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絶望の先に見えたもの


オランダ姓の彼を亡くして
死に場所を探して回ったけれど
結局私は見つけられなかった上に
生きる事を決めた。

ヨーロッパからカナダに戻ってきた私に
居場所は無かった。
彼の両親は部屋を提供してくれたけれど
ママの様子を見ているのが辛かった。
ママも私を想うと余計に辛かったのだと思う。

そんな事を察してくれたのが
彼の元彼女だ。
私が彼に出会った時、彼女が本命の彼女だった。
ややこしくなるけれど
私は3番目の女だったのだ。

それには沢山の理由があるのだけれど
結果的に2人は別れ、彼は私を正式な彼女にし
出会ってから2年後、妻にした。
彼女はいつも私のお姉さんの様な存在だった。

こんなややこしい関係なのに
『私たちは別れるきっかけを探しながらも一緒にいる事しか出来なかった。だからNorikoの存在が有難いし嬉しいのよ』って抱きしめてくれた。

彼は6歳年上で、彼女も6歳年上。
アパレル業界でバリバリに働いている人で
いつもいつも沢山の洋服に囲まれて
ちょっと鼻にかかった声で早口で喋る。

彼女が『うちに来ない?』って言ってくれて
正直救われた。
何故なら、彼女は日中は仕事に行って居ない。
何処かに行こうと思った時もバスに乗れば
私は自由だ。

彼の両親の家が自由で無かった訳じゃない。
でもパパは25歳になったばかりで未亡人になってしまった私にいつも申し訳なさそうだし
私も常に襲ってくる鬱と躁鬱で
同じ様に鬱と闘う
ママに迷惑を掛けるのが嫌だった。

辛いのは私だけじゃ無い。

彼女との生活は快適の一言に尽きた。
朝、仕事に行くと、19時くらいまで帰ってこない。
彼女の働くテナントが入っている巨大なショッピングモールでぼんやり時間を潰す事も出来たし
家でダラダラする事も出来た。

ある日
私は彼女の家にあるDVDを見ようとすると
彼女は『これ見たら?』と
1つDVDケースを渡してくれた。

それが【Love actuary】だ。

『恋愛ものは好きじゃないよ』と言うと
『まぁ、楽しいから観てよ』と仕事に行ってしまった。


イギリス訛りが気になったのは
正直なところだけど
私の好きな映画の上位に入っている。

いろんな人達の日常が同時進行で過ぎ
幸せだと思って居た人が実は裏切られていたり
親友だと思って居た人の本心を知って少し悲しくなったり。
一言で言うと、私の中の【1日】という考えを
変えてくれた映画なのだ。

私にとって彼の誕生日や命日、入籍記念日は
とてもとても辛い1日になる。
運が良いのか悪いのか
上手い事に1年中に散らばっていて
本来、記念日などはすぐ忘れる私が
この日は絶対忘れない。
(2回目の結婚は入籍も結婚式も覚えてないし、何なら離婚調停が成立した日も覚えてない)
それで、その月になるとソワソワして
その日が過ぎて、その月が終わるまで
薬の量は増える。

けれど、この映画を見て
私の辛い【1日】が、誰かにとっては
幸せな記念日だったり
誕生日であると言う事実を知り得た事は
今の私を救っている。
そんな事は当たり前なのだけれど
そんな事に想いを馳せる事も出来なかったから。

仕事から帰ってきた彼女に
『映画、すごく良かったよ』と言うと
嬉しそうに笑ってくれた。
1日の考え方について話をしたら
少し黙って、それから悲しそうな笑顔で
『彼がNorikoと出逢って幸せだったのが、私にとっても幸せだったよ』って。

それから私たちは一晩中、泣いたり笑ったり
彼の事を話した。

私の愛と
彼女の愛は違う。
けれど、どちらも愛した彼の事を
こんなにもあっけらかんと話す事が出来る事が
嬉しかった。
『彼を奪った様な気がしていた』
そう言う私に
『Norikoと出逢う前から私たちは終わっていたのよ。ただお互いに踏み切れなかった。でも明らかに私は彼を幸せに出来なかったし、彼も私を幸せには出来ない事がわかっていたから、一緒にいる事も辛かったの』と言ってくれる。

2人がどうして別れたのか
詳細は知っている。
とてもそれは悲しい理由だけれど
嫌いで別れた訳では無いので
お互いの幸せを願いつつ
側にいる2人。

それが私は不思議と大好きだった。

彼女が働くアパレル会社がトロントに出店すると決まり、彼女が新エリアマネージャーとして
選ばれた。
バンクーバー市内の店舗を総括していたのだから
適任だ。
彼女と別れる時、私も一旦日本に帰国する事にした。

『Norikoもトロントに来たら良いわ』
そう言ってくれたけど
いつまでも彼女に甘えてはいられないと思った。

帰国を告げると
『お互い一緒にいると、傷の舐め合いみたいで
ちっとも前に進まないかも知れないものね』と
ハグしてくれた。

彼女がトロントへ旅立って
帰国までの数週間を彼の両親の家で過ごしたり
キャンプ仲間だった友人の家に泊まったり
彼の幼馴染の家で世話になったり
バック一つで転々としていると
何故だか死に場所探しの時より
凄く孤独感を感じていた様に思う。

カナダは彼の記憶があり過ぎる。

カナダ最終日、私は彼の兄弟や甥や姪達と
夕食を一緒にし、盛大にお別れ会をしてくれた。
黙っていても
私も彼らも、これが一旦の帰国であるとは
思ってなかったから。
沢山ハグをして
彼らを見送って、その日は余り眠れなかった。
明るくなる空をぼんやりと見て思ったのは
『あぁ、これが絶望って事かな』だった。

死ぬ事も出来ず
生きるとしたけど場所もなく
転々と流れて
そこらじゅうに落ちている彼の記憶で
泣きたいのを我慢して笑って過ごす。

その時は日本に帰ってから
また人生に一波乱有るとは知る由もなく
明るくなる空がただ綺麗で静かに泣いた。

絶望の向こうは
自分が思うより美しい。

飛行場で彼の両親と涙で別れた後
乗った飛行機が不具合で2時間遅れ
しかも滑走路を走ってる途中に
天井から水が降ってきて
おまけに酸素マスクまで落ちてきた。

『これ落ちるのかな』って本気で思った。
またそれから緊急停止で
更に2時間足止めを食らった。

私は帰国をリスタートと思っていたから
出鼻を挫かれた気がして
少しおかしかった。

そんなに気落ちしなくても良いじゃないか。
絶望なんてそうそう見るもんじゃない。
ビスマルクの名言にもあるじゃないか
愚者は経験から学び
賢者は歴史から学ぶんだと
そう思ったら少し笑えた。

Fools say they learn from experience; I prefer to learn from the experience of others.

何が『経験』を意味し
何が『歴史』を意味するのか、
それは私も英語で始めて理解する事が出来た。

それは正に【Love actuary】の映画そのものだと
思う。

絶望の淵に立って見えた景色は
思っていたより綺麗だった。

絶望という事を
先日、ある方とのやり取りで思い出した。
目を開けて生きていくって
相当辛いなぁって思う。
でも瞑ったまま生きているよりかは
遥かに人間臭く生きていける。

目を開けて生きるって
初めて火を怖がらなかった猿人と同じだな。



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