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これもまた、とある24歳男の話

幼い頃に想像していた24歳はもっと……

なんてありふれた話がしたいわけではない。

ただ、世の中の24歳。

広瀬すず、藤田ニコル、那須川天心etc…

ホントに僕と同じだけしか生きていないのだろうか?と問い詰めたくなるのだ。同じだけ生きているはずなのに、彼らからは大きく取り残されているような気がする。

そんな焦り。唐突に生まれたモノではない。めでたく社会人となり、24歳を迎えた僕は、分からないことが増えたような気がするのだ。歳を取れば、世の中の真理に近づくことができる!そんなふうに考えていた僕にとって、それは残酷だった。

「付き合う」ってなんだ?

「優しさ」ってなんだ?

「カッコイイ」ってなんだ?

なんでこんなに気分が沈んでいるんだ?

救いはどこにある?

自分のことも分からないのはなんで?

自分は何者?

世の中は上手くできていて、日々の仕事に忙殺されていると、そんな悩みを考えなくて済む。フタができる。ただ、土曜日の午前中、孤独な薄暗い部屋では、わからないことが頭によぎる。ウジウジしてイライラして、大切な土曜日の午前が終わった。1つも解決しない。解決の糸口すら見つからない。僕はこうした疑問を1つも解決できずに死んでいくのかと思うと、絶望感に襲われる。

ただ、ただ、僕は分からないことを書く。

漠然とした不安の中、ペンを動かし、キーボードを叩き、誰も期待していない駄文を書く。1つ、気づいたことがあったのだ。僕は書けるということ。書きたいという欲求があったこと。絶望の中、僕を救うものは書くことだと、思えた。

「人は早く立ち直ろうと自分の心を削り取り、30歳までにすり減ってしまう。新たな相手に与えるものが失われる。だが、なにも感じないこと、感情を無視することはあまりに惜しい。」
『君の名前で僕を呼んで』

感情と向き合う。そのために僕は書く。書きたいという衝動に身を任せて。

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