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英語力、について考えていて5周目くらいの見解(なぜその結論に至れたか)

今回は英語力が必要か、不必要か
そんなことをぐるぐる考えていて人生で20周くらいは一定の結論を回してきただろう私が、現段階で持っている見解をまとめてみようと思います

まず、私が人生において”英語”とどう向き合っていくべきか、そのマインドが変動していった経緯を超簡単に書いてみます

■私の”英語力”に対するマインド変化

〇高校生時代

全教科のうち英語が一番点数獲れないくらい苦手


〇大学生時代(前半) ※1周目

海外留学したくなり少し英会話スクールに通うと伸びしろが有りすぎた関係か、成長している自分が嬉しくなり、英語を覚えようと思う気持ちがMAXに
(短期の海外留学でもたくさんの学びがあり、キラキラな気持ちにw)


〇大学生時代(後半) ※2周目

折角覚えてきた英語力を就職活動に活かしたいと思うばかりに、TOEICの点数をとにかく取ることに拘り始める
そして、点数が中々上がらないことで英語を学ぶ意欲が段々下がっていく


〇社会人時代(20代) ※3周目

仕事上英語を使うことが全くなく、英語と向き合う意欲が頭の片隅に追いやられていく。次第に、もっとビジネスにおいて覚えるべきこと(多分当時はロジカルシンキングやら統計学やらPCスキルやらリーダーシップ理論やら…色々と)が優先されて、いつの日にか英語なんてなくても人生生きていけるというマインドに代わる


〇社会人時代(30代) ※4周目

仕事も重要なポジションのアサインが多く、20代終盤から結婚をしたり、子供ができたりして私生活も基本バタバタ
もちろん英語を勉強しようという意欲なんて全く膨らまない状態
でも、たまに仕事上英語の記事などを読めたほうがいいんだよなぁと思ったりすることもあったものの、Google翻訳やらDeepLの素晴らしさを実感する機会も増え、そもそも英語がしゃべれなくても何とかなるのではと思い始める
でもなぜか、転職を考える上で、履歴書をよくするためにたまたま思い立ってTOEICを受験しようと思ったことがあったが…長男の出生でバタバタとなりこれも頓挫w


〇最近 ※5周目

40代に突入して、この先の人生を考える機会が増える
また、海外出張の機会が増えてきたことにより、次第に英語力が無いことでの勿体なさに気が付く

且つ、海外出張した際に通訳してくれる外部のビジネスパーソン(日本人)の流暢なコミュニケーションを見て、羨ましさが出てきた…
やっぱりAIや機能的に翻訳ツールが進化したとしても、生身の体で最低限のコミュニケーションが図れる方が絶対いいのではという思いも少し出てきた
(なんかやっぱりツールを使って話すなんて、本番ではノリ的にできないぞ…w)

更に、子供の学習のことを徐々に考えていく上で、彼らも早い段階から英語に触れ合う機会(SNSやYoutubeなどの海外コンテンツetc..)は昔より全然整っているわけだし、環境自体を提供していくことは大切なのかも、と思い始める


といった感じで、、、環境に応じて”英語力”への期待値・上昇欲が変動していったといったのがよくわかると思います

■過去の振り返りから「なぜ”英語力”を身につけられないのか」をまとめてみる

なぜ、この長い人生において、たくさんの学習時間があったはずなのに”英語力”を手に入れなれなかったのか

それは偏に”本番環境”に身を寄せないから、にあるような気がします

結局、”英語力”を高めようとか思ったところで、学習をちゃんとし始めたところで、実践環境に身を寄せない限りは特に意味がないのかもしれません

国内の英会話スクールで満足していても、結局海外にいって生身で目的を達成したり、仕事の商談をしてみたりしてこそ、必要可否に気づけるし、より成長してみようと思えるのかもしれません

本番環境で実践しない限り、何をやっても”常に手段”のフェーズから抜け出せないということ

そんな意味もあって、実際問題、現在の仕事においては海外出張を自発的にセッティングできる余地はあるので、本番環境を敢えて作りに行きながら英語を学ぶっていう方向性には価値があるような気がしてきたのが今の現状です

ただし、問題はこの環境を数年は維持できない限りは、結局また1周分モチベーションを上げただけって感じにはなるので、自身の身の置く環境をよりグローバルな対応が必要なポジションである必要がありそう

そこらへんはキャリアパスの見直しや拘りが必要なのでしっかり考えてみようと思っているのが今現在です

■なぜ、一定の結論を急に得ることができたか

最後に、なぜ長年放置していた”英語力”への向き合いについて、一定の結論を得ることができたのか

そこらへんをメモしておこうと思います

前述のとおり、海外出張時の他社のコミュニケーション能力を垣間見て羨ましくなったり、ほぼ日本語攻めでしたが、海外の人たちと触れ合ったり、買い物やらレストランで過ごしたりして、モチベーションが高まったことは確かに事実(ある意味本番環境でできない自分を実践してきたに近い)

ただ、そこを起点として、自分が”英語力”を手に入れられていない理由にシンプルに気づけたのは、我が家の子どもたちと生活しているからかもしれません

日々、子どもたちと生活していると、異様に学習のスピードが速いことに驚かされます
保育園で歌う歌は1~2回くらいの練習で大体覚えてるし、YouTubeで見た動物や昆虫、恐竜の名前や生態の情報は大人でも知らないものまですぐに覚えてしまっています

若いから?
集中できる環境が違うから?

色々理由はあるかもしれませんが、こんな状態の彼らを前述の本番環境に身を置かせるだけで、きっと彼らはすぐに”英語力”を手に入れられてしまうのではないか

そんな考えを持つようになりました

ある意味、覚えることの”いる”と”いらない”を頭の中で整理していない
勝手に体が必要な情報量を吸収している状態(興味そのままに)
彼らに準備段階や、何かを成しえる為の手段を構築するという意思は全くありません

ある意味常に”本番環境”で物事に集中できているといっても過言ではないかもしれません

逆を言うと大人って、いつからか物事の取捨選択をしてしまうことで、学習力を狭めてしまっているのだなといった思いに駆られているのが最近の私です

そんなこともあり、私が来たるべき”本番””に向けて英語を学習するシーンを、子どもたちがいる生活環境で可視化するだけでも、おのずと彼らにとっていい学びになるのではないか

そんな気持ちになってきました

私は大人なので、取捨選択もすれば、ダブルミーニングや一石二鳥的な物事に心を吸い寄せられてしまいますw

私が勉強することで、結果として子どもたちも学習できる

こんなメリットがあるならば、やらない道はないのでは?

といった結論に至った次第です
子どもの影響力って、、凄まじいですね…

■まとめ

今回は、私自身の”英語力”の必要性に対する人生の揺らぎっぷりを敢えてまとめてみたこと
そして、一定の結論に至っている今の心情を整理してみたこと
なにより、その思いに至らせてくれた子どもたちの存在の重要性をまとめてみました

と、いうことで”英語力”高めに行こうと思います

もちろん、海外へ行く機会を度々セットできるわけではないので、日常の中でほぼほぼ本番環境を作るための手段も絶賛模索中です

過去の経緯もあり若い時代にグローバル視点で活躍している人たちと幸いにも繋がりがキープできているので…ZoomやLINE・SNSを十二分に活用してみようと思っています

ここら辺の打ち手や学習状況はnoteでも報告させていただこうと思います

そして、先日書いた以下のnoteの記事の思いともここら辺は繋がってくるはず

自分への期待と摺りこみの意図も込めて、まずは、決意表明という意味での投稿でした

最後までお読みいただき感謝です
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