分をケアすることが主体になりますが、看護は治療の部位がケア対象のため、それ以外の不快感などについてはケアの配慮が難しいです。

入院患者の特徴が引き継がれていても、一連のながれでケアを意識してもらわなければ見落としが多くなります。知識として知っているだけではなく、想像してケアしてほしいと思うのですが、難しいです。

本人が言い出さない不快感などは先回りするか様子をみて察するなどが必要ですが、治療を目的とする看護の現場では省略せざるお得ないと思うのです。

私の母は、構音障害(発音の障害)なので声が思うように出ずにコミュニケーションが難しいです。

寒い、かゆい、痛い、苦しいなど話しても相手が察してくれなければ、何事も無いだろうと思われてしまいます。

介護していれば、観察して察することが可能ですが病院ではそういうことが難しいのです。

今はコロナでクラスターが出てしまえばすぐ病院閉鎖です。
身内の者も許可がないと入れなくなります。

それは母や全体の安全を考えれば致し方ない事です。ですが、入院患者が高齢者であれば家族が来れないことに加えて環境の変化や孤立感などで覚醒かくせいが弱くなり、認知機能に障害がでたりする場合もあります。

母が気ばらしもできず、検査や治療もなければただ横になるしかない。もともと身体の不自由な高齢者にとって、寝たままの機能低下は退院後の大きなリスクなのです。

本来、入院患者の治療には面会に来る家族のフォローが少なからず助けになっているはずです。それが治療に必要なことであり、面会できないときはそれを補うことが必要だと考えていただきたいのですが、今の病院施設では難しいです。

タブレットやアプリでビデオ面会などしていただいている病院もありますが、していただける病院は限られますし、高齢者の場合は認知機能が落ちているとビデオでの面会するのはむずかしい場合があるでしょう。

そして退院したあとの機能低下は自宅介護をする者がこれまでよりもケアすることになります。

介護施設の利用

介護施設は日常のとりでです。
いかに介護になれていても、1日中ひとりで毎日見続けることは難しいです。

半日なり数日なり預かっていただく事で、介護する家族も気を休めることもできますし、用事をすませることもができますので長く介護を続けるうえで本当に助かります。

退院後、病院から治療の経過や配慮すべきところなど日常生活への情報が 介護サマリーという書類で介護施設に伝達されます。なので本人に対して注意するところや、その理由、対応の方法などが理解されたうえで受け入れていただけます。

でもその情報をどうとるかで介護は変わってきます。退院したときの取扱説明書のように受け取られれば、退院時のみの注意点だけです。
改善のためのリハビリも、機能低下のリスク回避のための対応も維持されないし継承されない可能性もあるのです。

介護施設が高齢者を預かるにあたっては、いろいろな ケースがあります。
歩けるけれど動くのが不自由で転倒などケガのリスクがある方や精神的な病気をかかえられて目が離せない方、また私の母のように全介助しないといけない利用者などいろいろな方がいます。

状況によりお願いできる範囲があり、内容により施設の種類がわかれたりします。

リハビリを並行して行うのに専門的な施設もあれば、リハビリを少しするけれど預かることに特化した施設など介護度や環境に応じて選ばれます。

介護スタッフさんの介護事情

介護施設のスタッフ全員が専門家ではないので、時間が経つと介護方法の型だけが継承されてしまいます。

なぜそうするのか?理由の抜けた介護方法は、やがて引き継がれる人の解釈によりさらに別ものに変わってしまいます。

介護スタッフは知識や技術に個人差がありますので、対応も平均的な介助方法が運用のベースになります。臨機応変よりも平均的なことのできる方のスタッフの配置が主体になります。

指導内容も、転ばないよう、ベッドから落ちないようなど動ける方のリスク対応を注視していくようです。

全介助のように動けない利用者は、ケガなどのリスクが少ないです。
外からの物理的な障害がなければ一見なんの危険もないように見えるからです。

ですが自分で動くことのできない人でも重力という目に見えないものと戦っているのです。それは気にとめておかないと時間をかけてゆっくりと本人を苦しめて行きます。

例えば、衣類を替えたり車椅子からベッドへ移動して横に寝かせた後、衣類の背中のしわを伸ばすことを忘れれば自分の重みで背中にしわを感じて眠らなければなりません

横に寝ていても、寝返りができなければ、頭の後ろは枕の同じ場所にずっと重みを感じたままで、頭、腕、脚の重みで首や肩、腰には負荷がかかり続けます。見た感じ、横になれば頭、腕、脚は並行なので楽だと思いがちですが
それぞれの関節をさかいに少しずつ引っ張られているのです。

皮膚が長く当たっている場所によっては血流が悪くなり褥瘡じゅくそう(床ずれ)ができてしまうかも知れません。

体位を変えたり、クッションを使いポジショニング(体位をフォロー)により身体にかかる負荷を分散し、圧力を軽減しなければなりません。

熟練した介護スタッフや理学療法士による管理、指導が必要になりますが、現場に近いスタッフほど、その意味まで理解していただいている方は少ないと思います。

また、どうせ歩けないからと、脚も動かさないままにしておけば、拘縮こうしゅく(筋肉が固まる)してしまうかもしれません。
紙オムツを替える時も動かせる脚の角度が固定されてしまえば、本人も痛いし介護も大変になります。

移動の介助についても、車椅子からベッド、またはベッドから車椅子への移乗方法については施設の誰もができて平均的な方法=無難な方法がベースになります。

見ていて多いのが紙オムツのふちとズボンのふちをいっしょに握りしめて 相撲すもうの吊り出しのように持ち上げて車椅子などから移動させる方が多く、ベッドに横にしても紙パンツもパジャマのズボンも股に食い込んだままです。

移乗の方法について変えてほしいとお願いしても、わかりましたとは言いますが、なぜかやり方を変更するのではなく、注意されたと言うことだけがメインで伝達される。

私が見る限り、介護スタッフの方の介護方法は見たり聞いたりして型だけ継承していますので、介護技術にもバラツキがあり、かつ自浄作用はありません。

何かあってもそれはクレームとして処理され、どうすれば良いかではなく 気をつけましょうていねいに、で終わってしまいます。

その日の介護担当者の知見だけで処理しようとしてしまう。
私としては介護施設内に理学療法士がいたり、常駐はしていなくても   資格登録者がいたりすれば、意見交換をしたり方法を研究したりして改善し技術を継承をしてほしいのですのですが難しいようです。

介護施設で定期的な実技研修などの機会でもなければ、技術の向上や改善は期待できません。

行政も介護施設の許認可の条件や資格の更新などはきびしいのかもしれませんが、許可条件が有効化されているかなど効果の判定まではしていないように思います。

日頃から介護施設のサービスを冷静に評価する目を持ち、必要なことは申し入れなければなりません。


福祉のサービス

ソーシャルワーカーは道しるべ?

ソーシャルワーカー(相談員)により病院から退院する際、日常生活がおくれるように退院後の生活の相談をしてくれます。
医師の診断によるリハビリの必要性なども考慮して施設の紹介もしてくれます。

担当の医師が、これはソーシャルワーカーの介入が必要と考えれば 入院の段階から院内の担当者の手配をしてくれる場合もあります。

ソーシャルワーカーの方から退院後の生活のため2~3カ所の介護施設やリハビリ施設を提案してもらい、見学に行って選んで下さいと言われますが、はじめてであれば何を基準に選べばいいのかわからないでしょう。

今であれば自分なりの経験があるので選定基準をもっていますが、始めの頃はリハビリのイメージもなかったです。
見学に行っても本人のためには何を見て評価すれば良いのかわからないのです。

見るべき基準を教えてほしいと話しても、斡旋あっせんと思われてはいけないと考えているのか、選ぶポイントは教えてくれません。

また、別の病院のソーシャルワーカーの方は、当初設定した退院予定日に迎えに行けないので数日ずらしてほしいと退院日の調整をお願いすると、始めの約束と違うと言って日付の調整を不可能とことわられました。

入院病棟に相談に行くとあわてて退院の準備をすると言われてしまう。
退院の許可は担当医であり、退院日の設定はソーシャルワーカーの仕事だから病棟はしたがう、というような対応でした。

その時はしかたなく会社に急な休みをもらいました。退院日には入院中の荷物を背負い両手に紙袋を下げてその手で母の車椅子を押しながら逃げ出すように退院しました。何のためにソーシャルワーカーをつけていただいたのか?

権限や資格をもった方がダメだと言えばなにも言えなくなってしまう。  仕事を分担して、一任してしまう組織が多い現代です。
かりに、病院内の他の部署や中立的な担当者が指導すればパワハラなどど 見当違いな抗議が通ってしまうような社会では仕方ないのかもしれません。

在宅の介護者は相手のルールに対応する忍耐力が必要、決めるべきポイントをあらかじめ考えておくこと、担当者とは適度な距離を保つことも必要です。

ケアマネージャーは福祉の手配人?

退院後、福祉のサービスを利用するにあたり、介護度に見合ったサービスを手配してくれるケアマネージャーという方がいます。

本人が必要とする福祉サービスを、決められた範囲で適切に手配してくれて、サービスの不具合や要望があれば各担当業者さんと調整をしてくれるなど、要望を形にしてくれるのがケアマネージャーであると思っています。

以前、母が介護度が要介護3の頃に自宅でのマッサージのサービスを依頼していた業者さんから、自宅にいる母の態度が悪いと仕事中の私に電話がありました。

態度が悪いので改めないならサービスを止めたっていいんだぞ!と言われました。

母が杖をついて動けていた頃で、急に認知症の症状がではじめてしまい、 症状はまだかるいと思っていたのですが、来ていただいた先方スタッフの方に妄想や幻覚などの症状で失礼な言葉を言って困らせたようです。

電話をかけてきたのは責任者の方で、その方もその場にいなかったのですが、暴言をいわれたスタッフの敵討かたきうちとばかりの電話です。

母が、かなり失礼な事を言っていやな思いをさせたようですが、私の母に対して、ひどいののしりの言葉が止まりません。

私も始めこそ平謝りにあやまっていたのですが、それが増長させてしまったのか悪口が止まらず、がまんできずについ怒鳴ってしました。

先方が母へのサービスを今後どうしようかということであれば前向きですが、サービスの継続を縦に母をののしるなどありえない。

結果、担当のケアマネージャーに連絡をして数日後、責任者からお詫びの電話をいただきました。

母の精神状態も安定しないので、サービスは終了してもらうことにしました。担当いただいた日までのサービスを精算して請求してもらい、お支払いを完了することで契約終了ということになりました。

その時にまるく収めていただいたケアマネージャーには感謝しています。
レアなケースなのかもしれませんが、手配しているサービスの担当業者からの連絡はサービス内での連絡などにとどめるべきだと思います。

トラブルの発生時にはよほどの緊急性が無い限り、ケアマネージャーを通し連絡をする。また、ケアマネージャーからもそのむねを各業者さんに徹底していただきたいと思いました。

そしてあらたな病気により母の要介護3が要介護5になり、施設の変更に伴ってケアマネージャーの会社も変わることになりました。

新しいケアマネージャーと会う日が決ったとたんにこれまでお世話になったケアマネージャーからの連絡はいっさい無くなりました。

私は「その後、お母様どうですか?」なんて言葉を期待していたんです。
どうかしていました。

途中に何度か担当者が変わったりしましたが、20年以上も世話になっていました。私もケアマネージャーの会社が変わることが少し不安だったこともありますが、今までの母を見ていてくれたことを考えて少しは心配してくれるかと・・・。

介護者は、心情などはさまずに利用する福祉サービスやサービス内容
を適切に評価する力を養わなければなりません。


介護にとって大切なこと

自宅介護をするうえで大切だと思うのは、介護の知識を増やして行かなければならないということです。

そして、知識は自分がどう考えてどう行動するかに使う。
知識を得たことで安心などしてはいけないのです。

専門性が権威の象徴になる専門家は、すべて専門知識の中で完結させようとします。相談している内容が即答できないこともあると思うのですが、  専門家というプライドからか質問とは違う話を回答したり、専門用語をならべ、繰り返したりします。

できないともやらないともはっきり言わない方が多いので、あいまいな回答をする場合はある程度見切って他の手段を考えた方が良いです。

一部の関係者は母の生活の幸せを考えてくれる人もいますが、ほとんどの方は生活のクオリティーなどは意識せず、日常の業務を無難にすませることを考えています。

やみくもに自己判断はよくありませんが、専門家であっても具体的に行動をしたり、アドバイスをしてくれない人には、あまり時間をかけずに他の人に聞くか、他の答えを模索もさくした方が良いと思うのです。

ぜんぶ私のわがままですが・・。

自分勝手な見解をつらつらと書かせていただきました。
もちろん書かせていただいたのは、わたしの一方的な解釈や考えです。
権威もなにもない、ただの初老の迷い事かもしれません。

医療についても、介護、福祉についても、もし関係者の方でうちはそんなものよりもっとしっかりやっているよ!と言うところもあるでしょう。

でも・・介護は環境によってはひとりでやるしかない人はいます。
自分なりの考えや原動力がないと、つらいときはつらいのです。
どう嘆こうとひとりはひとりなのだと思うのです。

よく介護の世界で「がんばりすぎないで」でとか、「ひとりじゃないから」
とか言うことを耳にします。
でも実際はがんばらないと回らないし、いつも選択肢のない決断をせまられてひとりなんだと思うのはしょうがないと思う。

そう、病院でも施設でも専門家からこぼれてしまうケアは、自分が意識しなければいけないのです。

私は母の動かない脚を少し動かすことをしてあげたり、嚥下えんげ(飲み込む力)の力の維持も、首や肩のマッサージや運動を常に考えて実行しなければならなかった。

そうしたことを私がしていなかったことで、母の膝を少し拘縮こうしゅく(固まる)させてしまいました。食事を飲み込む力も弱くなってしまった。自分を甘やかして、すべきことに目を向けなかった私の責任です。

自分を動かす原動力は人それぞれだと思いますが、わたしの今の原動力は ひとりです。

だれかが思っていてくれるとか、助けてくれる人がいるとか考えていると、
やらなければいけないことを忘れたりそれを逃げ道にしてしまう。
ひとりだと思い動いた方が、後悔しなくていい。

兄弟や親戚なども血縁といっても、介護になれば話は違う。
介護のことなどまるっきり覚えようという気はなく、常に聞けばいいやという感じであり、そしておこった出来事はすべて、「どうしようか?」と聞いてくる。

注意したようにやらないからこうなったんだと言えば、言い方が悪い。
もっと丁寧に説明しないからダメ、「なんだその口のきき方は?」となる。

母に対して介護しようとしているのではなく、私の手伝いをしてやっているという考えなので、いつまでも指示を続けないといけない。

そもそも介護の手伝いというのは、介護そのものを手伝わなくとも、
介護することでできない家事などを手伝うだけでも充分助けになるはずなのです。

介護の手伝いだからと、ひたすら介護自体の手伝いにこだわる。それは介護を手伝っていることを評価してほしいだけです。

ひとりだと想い、進んでいく・・・。

病院、介護施設からのフォローも身内の手伝いも、やってもらえたらラッキーぐらいで・・・。

私は孤独ではない孤高なのだと進んで行く。

母よ、不手際があれば申し訳ないが、自分の息子ということで許してもらいたい。

これからもずっとこうしていくのでしょう。

介護について、どなたかの参考になればと思い書いていたのですが、   いつの間にか自分の愚痴のような内容になってしまいました。
申し訳ありません。

最後まで読んでいただきありがとうございました。





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