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不正解は失敗を意味しない


福井の恐竜博物館に行ってきた。今年の夏にリニューアルして初めて行けた。幸。例の彼と行ったのですが、気付いたら周りに人がいなくなってて相変わらず時間の概念を忘れました。彼といると体感◯時間とかもないんですよね。概念ごと忘れてる。


入館して2億年前から遡り、5000万年前の化石見て「コレ割と最近やな」とか言ってたら閉館30分前のアナウンスが流れたんだけど脳みそが追いつかなくて30分って誰??ってなりました。30分が30分だなんてどうして言えるの?(速やかにお帰りください)


残りの時間が足りなさすぎて、5000万年前〜人類誕生(20万年〜10万年前)までを20分くらいで回りました。ホモサピエンス?あ、いたな〜そんな生き物。という感じで、私の人生とかもう、え???私、生きてることになってる??生きてる!!!

一年ごとに誕生日とか祝ってたりいろんな儀式したがるのも他の生き物からしたら異様すぎるし、爪切りとか面白アイテムに思えてくる。「これよく切れる」とかめちゃくちゃ面白いやん、、人間でない生き物たちがいるから「人間とは何か」と考えるわけだけど「爪切り」が私の答えです。


リトルマーメイドのアリエルがディナータイムにフォークで髪をとくシーンが幼少期から大好きです。周りの人間たちがドン引きしてるのが最高。

研究者たちによる数々の発見にリスペクトが湧いてきたり、人間の探究心に想いを馳せ、知的好奇心をひたひたに満たしたあとに、恐竜博物館を出て「そして誰も恐竜を見たことがない」という事実を思い出して痺れました。至高。それを彼に言ったら「恐竜という存在がいつか根本からひっくり返されることに期待やな」とのことで、共感しすぎてもはや何も言わず二人で空を見上げてました(とりあえず空見上げときゃ意味深)

そうなったときにこの恐竜博物館がどう在ればおもろいかよな、そこからが本番や!と何が本番なのかよくわからないけど雰囲気で会話。

化石や鉱物を見て回りながら「ねえねえ、インチキ博物館やりたくない?」と提案したらアイデア出してくれた彼も好きでした。私は自分の足跡の型とって「20万年前のホモサピエンスの足跡」とかやりたい。家の前の石ころをめちゃくちゃ厳重なショーケースに入れてライトアップして「ウチの玄関の石」とかやりたい。なんかの干物置いて「知らん人のへその緒(複製)」とかやりたい。いつかやろ。


複製で思い出したけど、化石とかの説明文読んでて(複製)って書いてあるとガッカリしちゃう自分がいたんだけど、あれめちゃくちゃ失礼だった。本当申し訳ないです。反省。恐竜の複製、型取ったり組み立てたり繋げたり運んだりで4年とかかけてるらしくて、世の中にそれに携わる人がいて、こんなにもワクワクをくれるなんてもう感謝しかない。複製のない博物館なんて、アレだよ!(出てこんのかい)

私いつも博物館とかの帰り、心の底から「こんな場所を作ってくれてありがとう」が溢れるんですよね、、そこに感動しちゃう。満たされすぎて全てに感謝。てか恐竜博物館の入館料、大人1000円って安すぎるよ。私2800円でも来るよ。

てか、何百年もそれを前提として研究が行われてきたレベルの真実とされていたものがひっくり返るとか興奮です。それで真実に近づくのなら私は受け入れるタイプ。恐竜の研究と比べるものではないが、自分の人生においてもそれが面白い。それも間違いかもしれないというのも含めて面白い。間違いかもしれないけどそれを真実とせずにものを考えられない私たちー!

もし誰かが人生かけてたどり着いた事実がその人の死後にひっくり返ったとしてもその人の研究人生は決して無駄ではない。一生かけても解明できないことがあったとしても、あーでもないこーでもないともがく過程で生まれた副産物のようなものが何百年も経って何かしらの大発見のキーになるということもあるという!人類の知のリレー、素晴らしい。ついこないだ誕生した人間、たかが20万年の歴史の人間だって、たかが27年の私だって、愚かだけど精一杯生きてんだよ!!!!(誰にキレてるの)

タイトルは人生で唯一ハマった漫画「チ。」に出てくる言葉で、好きです。