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社会起業家とは、経済合理性を超えられる起業家である

社会的企業とか社会起業家とかソーシャルビジネスとかいう言葉が最近はよく聞かれるようになったが、ビジネスを考える時に2つ言えることがあって、

1。どのような企業も継続する以上社会からのニーズがあり、社会に貢献している

2。市場が小さい、ビジネス環境が整わないなどの理由で、社会問題をストレートに解決するには経済合理性が著しく低いテーマが多々ある

私の定義の中では、全ての企業が社会に貢献している以上、ソーシャルビジネスとは、この2番の難しさをアイディアで乗り越えていき、一つの市場を確立するビジネス、ということだと思っている。

つまり、2番を達成しようとすると、初めはソーシャルビジネスと全く関係ないところでお金を稼ぐか、ビジネスモデル上社会問題に直結しないことも含めてバランスを作って稼ぐしかない。

なぜなら単に「新しい市場を作る」ビジネスならばベンチャーキャピタルから投資を受けられるような事業を作れば良いが、「ソーシャルビジネス」の場合は、新しい市場を作るにも、そもそも基本的にスピード感やボロ儲けは望めないからである。

ただ、時間はかかるし初めは這いつくばるような努力が求められるが、多くの制約条件の中で、最善を尽くしたモデルは作れる。

例えば単純明快なモデルでいえば、途上国の市場に出回る輸入物の商品について、現地の原料を使い現地で製造することである。

大体輸入される商品の製造メーカーは大きいので、途上国に工場を建てるなら市場規模の大きさが確実でないと投資対効果がないとみて、進出してこない。

っというのが普通のロジックで、そのロジックを展開してくる人間を聞くととてもムカつく。

なぜ初めから売上が10億20億見込めないとやらないの?
今まで現地の国に存在しなかった商品を開発し、ヒットを飛ばす気概はないんでしょうか?

なぜ先進国のクオリティの商品を作ろうとして、その前提で投資額を見込んで、あー無理だね、ってなるの?常に一流じゃないとダメですか?途上国では、二流だけどそれなりに美味しくてそれなりに安いから十分以上、じゃダメですか?

そういう考え方もなく、無理な理由ばかり聞いてるとイライラする。

だから私は、人口の8割が絶対貧困レベルの小規模農家であるミゴリで、農家組織を作って大豆を作ってもらい、同じミゴリの中で、最小の投資で加工場所を確保し、味噌を作りケニアのスーパーに流している。まず絶対貧困農家から原料を買い取るということ自体が、経済合理性が低いのだが、ただの味噌を売るという考えでは、セグメント的に味噌を知っている人に限られるので、大したインパクトは出ない。ヨーロッパなどに輸出するにも、競合の味噌はたくさん存在するし販売量はまだまだ低いだろうし、また日本に輸出するにはブランドや品質で負けるだろう。

でも味噌という概念を超えた商品を開発すればセグメントを大きく超えていくことができるわけで、私は新しいインスタントスープの開発など、現在アフリカやヨーロッパに存在するインスタントスープよりもずっと美味しい商品開発に取り組む予定である。そして絶対貧困農家の生産する大豆を100%、その他の原料も国産をほぼ100%使った商品の販路を拡大し、農村の絶対貧困の問題を解決していこうとしている。

大変だから誰もやらない。
企業の頭からしたら、現地製造はまだメリットないからと輸出ばかりする。

そんなおかしな社会構造を、私はぶっ壊したい。
それこそ、本物のソーシャルビジネスだと私は信じている。

私は必ず、経済合理性を超えていく。

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