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DD51の教訓

日本国有鉄道が1961年から生産を開始したディーゼル機関車DD51

液体式と呼ばれるタイプのディーゼル機関車(以下DLと呼称)でディーゼル後進国の日本ではこの機関車ほど大量に作られたDLは他になかったりします。

今回、迷列車シリーズという動画で函館本線のC62について取り扱うのですが、その際どうしてもこの機関車について引っ掛かりこれを書いております。

さて、DD51はその主たる製造目的が電化されていない主要幹線並びに亜幹線の近代化 つまりは蒸気機関車の淘汰でした。かつて国鉄は様々なDLを製造しましたが、当時全国的に多く配置されていたD51型蒸気機関車並みの出力を出すことができる機関車はそれまでありませんでした。そこで日本の環境に見合う改良と液体式の採用で開発されたのがDD51です。彼ら多くの非電化線区で蒸気機関車を順次駆逐。特に北海道は凄まじく、投入初期から4~5年で230両余りが出そろい昭和50年までに蒸機を置き換えました。

これにより国鉄の計画どうりに動力近代化は進むことになります。


ところが、その後の彼らを待っていたのは何とも冷たい世の中の視線でした。

当時、マスコミが騒ぎ立てたのも手伝って日本中はSLブームに沸きました。そんな中、蒸気機関車を追い立てる側のDD51はあまりいい顔をされませんでした。心無いファンからは赤豚と忌み嫌われ多くの人が彼の活躍に顔をしかめました。

なぜでしょう。彼らは日本の鉄道を新たな時代に向かわせるため生まれてきたのです。それなのに多くの人は言いました。

「あいつのせいでSLは消えた」

別に彼らのせいではないのです。時代が追い求めた結果が彼等であっただけの話。SLを引退に追いやったから嫌いというのは非常に勝手な解釈であると個人的には思います。本来はもっと評価されるべきなのに。一時の世論や感情で彼らを見てほしくはないのです。彼らの登場で労働環境は改善され、スピードアップもできました。本来彼らに贈られるべき称賛はもっと大きくあるべきだと個人的には思っています

DD51は、国鉄民営化の際合理化の対象になり多くが廃車となりました。北海道の総数が70台を割ったといえばその衰退ぶりがお分かり頂けると思います。

現在、国内で稼働するDD51はかなり少なくなりました。それでも一部の貨物や臨時列車の本務機として活躍しています。


今日ではJR東日本に見られる新世代電車をプレハブや走るんですなどと馬鹿にする人が見られますが、利用する立場 運転する立場 運用する立場からすれば彼ら新世代電車たちの活躍で改善される実態があります。それを無視して趣味の範囲という狭い視野で彼を評価するのは愚かしい行為だと思っています。

DD51は、そんな教訓を今の鉄道趣味人に伝えていると私は思うのです。

時代は変わり必要とされるものが生まれそうでないものは消えていく定めです。あるレールライターはこのような言葉を残しています。

「蒸気機関車は追い出されるのではない。自らの役目を果たし堂々と表舞台から去っていくのだ」

画像 Wkikimedia Commons JS3VXW写真館

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